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42年間封印されていた性被害の記憶(自己を見つめる連載④)

【2020年9月25日配信】(冒頭画像は鹿児島・城山から臨む桜島。ラ・サール学園の目の前にそびえていた)
 前回、我が幼少期を思い起こしながら「アスペな子」の成長を小学生まで振り返りました。続いて中学時代のアスペの記憶を思い起こす前に、4年ほど前のある出来事から記したいと思います。
(本記事は9月13日に配信した「アスペな私が幼稚園になじめず小学校になじんだワケ」に続く、連載4回目です)

《男性の性被害に関心が強かった私》

 私がNHK大阪報道部で司法担当になってから森友事件が発覚するまで。4年ほど前にあったことです。ある弁護士が大阪地裁内にある大阪司法記者クラブで会見を行いました。内容はこの弁護士が関与しているえん罪事件に関するもの。当時、私は東住吉えん罪事件の青木惠子さんのことに強い問題意識を持って取材していたため、この件も興味深く話を聞き、会見が終わった後も個別にこの弁護士と話をしました。

 そのうちこの弁護士が国の法制審議会の刑法改正について議論する部会の委員を務めていることがわかりました。刑法改正の最大の焦点は性犯罪に関する規定の見直しで、マスコミでしばしば「厳罰化」と表現されていました。私は述べました。

「厳罰化と言いますけど、そこが最大の焦点ではないですよね。私は性犯罪の概念を見直すことが最大の焦点だと思います」

「そうですね。私も単なる厳罰化にはむしろ反対なんです」

 それをきっかけに性犯罪の見直しについて話題が盛り上がり、私は弁護士さんが大阪地裁を出て駅へと歩く路上でも話を続けていました。

 それまで強姦罪は「男性が女性に性交を強要すること」と定義され、性交とは何かも厳密に定義されていました。だから同じように被害者を深く傷つける行為でも性交でなければ強姦罪とはされず強制わいせつ罪で裁かれていました。ところが強制わいせつは強姦に比べて法定刑が軽く、現場で被告を起訴する検事たちから「こんなひどい行為でも強姦より罪が軽くなる」という憤りの声を聞いていました。

 そして最大の問題は被害者を「女性」に限っていることだと私は受けとめていました。男性が被害を受けても、やはり「強制わいせつ」罪にしか問えない。同じように被害者を傷つける行為の罪の重さが全然違うという矛盾がありました。これを正すべきじゃないかと考えていたのです。

 こうした矛盾は刑法改正で強姦罪を「強制性交等罪」に変えたことでかなり解消されました。ただし改正は不十分だということで、さらに見直しの論議が起きています。

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[私が弁護士と語りながら歩いた大阪地裁前]

《なぜ男性の性被害に関心があるのか?》

 弁護士さんと別れた後、私は大阪地裁へと歩いて戻りながら考えていました。私はなぜこの問題にこんなに関心があるんだろう? 性犯罪の取材を今しているわけでもないのに。中でも男性が受ける性被害についてどうしてこんなに関心があるんだろう?
 そう考えているうちに、ふっと思い出したのです。あれ、私、被害を受けたことがあるぞ。そうだ、あるじゃないか。なんで今まで忘れていたんだろう。
 それは、その時54歳だった私に起きたことではありません。もう42年も前のこと。12歳、中学1年生になったばかりの僕に起きました。私は42年間、そのことを忘れていました。封印していたのだと思います。その封印が42年の時を経て偶然のきっかけで解き放たれたのです。そして思い出しました。中学入学まもない時期に起きた一連の出来事を。

《中学のカトリック教会寮で先輩にいじめられた僕》

 前回連載で記したように、私はこれまた偶然のきっかけでラ・サール中学に入学することになりました。宮崎に自宅がある私が鹿児島にあるラ・サールに通うには、近くに下宿するか学校の寮に入る必要があります。多くの生徒は費用の少ない寮を選びます。そして学内の寮以外に、少し離れたところのカトリック教会にもやや規模の小さな寮がありました。これはラ・サール学園がカトリックの修道会の経営だからです。この寮は「カト寮」と呼ばれ、カトリック信者だった私はこのカト寮に入りました。
 カト寮は50人くらいの生徒が、4人から12人の部屋に分かれて暮らしていました。部屋には二段ベッドがずらりと並んでいました。仕切りはありません。高校生になると学内の高校用の寮に移るため、カト寮には中学生しかいません。
 教会の寮といっても神父さん達は寮の運営にほとんどタッチしていませんでした。住み込みの寮母さんと舎監さんがいましたが、かなりの高齢で本当に大変そうでした。そして学園から離れているため教師の目も行き届きません。事実上、生徒の自主運営に任されている部分がかなりありました。それは自主自立という面ではいいところもありますが、問題もあったように思います。それは、上級生の言うことが絶対化されるということです。
 例えば上級生が下級生、特に最下級生である1年生に使い走りをさせます。上級生が「おい、たこ焼き買ってこい」と言えば、1年生は黙って買いに行きます。すると先輩はお金を出して「お前も食え」とお裾分けしてくれます。こうして寮内の秩序が保たれていたわけです。
 ところが、ここにアスペな子が入ってくると、そうはいきません。人の気持ちがよくわからず、思ったままをはっきりズケズケ言ってしまいますから、「なんで僕が買いに行かなきゃいけないんですか?」などと先輩に口答えします。すると「こいつ、太え奴だ」と目を付けられます。
 それでも何か突出して得意分野があれば、一目置かれるのでまだ良かったでしょう。小学生時代の僕がそうだったように。でもラ・サール学園に入ったばかりにそうはいかなくなりました。田舎の小学校では優等生でも、有名進学校では劣等生になってしまいました。勉強の仕方がまるでわからなかったのです。そして運動も苦手。他人とのコミュニケーションも苦手となると、何も取り柄がありません
 上級生に目を付けられた僕は何かと理由をつけてはしごかれました。例えば床に正座させられる。それも、床にほうきの柄を並べて、その上に正座し、その上に重い百科事典を重ねて抱かされました。江戸時代の拷問のマネです。上級生によるいじめと言ってもよかったと思います。
 中学生はまだ幼い面があり、自己中心的で他人への思いやりに欠ける部分が出てくることがあります。そういう部分が僕に降りかかっていたのだと思います。誰も助けてくれません。そういう相手だと、何をしても大丈夫だろうと思われたのかもしれません。そして事件は起きました。
 この続きは近いうち、できればあすあさっての土日のうちに出したいと思います。

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