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じんせいあんぎゃだね

とあるがん検診にちょっと引っ掛かりました。次の検査に進むみたい。
今までは検査結果聞きに行かないでほったらかしてても
なにも言われなかったんだけど
昨日病院から結果聞きに来るように電話が来て
あ~これは?もしや?と思ったらやはり陽性だったみたい。

とはいえまだ序盤も序盤なので悲観的になる段階でもないのですが

まあ順当に年を取るなぁと思ったね

若い人でもなるものだけど
健康な肉体のまま終わりを迎えることってなかなか難しいし
老いとは健康を少しずつ手放すことなのかな~なんて思ったりして
自分も例にもれずしっかり(病気は置いといても)死に向かっていること
なんとなく意識できた日でした。

ショックなのかなあ、よくわからない。
あまり理解してないし、しなくてもいいかなと思ってて
調べて不安に思ってもすることないしね。
楽しく過ごすしかないっしょ~~~

死について考えるといつも、自分の人生の尊さに気付く。
私の人生は笑顔が溢れてるなって感じる。
私の笑顔もだけど、周りの人の笑顔がイメージとして湧いてくる。
ああ感謝して生きよう、今ある笑顔を大事にしようって再確認できる。
私は生きて死ぬことを喜びたいんだ。

死にたくないって思いたくないことに気付いた

死を怖がりたくない。
絶対に死はこの道の先のどこかに待ってる。逃げられない。
そしてそれは今生きている全員の道の先にいる。
特別なことじゃない。平等に与えられた当たり前のイベント。
怖がる必要はない。
でも私の中には不安がいる。
死を目前にしたときに「死にたくない」と思いたくない。
拒絶したまま飲み込まれたくない。
そうなる自分がいる気がして、それが怖い。
たぶんきっと、本能的に死は暗くのしかかってくるんだ。
生きたいと思うように、脳ができてる気がする。
もし私の死がにじり寄るタイプだったら、
気配を感じるころにまた考えが変わったりするのかな。

そんなことを言ってる時点でまだ他人事だな。
死ぬことは確定。
今、生きてることも確定。
大好きな人たちが今、元気なのも確定。
それだけでいいか。それこそ考えても仕方ない。

今日も実家でした。
猫が一緒に寝よう、布団に連れてってと言うので
今日は布団で寝転んで書きました。
一人暮らし始めて(始まってないが)まだ一週間くらいなんだけど
同時進行でいろんな手続きしてて忙しくて
こんなふうに日々を転がっているうちに人生はゴールを迎えちゃうなと
なんとなく思って、
それがなんだかちょっと嬉しいような、幸せな気持ちになる。
周りの人の笑顔があるから幸せなんだよな~また大感謝祭始まっちゃう!

七転八倒しながら楽しく死んでいこ~!

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