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帯域

2月いっぱいは映画音楽の制作でほぼ一ヶ月が終った。

曲を作ること、それ以上に、音色、音質、バランス、周波数、EQ、それらを、選んだり微調節することに主に頭と耳を使った気がする。

それはある意味で、もともと音の決まった曲を演奏する、クラシックを演奏する上での耳を応用出来たことでもあるし、逆に、ここまで音質やバランスのことを、クラシックを演奏する上で気にかけているだろうか、と改めて考えさせられる機会でもあった。

春になり、色々な現場がまた今年度活動として動き出した。
バンドもの、オケもの、アコースティック、色々とあると、ただ決まった音をピアノで鳴らすだけでは何にもならない、ということを痛感する。特に、同じポジションを同じように押さえて鳴らしても、楽器、会場、合わせる他のパート、バランス、などなどによって、適切な鳴らし方がそれぞれにある。

特に最近、何気なく自分で解説してみて、改めて気付いたこと。


クラシックにおけるアンサンブルで、ピアノという楽器は、いかに音質を他の楽器に馴染ませられるか、ということが一つの鍵になってくる。他の楽器に比べて図体のでかいピアノは、一発の和音で全体のアンサンブルを潰すことが出来るような強力な破壊力を持っている。単に音量を落とすだけでもダメ。フォルテの雰囲気をサポートしつつ実際の音量は弱かったり、音質を変えることで相手を引き立たせたり、和声感だけを出したり、リズムの要素だけを出したり、その案配を作ったり。


旋律の絡み合いで成り立つクラシックのアンサンブルは、いわゆる「コード楽器」が居るわけではなく、全体がコードを感じながら旋律を奏でる。ピアノが一応その中ではコード楽器にあたるわけだが、それでも指定されている旋律を横に読みながら奏でることが多い。

ソロピアノでも多いのだが、「メロディーが一番大事。でも実は大事なのは、支えるベースライン。」その意識を持つと、どうやら、波形でいうとHiとLowがやたら上がって、真ん中がグンッと落ちている波形のような音のバランスになる演奏が多い気がする。縦の瞬間の和声感を意識することが少なくなると、実はそれと拍子感は密接な関係があるため、一定のグルーブをまわし続ける、というよりは、横の流れが絡み合うようなイメージとなる。

このサウンドのイメージのまま、ポップスのアンサンブルを弾くとどうなるか。コード楽器としてのピアノのサウンドが、コードをサウンドしなくなるのだ。ビートがハッキリし、周期で進んでゆく音楽の中で、拍子と密接な関わりをもつコード感が見えないとなると、何かが足りなく聞こえる。押さえている音が仮に同じでも、弾き方で、EQでミドルを引き上げたときのような音質をイメージするだけで、全体のバランスが急に良くなったりする。

ポップスのアンサンブルとなると、生ピアノの存在はクラシックのそれとは逆となり、どのライン楽器にも音量的に負けてしまう。ドラムにまず負け、ラインで音が出ている楽器に負け、マイクで拾う音の限界ギリギリで出すピアノの音は、どう頑張ってもこれ以上無理というところで弾かなければ、まったく埋もれて聞こえないこともよくある。

しかし、原因はそれだけでなく、さっきの「ミドルが上がっているイメージ」をもつことと、全体のサウンドをよく聴いて「どこの帯域が空いているか」を察知しながら弾くことで、ちゃんとピアノの音が抜けて聴こえて来る場所がある、という。


アンサンブル、くらいだとピアノは勝ってしまうが、相手がオーケストラとなると、やはり生ピアノも負けてしまうことが多い。そのような時にも、「オケの洪水の中に、通り道が必ずあるよ」と昔ある指揮者に教わったことがある。その時のことをちょっと思い出した。

出す、引っ込める、というだけの話ではない色々なバランスの取り方。
またそれは、自分単体がまず最低限しっかりとアイデンティティを持っていること。
そうしたときに、自然とうまくいくアンサンブル。
結局、音楽の話だけではなく、色々と共通している気がした。

(2013年3月24日 旧ブログ投稿記事より)

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