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サブカルと心中する覚悟はいいか…?

電脳都市と東京都内

僕は都内の狭い部屋に住んでる。じめじめとして日当たりも最悪だけど息をするには十分だと思う。
自分を卑下して孤独と向き合う事を止めたとき、本当の孤独の波が柔らかい心をざぶと攫っていく。それはどこにいても同じで、インターネットの中だろうと生活の中であろうと自分自身からはどうしたって逃げられないからだ。
暗い書き出しになってしまったけどこれは僕が僕自身の背中を摩り、宥めるためのオナニーnoteだから許してくれ…。

心はデータに乗って…

顔も知らない仲間達

もうここ2年くらい毎週オンラインで集まる仲間たちがいて、彼らのほとんどに会った事は無かった。それぞれ別々の土地に住み、それぞれの現実世界を持ちながら僕らはオンライン上で関係を築き上げた。そうして出来た電脳世界を僕は大切にしたいしそこにいる僕自身がとても好きだし、何より見た目や年齢や仕事などそういったものだけに縛られず、知らないなりに敬意をはらって接し、それらを知ってからも分け隔てなく関われる大人たちが心底クールだと思っている。
僕が若い時はネットで作る関係性って少し不安定でどこかでロールしている自分がいるのも理解した上で楽しんでいたと思う。でも時代が流れていく中でインターネットと子どもの付き合い方は問題視されていって極端に危険だと言われていた様に感じる。まぁそれもコロナでひっくり返ってネットと現実とが混同しちゃったけど…。

あの夏を届けて

一回り上の鳥取のネッ友兄さんがわざわざ送ってくれた。「もっと綺麗に保管してたと思ってたけど自分にがっかりした〜」「汚いかもだけど…汗」って言ってたけど正直びっくりするくらい綺麗だった。本当にその当時に戻って「新しいゲーム貸してやるよ」って渡してくれたような、それくらい鮮度が高かった。
少年、青年時代からゲームをとても大事にしていたんだなと彼の歴史や背景をリアルに感じられる事にとても意味があって、オレがガキだった頃の“プレイ”とは質が違うなと感じる。一緒に送られてきたメモリーカードいっぱいにセーブデータが入っていてオレもやった事があるものもあったりして遠くても同じ時間に生きていたんだなと感じられて嬉しい。ちな彼は東京で会えたこともある素敵な兄さんだ。

PSoneとPS2のソフト達

僕は好き好んでブラウン管でアニメを見たりVHSを集めたりする古いアニメオタクだと思う。大人になってから仲良くなる大人たちが「本当に平成生まれ?」「そんなのよく観てるね」って言ってくれるのを僕は誇りに思ってる。オタクってのはどこまでもディグってどれだけ深淵に近付けるかを探って、その度に普通の人としての尊厳やまともなコミュニティを捨てなければならないと思っている。サブカルと心中して初めて天寿を全うするのだと信じている。何かを大切にするって言うのは当たり前でみんな心掛けてるだろうけど、その時出来る最大限以上に未来やそのもっと先のいつか衰退して、消えていってしまうところまで想像できるかどうかが、すごく人間として魅力的だしメモリーに残るオタクってのはそういう“生き方”そのものを呼ぶんだと僕は思う。例えそれが綱渡のように危険な道だとしてもどちらに転んでもグールかはたまたフリークスか。行き着く先が孤独と侮蔑流れる死の河だとしても…。

世界は此処にある

別の兄さんが僕が働くバーへ大阪から来てくれた。しかも他の仲間も集めて…。
僕はそれが本当に嬉しかった。それはこれまで僕がネット上で築き上げてきた世界が、現実の僕の心を確かに豊かにしたと感じられたからだ。
それまで自分が他人と上手く関われてる自信がずっと持てなかったのには様々な理由はあれど結局のところ僕自身に大きな問題があるのだろうと思っていた、けれど
僕が僕自身をどう嫌ってどう卑下しても「そうじゃないよ」と打ち消してくれる世界は必ず近くに有って、それに気付けるアンテナを持っているかどうかに大きく左右されるのかもしれないと感じた。もちろん僕の問題が消える訳じゃないけど…それでもこんな自分に会いに来てくれた事実は間違いじゃないから。

覚悟はいいか…?オレは出来てる。

鬱病になってから本当にとっても苦しかった。あの時のことをどう説明しようと言葉を探しても苦しかったという他に僕の引き出しには無い。普通の生活すらままならなくて物事を覚えられなくなったり、一人で外食することも電車に乗ることも出来なかった。今は遥かに改善してるけど多分この先も完全に消え去ることはないと思う。新しい街で働きはじめた時、周りの人たちが僕に対して腫れ物に触るように接していると感じていて、昔の自分なら出来たはずの普通の事があまりにも出来なくて情けない申し訳ない気持ちでいっぱいだった。けれどオンラインを超えた友達や、新しい街の人達の慈悲が僕に柔らかい心を齎してくれたと思う。
『スティール・ボール・ラン』のジョニィの言う「ぼくはまだ“マイナス”なんだッ!“ゼロ”に向かって行きたいッ!」がとても深く理解出来る。
こんな自分が働かせてもらえる事も、こんな自分に会いに来てくれる人も全てが周りの力によって作られた世界だとしてもここに居続けようとする努力は止めちゃいけなくて多分自分が何をやったって人並み以上には出来ないかもしれないけど、僕はもう自分をこれ以上卑下したくないし、他人に迷惑をかけて生きていたくない…。僕もマイナスをゼロに戻したい。
僕が僕である以上その因子の一つにオタクは永遠にあり続けて、いつか他の全てを失うとしてもやっぱりサブカルと心中しなくちゃいけない(逝けない)って思っている。けれどもうあの時の様にどんなに孤独であっても自分の心まで乖離させて抜け殻になるほど、僕自身が否定することはないと思いたい。この街を去っても柔らかい心はきっとここに有り続けると信じたい…。


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