N-Log④〜架空の条件を元に「ジレンマ」の解決について考える〜
どうもFuyaです。
個人的に一つ始めたことをちゃんとやり通す継続力がないのが目下の課題なのですが、なんとかこの記事は第4回目まで続けることができました。
今回もN高通学コースのプログラム「Nゼミ」についてのんびりと書いていこうと思います。例によってNゼミについての詳細は第1回目を合わせてご覧いただければ幸いです。
今回はいつものような「課題解決」という視点ではなく「もしこのような状況だったらあなたはどうするか?」ということについてロールプレイのように思考する今までにない形式でした。それではさっそく見ていきましょう。
テーマ:「あなたは結婚しており、重い病気である妻がいる。その病気を直す特効薬が開発されたが、開発者は原価1000万円の薬をその10倍の1億円でのみ販売すると言っている。あなたは苦労して1000万円は用意できたが、これでも開発者は首を縦には振らなかった。この場合、あなたはこの薬を盗むか?盗まないか?」
・立場が違えば正義が違う
それぞれの回答はこんな感じ。
盗む派
・自分で盗み、薬を使用した後に罪を認めて自首する。
・用意した1000万円を元手に誰かに依頼して盗ませる。
盗まない派
・社会的に糾弾する。
・開発者側の意向を汲み取り、諦める。
その他
・当事者である妻の意向を聞く。自分は妻の意志に従いたい。
人数で言うと盗む/盗ませるが2人飲みだったのに対し、盗まないと答えた人は5人、その他は1人。
理由を聞いてみると
・自分で非合法な行為をして、もしかしたら失敗すると助けられないかもしれないから。(盗む派/盗まない派でも同様の意見が)
・開発者の態度は気には食わないが、非合法な手段を使って手に入れた命に妻は喜ばないのではないだろうか。社会的糾弾をすることも手段としてはあるが、医者の側にも開発の為に借金をした、養わなければならない家族がいるなど事情があるだろう。(盗まない派)
ちなみに私の回答は最初の例として出した「盗んで使用した後に罪を認めて自首する」。自分は目の前で失われゆく命を前に手段を選んではいられないけれども、それでも非合法なことには変わりないので罪を認めて償ってから再会したい、という理由での回答です。
心理テストに近い感触もしましたが、この回答だけを見てもそれぞれの正義や信念を感じることができ、非常に興味深いディベートでした。
・解決策やその他のパターンを考える
先のようなテーマ・シチュエーションで描かれたドラマや小説、アニメなどの作品は非常に多いのですが、実際にはそう言った事例は少ないようです。(軽く調べた程度なのでもし類似する事例がありましたら教えていただけると幸いです。)
今回のディベートでは「ジレンマを抱える問題に対して自身の正義や良心と照らし合わせてどのように考えるか?」ということが目的だったので使用できないという条件付きでしたが、難病手術の為のクラウドファンディングを時折見かけるように実際にはその他の解決手段も残されています。
先のような状況を想定してのロールプレイ的な質問は、登場人物を置き換えることでかなり受ける印象が変わってくるのも特徴の一つですが、少々別の条件に変えて受ける印象についても検討してみようと思います。
・その他の例
自分の娘が重い心臓の病気となり、心臓移植をしなければあと2ヶ月持たないと言われた。自分は移植の為には5000万円が必要だと言われたので、クラウドファンディングをして半分の2500万円まで集金中である。しかし、同時期に同じ病気に苦しむ娘と同い歳の子供の親が5000万円を即座に用意し移植手術を受けられることになった。だがその子供の方がまだ余命まで時間があるとされている。この場合、医療関係者もしくは同い年の子供の親を方法を問わず説得し、自分の娘に手術を受けさせるか。
先の場合では考慮する人間は提供者サイドのみであったので、「盗む」というような強引な手段も取ることができましたがこの場合では娘の命を救うことによってもう片方の他者の子供の命を助けることは難しくなるでしょう。また開発者とは異なり、開発者側のある種個人的な理由で提供を行わないのではなくこちらは相手の方が正統な条件を提示しています。こちらの方には時間も金もない、しかし相手側には時間も金もある、と言うところでこちらへの同情を求めるのか。それとも医者や関係者を資金やその他の手段を用いてなんとか説得するのか、等。これもまた人によって答えが変わりそうな問いですね。
・何を信じるのが良いのか
こうしたジレンマを感じた時、個人的には自分の良心に従うほかないと思っています。自分が大事にしたいものは何か、真に守りたいものは何か。世間や社会的道義に逆らったとしても大切な人を守ることも、社会や世界の不条理に怒りつつも受け止めることもどちらもが正しくてどちらもが強い答えですし、自身と違うからといって頭ごなしに否定することもまた違うのではないでしょうか。
今回はいつもにも増して抽象的な内容に踏み込むので難儀しましたが、この記事の目的である「読んでいただいた上で何か考えたりする助けになれば良い」という目的は一番達せられているように感じます。
なお、本記事に出てくる事例は架空の事例であり、実在の人物・団体・事象に関連するものではありませんのであしからず。
それではまた再来週の次回にお会いしましょう。
@fuya_nnnn