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ケセンロックと私。

 2015年から毎年、海の日の3連休は岩手の種山高原へ帰ると決めている。天気はだいたい雨で、長靴とレインウェアが正装だ。そんな中、私はそこでキャンプをする。テントを張って。大好きな田舎の夏祭り、KESEN ROCK FESTIVALに参加する為に。

 昨年開催10回目を迎え、今年はフェス自体が力を蓄える為に前向きなお休みをしている所だった。コロナ禍で今年の音楽フェスはことごとく中止になる中、例年なら荷物をそろえたり、天気を心配する時期だったので、大好きなケセンロックについて、少し書きたいと思う。私が参加した5年分の写真を見返しながら、今既にケセンブルーだ。

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 地元にUターンして、家から1番近い、と言うだけで行き始めたケセン。東京に住んでいた時は、いつでもライブハウスに行けていたけれど、地元に帰って来て音楽に飢えていた。昔だったら身軽に遠征だって出来ていたが、親の介護で地元に戻って来ただけに、中々これまで通り飛び回ることが出来ずに悶々としていた。そんな時、車で1時間半の場所で野外フェスが開催されていることを知った。えっ、山の中じゃん。私が地元を出るずっと前のあの場所は、牧場だったはずだ。半信半疑のまま、会場となる種山高原へ向かった。

 山の中の会場に着いた途端、そこにはちゃんとフェス会場が広がっていて、音楽が鳴り響いていた。岩手の山の中で、音楽が響き渡っていたのだ。高校、大学と岩手で過ごした私は驚きでいっぱいだった。だって、盛岡ですらライブをスキップされ、仙台か東京まであの頃はライブを観に行っていたのだ。知らないうちに、何だか時代は進んでいた。

 そして、会場のアットホームさに驚いた。ステージはMAX3,000人のキャパで、すり鉢状になっていて一番低い所がステージだから、どこにいてもステージを見る事が出来るし距離も近い。テントから1分でステージ、1分で飲食店、1分で物販、1分でトイレ、3分で駐車場。こんなコンパクトな会場だから、2日間もいると今年はどんな人がいるのかと、会場内の人が大体分かってくる。そして、会場中、みんなが優しい。みんなが笑顔で、きらきら眩しかった。

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 会場から何から、全ては手作りだ。このKESEN ROCK FESTIVALは、地元の普通の社会人が実行委員となり、企画・運営を行っている。ステージをはじめ会場も、実行委員の皆さんが、数ヶ月も前から本業の合間を縫って作りあげている。会場の草刈りも、お客さんたちのボランティアが集まって行っていたり、手書きのめくりや看板から何まで、本当にびっくりするぐらいの手作りなのだ。

 出店している飲食店も地元限定で、気仙地方の海の幸、山の幸が盛り沢山だ。生うに山盛り大粒ほたて三陸産ムール貝入りラーメンとか、ひっつみ汁とか、ラコスバーガーとか、岩手の地ビール・日本酒等々。毎年、ご飯を食べに行っているのではないか、と言う位よく食べて飲んでいる。また、気仙地方のゆるキャラ3体が入り口から出迎えてくれる。陸前高田のゆめちゃん、大船渡のおおふなとん、住田町のすみっこ。入り口で出迎えられると、帰って来たな、と感じてしまう。

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 私は途中からの参加だから、このフェスの始まりを直接知っている訳ではない。むしろ、出演しているバンドも、実はほとんどがケセンで初めましてだったりもする。なのにこんなに大好きなのは、スタッフさんもミュージシャンも、そしてお客さんも、みんなが同じ方向を見ているフェスだからなのではないか、と勝手に思っている。想いの方向と言うか、どうしてこのフェスを行っているのかとか、この山の中で音楽が鳴っている意味が、みんなに浸透しているような気がする。浸透力が半端ない。だから、あったかいのかもしれない。

 何回目かに参加した時、こんなことを言っていたミュージシャンがいた。バックヤードが一丸となってケセンについてみんなが考えているから、と。そして、俺たちを仲間にしてくれてありがとう、と。いや、それは私もだな、と思った。仲間に入れてくれてありがとう、と。地元を出て、10年以上が経ってUターンして、ようやく東北が好きになった気がしている。ケセンに参加させてもらえて、本当にありがとう。毎年夏の始まりはここしかないと思ってしまう。みんなと一緒にここで、新しい夏を始めたいのである。

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 夏フェス、と言うより、田舎の夏祭り。山の中だから、しょっちゅう雨が降ってドロドロで寒いし、晴れたら容赦ない日差しで暑い。携帯は圏外だし、半径20km圏内にコンビニもガソリンスタンドもない。環境だけ見たらとてつもなく過酷だけれど、あの山の中に音楽が鳴り響く光景と、あったかい人たちに会いたくて、来年はまた、「ただいま」を言いに帰れる様になることを、楽しみにしている。

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