楓花
自身の幼少期の体験も兼ねて、アダルトチルドレン(AC)の克服過程について少しずつ綴っていきます。似た境遇にいる人の参考になれば幸いです。
シナリオのライティング、主にYouTube動画台本制作について、ノウハウをまとめていきます。少しでも参考になれば幸いです。 基本、完全独学&自己流で学んだことを書いていくため、そこはご理解ください!
魂が震えるような感覚を、たった一度だけ味わったことがある。 脳天を撃ち抜かれたような、時が止まったような、そんな感覚。とにかく、言葉では言い表せないほどの衝撃を受けた瞬間が、人生で一度だけあった。 あれは確か、2020年の5月ごろ。深夜、ベッドのなかでスマホを見ていた私は、たまたま、本当にたまたま、とある人物を発見した。 『なんだ?この黒い人と白いロボットは』 それが、研究開発者である吉藤オリィさんに対する第一印象。 気になる……。 もう遅い時間だったにも関わらず
先日、とある方とお話をしていて、唐突にこう聞かれた。 「母親のこと、好きですか?」 その問いに対し、私は正直に答えた。「好きじゃないです」、と。 「好きじゃないです。でも、嫌いでもない。だから、恨んだり憎んだりという気持ちもありません」 わりと即答だったと思う。だって、これは本心だから。 ちなみに、この質問を受けたのは私がアダルトチルドレン(AC)であることを、前回のnoteで打ち明けたからだ。 このnoteを書いたあと、いろんな人からいろんな意見をもらった。Xで
副業で、YouTube動画のシナリオライターを始めて、2年と3ヶ月になる。 思えば、最初はフリーランスになりたくて、ライターの仕事を始めようと決意した。いや、正確に言えば、あの時は当時いた職場から逃れたくて「ライターになりたい!」「フリーランスになる!」そう、口先だけで言っていたのだ。 けれど、現実を直視した時、簡単に「フリーランスになる!」と公言した自分を恥じた。甘い。すごく甘かった。私の考えは甘いのに、現実はそう甘くないことを案件をとおして知っていった。 それでも、「
10月28日、今日は彼の命日だ。 婚約をしていた彼が亡くなったあの日から、今日で3年が経った。 「もう3年」と言うべきか、「まだ3年」と言うべきか。その感覚は自分でもよく分からない。分からないけれど、この3年、本当によく頑張ってきたなと自分で思う。 本業を変え、副業でシナリオライターの仕事を始め、付き合う人も住む場所も日々の生活も、すべてがガラリと変わった。思えば、あの頃は毎日が必死だった。必死にいろんなことを詰め込んで詰め込んで詰め込んで。そうしなければ、生きていくこと
ビューやスキが増えたなぁと、漠然と感じる。 私は週に1度、noteにエッセイを投稿している。それがここ最近は、割と多くの人に読んでもらえている気がするのだ。いや、だけどもちろん、他のライターさんやnoterさんたちと比べると、差は歴然なことは理解している。大丈夫、皆まで言ってはいけない。 それでも、最初の頃と比べると明らかに読者が増えた。本当にありがたい。ただ、ありがたいと思う反面、こうしてじわじわ読者が増えることに、じんわりと恐怖を感じる自分がいるのもまた事実である。
これを書くのは、正直すごく勇気がいった。多くの人の目には触れないように、有料記事で書こうとも考えた。 けれど、さまざまな経験を経て、自分と正面から向き合おうと決めた今、思い切って全体公開で書くことにする。それに、幼少期の家庭環境が原因で生きづらさを抱えている人たちに対し、大好きな「書くこと」で何かしらの役に立つことができたなら、それはもう本望だ。不快な思いをさせてしまう部分もあるかもしれないが、見てもらえたら嬉しい。 タイトルのとおり、恐らく私はアダルトチルドレンだ。
ホテルマンとして働いていた頃、苦手な上司がいた。 何かにつけ他人の揚げ足をとり、嫌味を言ってくるタイプで、その上司と合わずに辞めていった人は私が勤めた8年間のなかで20人以上は見てきた。(今考えると怖い) それでも、自分的にはその上司含め、周りと上手くやってきた方だと思う。ただそれは私自身、人間力があるとか、できた社員だったというわけではない。単純に、周りの人たちに合わせていただけだ。 面白くもない話に相槌を打ったり、他の人の愚痴や悪口を聞かされても愛想笑いをしたり。社会
先週、文學界新人賞へ作品を応募しました。 はじめての公募への応募。ギリギリではありましたが、なんとか〆切に間に合わせることができてホッとしています。ただ、応援してくれた人たちには申し訳ないですが、今回は一次選考すら通過しないだろうと予想しています。謙遜でもなんでもなく。 というのも、作品を書き始めて少し経った頃、気がついてしまったんです。自分の腕の無さに。とにかく、視点の乱れと場面展開の下手さが全体をとおして目につきました。 ちなみに、視点の乱れとは以下のような文章のこ
私は毎週月曜日に、noteでエッセイを書いている。ただただ「文章力を上げたい!」という思いで始めたため、特にこれといってコンセプトを決めずにここまで書いてきた。 だけどここまで書いてきたからこそ、定まった思いがある。それは、「読んでくれた人の心が軽やかになる文章を書きたい」ということだ。今回はそのことについて語らせて欲しい。 * 基本、私がエッセイで書きたいテーマは「死別(生と死)」「気づき」「ユーモア」の3つだ。 まず、「死別」に関しては、過去にパートナーを亡くし
久々に耳にした「本音」だった。 もちろん、言葉を選んで話してはいたのだろう。それでも、あの時の私には、嘘偽りのない真っ直ぐな言葉に聞こえた。 意気揚々とコミカルに、時々苛立った口調で、感情のままに話す言葉の数々がなんだか心地良くて、気がついた時にはボタボタと泣いていた。 * 2021年10月、私は4年付き合った婚約者を癌で亡くした。 当時、私は32歳。パートナーとの死別を経験するには、あまりにも若すぎる年齢だった。当然ながら、周囲に同じ経験をした者はいない。つまり「理
先日、ものすごく久々に歯医者に行った。 というのも、私は虫歯というものがあまりできない。唯一の身体的自慢が歯並びがいいことでもあるため、日頃から歯はきちんと磨いている。ゆえ、歯医者とはほぼ縁のない人生を送ってきた。 しかし、6月にコロナにかかった際、喉が猛烈に痛かったことで数日間、飴を口に入れたまま眠っていた時期があった。どうもその辺りから歯が痛い。というか、しみる。 くそぅ、コロナめ。本当にろくでもない野郎だ。 そんな恨み言を呟き、仕方がなくネットで評判の歯医者に行
「他人と自分を比較しても意味がない」 「比べるなら、他人よりも過去の自分」 最近、特にSNSではそんな言葉を多く見かける。確かに、状況や環境、性格やライフスタイルも違う他人と自分を比べたところで、何のメリットもないだろう。 ただ、頭ではそう分かっていても、つい誰かと比較をしてしまうのが人間ではないだろうか。そして、勝手に劣等感を持ったり落ち込んだりする。私だってその一人だ。特に昔は、そういった感情が大きかった。 しかし、誰かと比較をしてその都度落ち込んだり羨んだりしてい
子供というのは素直で、純真無垢で、時にあざとい生き物だと感じる。 * 私は地元の総合病院の、小児科で働いている。 ゆえ、日々たくさんの子供たちと接している訳だが、その日も普段と変わりなく、診察室で先生(医師)の診察についていた。 この時の患者さんは5歳の男の子。母親と先生が話している間、私はその子の遊び相手をしていた。そして診察が終わり、処方箋や予約票を持って待合室に出た時。 「あ!さっきの可愛いお姉さんだー!」 そう言って、先ほどの男の子が駆け寄ってきたのだ。 ま
蜘蛛がいた。 夜も更けてきたこの日、家で小説を書いていた私は、何やら気配を感じて振り返った。すると寝室のカーテンに、1匹の蜘蛛が止まっているではないか。 無論、道産子の私は昔から虫が平気だ。子供の頃はよく、虫かごを肩に掛け、虫網を手に持ってはトンボや蝶を追いかけ回していた。だから今も、足長蜘蛛くらいなら素手で掴んでポイっと外に放り投げられる。それくらい、虫は平気なのだ。 だけどこの時の蜘蛛は違った。そこそこでかい図体をしている。 だから素手で掴むのはおろか、万が一取り
「パートナーを亡くした自分より、子供を自殺で喪った人(親)の方が辛いだろうなって思うんです。……変な言い方になっちゃうけど、僕たちはこれから先、また誰かと知り合って付き合うこともあるかもしれない。だけどやっぱり、子供って、替えがきかない存在じゃないですか」 表情を変えないまま、そう語るその人を見て、私は言葉に詰まった。 自分だって、パートナーを自死で亡くているのに、第一発見者なのに、日々辛く、苦しい思いをしているのに……。 そのような状態で、他人を思いやる姿勢を持てること
職場に「この人、私のことが嫌いなんだろうな」と思う人がいる。 最近はそうでもないが、入社当時、あからさまに私にだけ当たりが強かった。私がいる場で閉める必要のないドアを閉め、こちらに聞こえないように、何やらヒソヒソと話されることも日常茶飯事だった。 だけど、私は大して気にしていなかった。というのも、元々全員に好かれる必要はないと思っていたし、正直それくらいのことは覚悟していたからだ。 企業に勤めると、さまざまな人と同じ場で働くことになる。これが初めての転職ではなかったし