終わらないで今日、忘れないで明日


瞬間的な幸福はやがて流れゆく記憶だと分かっていても、いつまでも消えずに胸の中で光ってほしいと願ってしまうことがある。例えばそれは私にとっての今日のような日。人の名前を聞いた瞬間に忘れてしまうくらい短期記憶力のない私が、百年経っても覚えていようと自分に誓いたくなるようなふつうの日。


気温が高く日差しの強い夏日だった。恋人と久しぶりに駅で待ち合わせて、手をつないで歩いた。水族館は親子連れでごったがえしていて、ぬいぐるみを買ってもらえない子どもが全身をつかって泣きわめいていた。マグロの泳ぎは早く、海鳥はたのしそうに水を掻き、深海魚の目は大きく見開かれていた。


カメのぬいぐるみを買って、観覧車に乗った。「ハチミツとクローバー」という漫画に出てくる観覧車だ。わたしはその漫画を読んで、恋人ができたらいつか一緒に行こうと思っていた。観覧車は微かに揺れながら昇っていく。こわがりの恋人がこわがるところがかわいくてスマホで動画を撮った。楽しいことや嬉しいことがあると、わたしはすぐに動画を撮って友だちに見せびらかしたがる。だけどこの動画は誰にも見せないでおこうと思った。誰にも見せたくないくらいかわいいから。


水上バスに乗って、お台場に行った。つよい潮風が髪の毛を撒き散らして、前髪がばりばりになった。夕日が雲に隠れると、すぐに肌寒くなった。恋人の体温は高くて、わたしの体温は低い。寒いのに熱を奪ってしまうことが申し訳ないなと思ったけれど、離したくなかった。


休日はわたしにとって、物語を詰め込みたくなる日で、そういった意味で、今日は何もしない一日だった。だけど、本や映画や音楽やツイッターがなくても、わたしは恋人といるだけで良かった。それだけで良いのだと思えるくらい好きなのかもしれなかった。それはわたしの絶望で、同時にわたしの希望でもあった。


恋はやがて失われゆくものだと知っている。約束も指切りも果たされるためのものではなく、今の気持ちを確かめ合うためのものだと知っている。それでも今日のわたしは恋人の胸のなかに立っていたなら、そうであったならいいなと思う。恋がいつか終わったとしても、今日を生きたわたしは永遠に、きっと隣を歩く恋人の横顔だけを見ているのだろうと思う。



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