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「macroeconomics」を私的にまとめるノート。第一回「解釈論」
コチラの記事を見に来る人は「相当」な「経済バカ」と思います。
内容としては「アカデミックなMMT」を本家の教科書である「Macroeconomics」を通して、僕が勉強して、それを研究ノート的に僕が興味を抱いてることと結びつけて書いていくブログです。
注意事項:僕は「Macroeconomics」の内容を一切和訳しません。僕が私的に自分が興味ある事と結び付けてノートとしてここに保存する事が主な目的ですので、ちゃんと勉強したい人は実際に買って勉強することをお勧めします。
主な不純物要素「構造化理論、社会心理学、犯罪心理学あとその他色々」
たまに全くズレた事書いてるかもしれませんが、やさしく見てやってください。
第一回「解釈論」
余り意図されることは少ないが「解釈」がどのような「イデオロギー」の元下されているのかを知ることは非常に重要である。
社会科学という分類に属する「経済学」という物は本質的に「自然科学」のようなやり方とは相いれない。
「どのような視点」をベースにそれを解釈するかによって簡単に答えや理論が変わってしまうのが社会学の特徴だ。
例えば、社会名目論的立場(いわば主意主義)の視点で社会を見れば。「社会というのは個々個人の行動の集合体である」といった解釈になる。
しかし、このような解釈は間違っている。
個人の行動の集積が社会なら、いったいどうやって恐慌や政府を説明するのだろうか?国家間の交渉は個々個人からの行動の集積からわかるだろうか?このような「主意主義」的な立場に立った社会学のいく先は、たいていそれがどんなに「アカデミック」で論理だてられていたとしても、根底に残るのは「自由意志」と「自己責任」と「個人は社会に決定権を持つ」といった「桃源郷」だ。(グローバズム・無政府主義・レッセフェール)
経済学でこの「立場」に立っているのは主流派である。
だから「市場原理」や「自然失業率」なんていう空言も甚だしい理論ができるのである。市場に任せればいずれ「Balance」が訪れるなどといった発想は過去に比べれば表立ってみる事自体は減っているが、根底にこの考え方を色濃く残しているのは事実である。
では逆「実在論」の立場から見るのはどうだろうか?
これも同様に間違った解釈である。こういった考えの行き着く先は、常に社会に対して非常に受け身的な「人」であり、ただの「操り人形」と化した「幻想」の世界にしかならない。(共産主義)
この様な「二元論」に物事を落とし込んで考えることが、悲惨な「誤謬」を引き起こすなら、一体どのように解釈するのが「よりまし」なのだろうか?注意しておかなければいけないのは「主体」と「客観」の立場で物事を見る事自体が悪いのではなく、「一方向」からのみに基づいた理論構成が良くないのである。
この二元論へのある種の解毒剤になったのが、ギテンズの「構造化理論」である。
構造化理論
その名の通り、「行為主体と構造」の「二重性」に着目した理論である。
社会への因果的影響力を持つ「行為主体(agency)」と、それらが再生産する「構造」そしてその「構造」は「行為主体」へ資源や規則といった媒介を提供する。この流れは常に「認知されない条件」と「予期しない帰結」を伴って繰り返される。
この様な「サイクル」を社会の基本だとしたのが「構造化理論」である。(かなり省略してるけど)詳しい事が知りたい人は「宮本孝二」さんの本を買って実際にギテンズを勉強してみてください。
この「二重性」に基づいた「解釈」に僕は沿って今後のnoteを書いていこうと思う。
最後に
本当はここで20年以上前の「構造化理論」が現代の社会学でどのような二ってるのか?とか色々書きたかったんだけど、いかんせん勉強不足で書けませんでしたw
行為主体の話とか、強い構造化理論とか、ポスト構造主義とか、中央融合主義と批判された歴史とか、いっぱい面白い話が有るんですけどねぇ~
いやぁ~めんどくさくなってしまいました。
ここで構造化理論の話をしたのは「ボクの世界観」がどこにあるのかを明確にしておかないと色々混乱しちゃうかなって思ったんですよ。まあ、はっきり言っちゃえば「macroeconomics」とは全く関係ない内容なんだけど、個人的にMMT派の経済観と構造化理論ってなんだか似通ってる気がして……
ま、ただの直観なんで別に特に何かできるわけではないんだけど、社会科学って人によって言葉のニュアンスが違う事が有るんですよね。主流派経済学はそこらへんがすごい体系化されてるし統一されてるから問題ないんだけど(ある意味問題か?)少なくとも僕の「信じる」世界観がこんなのだよっていうのを記録に残しておこうと思って書いてみました。
次回:経済は歴史的にどのようなものだったのか?
第二回は、「MMT派」の歴史観を紹介していきます。歴史的に存在してきた「制度」の元「人々」はどのように「交換」や「商売」といった物を行ってきたんだろうか?という話を単純に「物々交換から始まった」と主流派の如く一掃してしまう事なく解説しようと思います。
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