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桜の花 咲く頃に

今年も 美しい桜があちらこちらに咲き誇る。

一年前、またこの美しい花を晴れやかな気持ちで見れますようにと 舞い散る花びらに願いを込めた。

この一年、生命と向き合う日々が多くあった。

昨年、妹が 癌になった。

今どきは医者も本人にはっきり告知する。
妹は未婚。頼るのは母や私。

以前、手術前に書いた記事 ↓

悪い所は取ってもらおう。そしたら大丈夫だ、大丈夫。。。2019年、春。

一緒に住むパーキンソン病を患う母は足も不自由。家で娘を案じる。手術当日、「頼むね。」と 何度も私の手をとった。

私は一人  病院の待合室で待つ。

大きな窓から大阪城が見える。

手術待ちは慣れていた。
体の弱かった父は数え切れない程体に術痕があった。
母も数回。息子は3度の手術。3度目は永遠に目を覚ますことはなかった。
家族の時には成功は願っても、「自分の命と引き換えにしてでも どうか助けて欲しい!」とは思わなかった。それは可愛い息子の時だけだった。

願い叶わず その後の命も生かされている私は以後、家族と自分のために悔いない人生を送りたいと決心する。

無事終わったと、術着のままの主治医から説明を受ける。トレーには さっきまで妹の体の中にあった臓器をみせられた。今もその時の血なまぐさい臭いが忘れられない。

手術をしないとわからなかった、、、。

手術をしたから早期でわかった、、、。

また、悪性腫瘍がみつかった。

そっちの腫瘍の方が厄介だといわれる。

さすがに妹はその場で泣き崩れた。

そばにいた私は涙はでなかった。

退院後は 我が家で療養。

その時期は私もまだ仕事をしていましたが、夏に退職。 母と妹のそばにいます。

直ぐに化学療法・抗がん剤治療が始まった。
半年投与。入退院の繰り返し、回数を重ねる毎に 髪は抜け 副作用との闘いでした。
やがて頭はツルツルになり、
母はその姿を「今、出家してるんやね」と笑い飛ばした。母が気落ちしないのが救いでした。
我が家はみんな明るい。そう、髪はまた生えてくる。
味覚は度々おかしくなったが、食欲はあったので 私は食事の方でもサポートをしました。

治療が一段落し、今もまだ一緒に暮らしています。
髪も少しづつ生えてきました。
ツンと生えてきた毛は なんとも可愛い。
毎朝 私は 彼女の頭をなでなで するのが日課になった。
元気な時は髪は伸びるのが当たり前だと思ったけれど、今は伸びる髪に感謝と生命力の強さを感じでいます。

「おはよう!」
今日も元気に皆の顔が見れる。何よりも嬉しい一日の始まり✨

次に再発したら余命も免れないといわれている 妹はいつも検査の結果を聞く時は私に同行して欲しいという。相変わらず甘えん坊だ。

大丈夫。大丈夫だよ。

医学の進歩は日進月歩。

今日に感謝、楽しく朗らかに生きていこう!

来年の桜も、次の年も、5年後の桜も一緒にみよう。きっと美しい✨生命の煌めき✨今年の桜の何倍も🌸

桜舞う春に、感謝を込めて

生きてくれてありがとう。


心が愛で満たされる曲 ♡ 「いのちの歌」

コロナでお亡くなりになられた方の尊い命。

今、救える命を一人でも救えますように🙏

皆様も お気を付けて お元気でお過ごしください。



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