20181102お寿司

安木屋場の種おろし

安木屋場集落の種おろしまつりのことを書こう。
落ち着いて言葉にしたいと思っていたら
2週間も経ってしまった。
10月20日のことだ。

ご縁あって島に移住する前から
毎年参加させていただいて
今年で5年目になる。

その日の日記に書かれていたのは下のメモ。

チヂンの音がかわいた空に響くと
わたしの胸も同じ空になってふるえる。
なんだろう。
昔々のとても大切で懐かしい場所に
帰ってきたような気になる。
生まれる前だろうか。
何世代も前の記憶が遺伝子から蘇るのだろうか。
それは紛れもなく
あの日あの時このわたしが居た場所だと感じる。

わたしはこのお祭りに
なんとも不思議な
郷愁のようなものを感じているようだ。

口紅を持った人が回ってきて
顔に落書きをしてもらうと
もうその村のイキモノになった気になる。

手のひらがお皿替わりになって
どんどん盛られるはるさめやお寿司。
お刺身やうどんまでも。
普段はお行儀が悪いと怒られそうだが
この日は大丈夫。
食べ物と裸の付き合いをするようだ。

それぞれ個性的な動きでおどる人たち。
即興で笑わせる人たちと笑う人たち。

三線と太鼓の
賑やかなリズムが一旦落ち着くと
今度は
大きな輪になって
太鼓のリズムと
変拍子を繰り返すような
男と女のかけあいの声。
八月踊りだ。

みんな踊る踊る。
わたしも無心になって踊る。

月あかりの下
風にのってかすかに波の音。
おまつりは夜中まで続く。

忘れてはいけないのはカタチではない。
そこにあるみえない祈りのようなもの。

何が生まれるかは予測できない。
自由にあそぶ身体。
祈りは伝統のカタチを辿るだけでなく
今ここで起こっているものなのだ。

そこが
安木屋場の種おろしが
生きているお祭りだと
感じるところである。

毎年このお祭りの日には
時空の扉が開いて
懐かしい場所から
手紙が届く。

今年の手紙には、

「心に影をつくってはいけない。
すべてを愛の光で満たしたときに
”笑い“が生まれる」

と書いてあった。

受けとりました。
今年もありがとう。

*ふやよみ あおきさとみ*

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