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やる気が地の底まで落ちたから、自分の身体で実験をしてみた

 6月24日 月曜日。すごく病んでいた。
かろうじて仕事(本業)には行っていたが、「もう何もやりたくないし書きたくない。やる気もないしどうでもいい」。そう、すべてのことに対して投げやりになるほど、メンタルがズタボロにやられていた。

こうなったことへの、思い当たる原因はひとつ。先週、コロナにかかったことだ。なんでも、コロナの後遺症として「落ち込みの酷さ」や「気力の低下」などの精神症状が出る人もいるらしい。現に、SNSでは後遺症ではないかとのコメントもいただいた。

そうか……。じゃあ、今は無理せず休むときなんだな。そう思った。しかしそう思うと同時に、自分のなかにものすごい違和感が駆け巡ったのだ。

「本当にそうか?」


いや、実際にいるとは思う。コロナにかかったことで、精神的に不安定になったり、不調をきたしたりする人はたくさんいることだろう。現に、コロナはそれくらいの威力があった。ただ、それを自分に当てはめた時、盛大な疑問が残ったのだ。

この?図太い私が?コロナくらいで?病むか?、と。頭のなかが「?」でいっぱいになった。なんとなくだが、体調が優れないうんぬんより、この激しい落ち込みは、約2年間続けてきた習慣が一気に崩れたことが要因ではないかと、この時そう思った。

そう、この2年。職(本業)は変われど、私はずーっと本業と副業、プラスαで小説やKindleやnoteの執筆を続けてきた。休日だってほぼ休むことはなく、精力的に活動をしてきたつもりだ。そんな生活を続けてきたわけだから、もちろん、疲れる日だってたくさんあった。だけど、苦だと感じたことはまったくない。むしろ、私にとって日々の執筆は生きる気力となっていたのだ。

しかし今回、重ために体調を崩したことで、その習慣が突然崩れてしまった。それと同時に、メンタルもぶれぶれになってしまったのだ。
となると、私は休息を取りすぎたことで病んだという判断になるわけだが、現に、未だすこぶる体調が悪いことも事実である。

この場合、どうしたらいいのだろう。他の人のアドバイスどおり休むべきか、無理にでも元の生活に戻すべきか。究極に悩んだ。なんとなくだが、ここで判断を誤ると、精神的に危ない気がした。

しかし、私もこれまでの人生、だてに生きてきたわけではない。割と荒波をくぐり抜けてきた自信はある。
そこで思った。閃いた。
「よし、どーせなら自分の身体で実験をしてみよう」、と。

簡単に言ってしまえば、メンタルがやられた時、自分がどういう行動をとるのが一番良い選択なのか、把握しておこうと思いついたのである。そうと決まれば、さっそく実験スタートだ。

6月25日(火)
この日は‟心を休める”という選択をとった。本業から帰宅をして、料理も執筆も一切しない。何もしない。代わりに、ミスドを食べながらNetflixで映画を観ることにした。

わくわく度:★★★★☆
メンタル安定度:★★★☆☆

ちなみに、ネトフリで観た映画はこちらである。

砥上裕將さん原作の、水墨画をテーマにした作品。こちらの作品はすでに、小説も読了していた。

家族を事故で亡くした主人公が、水墨画との出会いで自分自身や過去と向き合い、人のなかへと還っていくストーリー。

正直、死別を描いた小説や映画は綺麗事が満載で、個人的にあまり好まないものが多い。だけど、この作品は違った。言葉、表現、どれひとつをとってもじんわりと寄り添ってくれる優しさが込められている作品だった。映画という映像になってしまうと、やはり駆け足感は否めなかったけれど、映画は映画でとても良かった。ストーリーはもちろん、キャストが最高である。そして、普段馴染みのない水墨画の美しさに、心の奥底から魅了されるような、そんな物語だった。

気になる方はぜひ。
個人的には小説を読んでから、映画を観ることをおすすめしたい。

6月26日(水)
ちょうどクライアントから構成が返ってきたこともあり、この日は‟執筆”をすることにした。どれだけ身体がダルくてもやる気がでなくても、焦りで気持ちが疲弊しそうでもやめない。本業から帰宅をして、決められた時間、デスクに向かう選択をとった。

わくわく度:★★★★☆
メンタル安定度:★★★☆☆

やる気がでない、できない、無理……。となっていたが、やってしまえばできるのが人間である。同時に、楽しさも甦ってきた。

もちろん、副業といえど仕事のため、責任も伴うし、未だ難しさも感じる。だけど第一に、「私はこの仕事を楽しんでやっていたんだ」という感覚を思い出せた瞬間だった。なんだかんだで、私は仕事が好きなのだ。

6月27日(木)
そろそろ疲れてくる木曜日。だけどこの日は‟運動をする日”と決めていた。
寝込んでいたことで身体がだるだるになってしまって、それもまた気持ちが疲弊しているひとつの原因だった。やる気が出なくても、「実験」と称してしまえばできるものである。本業から帰宅後、筋トレからの、YouTube(ひなチャンネル)を見ながらエア縄跳びをした。

わくわく度:★☆☆☆☆
メンタル安定度:★★★★☆

まったくやる気もないし、やりたくもなかったが、やっぱり運動ってすごい。とてもメンタルが整った。そういえば職場の先生(医師)も、「運動は脳や自律神経が整うからね」と言っていた。やはりどれだけ忙しくても、日常に運動は取り入れていきたい次第である。

6月28日(金)
この日は‟身体を休める日”。だから当然執筆もしない。寝た。本業から帰ってきて、すぐに寝た。構成の締め切りも迫っているが、実験中だから仕方がない。何もしないで、ただただ寝た。

わくわく度:★★☆☆☆
メンタル安定度:★☆☆☆☆

寝たことにより身体は休まった。ただやっぱり、‟仕事(本業)から帰ってきてただ寝るだけの生活”はつまらなく感じる。やっぱり、私は「何もしないで休むこと」、つまり、「休むときは休む」といったメリハリ思考が向いていないのだ。
恐らく私の場合、日々だらだらとでも執筆をこなす「継続思考」や「習慣づけ」が合っているし、やる気も持続できるのだろう。不器用ゆえ、「やるときはやる!休むときは休む!」というメリハリをつけようとすると、途端にバランスを崩してしまう。思えば、昔からそうだったかもしれない。

それにどうせ休むなら、映画を観たり本を読んだりと、心や感性を豊にしつつ、身体を休めることが、自分にとってはちょうどいい。「何もしない」が向いていない性格は一見損にも感じるが、見方を変えれば最大の強みにもなる。だって、そのおかげで無理なく‟継続”を‟習慣化”させることができるのだから。

今回、「実験」と称し自分と向き合う……いや、自分を知る期間を取れたことは本当に良かった。自分を知れず、うやむやにただ休んでいても、きっと心の回復には繋がらなかっただろう。

やりたいことをやるための資本は、やはり身体だ。今回体調を崩したことで、それを痛いほど理解した。だから無理はしない。最近は寝る時間も、普段より1~2時間早めるようにした。だけど身体と同じくらい、心も資本だと私は思う。
だからこそ無理はせず、これからも自分に合った動き方を模索して、心と身体のバランスを保っていこう。実験の結果として、そう感じた一週間であった。


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