39. やっと自分を好きになれた
ずっと自分が嫌いでした。
いや、「嫌い」というよりは「嫌」だったんだと思います、自分のことが。まぁ、その理由はいろいろ。
長くなるので省きますが、とにかく物心ついた時からごく最近まで、‟自分で自分を認める”といったことができずにいたんです。
そのせいか、昔は他人からの評価や評判にも敏感でした。自分で自分を卑下し、落ち込むこともよくありました。
そうなると、どうなるか。
もうすっごく生きづらかったです、毎日が。
だけど当たり前ですよね。寝ても覚めても自分は自分にしかなれないのに、その自分を認めることができないのだから。そりゃあ生きづらいだろうよ、と。
そのため、昔は自己啓発本も読みまくりました。何冊も読んで、納得したフリをして、また読んで。そういった行為を繰り返しても、結局自己肯定感なるものを上げることはできませんでした。
そんなの当然だよなと、今考えるとそう思います。だって、「自己肯定感を上げよう!」としている時点で、すでに自己肯定感が低いんだから。その状態でなにをどう動いたとしても、簡単に変われるはずはありません。
いや、それで上がる人もいるとは思います。自己肯定感を上げようと行動をすることで上がる人。それはそれで素晴らしいことです。
ただ、私は無理でした。元の自分を誤魔化して足掻いたところで、何も変化は起きず。一瞬上がったように見えても、それは単に表面的なものにすぎない。むしろ、余計に苦しくなった側面すらありました。
昔、なにかで「大人になってから自己肯定感をあげようとするのは、大人になってから身長を伸ばそうとするようなものだ」といった言葉を聞いたことがあります。
確かに……。大人になった今、自己肯定感を上げようとか、自信をつけようなんて無謀な話なのかもしれない。
その頃は、本気でそう思っていました。それなのに、35歳を目前とした今、「私は自分のことが好きだ」と胸を張って言えるようになったんです。なぜか?それは、‟自己肯定感というものを気にしなくなったから”。
不思議ですよね。自己肯定感を上げよう上げようと頑張っていた頃は上がらず、自己肯定感の存在を忘れた途端、生きやすくなっただなんて。
ただただ、目の前のことだけに集中をしてがむしゃらに突っ走った結果、自己肯定感の存在がどうでもよくなっていました。
私は2022年8月からライターを始めて、翌年の4月には本業の転職もしました。そのため、正直当時はいっぱいいっぱいだった記憶があります。
環境が変わって、やることも付き合う人も何もかもが変わりました。目の前のことに必死で、必死すぎて、それ以外を考える余裕はありませんでした。
だけどそのなかで、できなかったことができるようになり、知識も経験も増えていきました。思考も価値観も変わって、気がついた時には自分で自分を認めることができようになっていたんです。
ただ、自分に自信があるか?と問われたら、それは少し違う気もします。だから、決して自己肯定感が上がったわけではないのでしょう。それよりも、揺るぎない自尊心が形成されたと言った方がしっくりくる気がするんです。
これはひとえに、私に仕事を託してくださるクライアントや、周りの人たちの影響も大きかったと思っています。特に、ライターを始めてから知り合った方々には感謝しかありません。ありがたい、本当に。
こうなった今、すごく生きやすくなりました。身軽of身軽。
「私は私」という概念が備わったおかげで、他人からどう思われるかも気にしなくなりました。万人に好かれたい願望もないので、私のことが嫌いな人は嫌いでいいし、好きになってくれる人はありがとうと、そういった心持ちでいます。むしろ、誰かに嫌われるのも人間らしくていいかな、と。
人に褒められたり、認められたりすることはもちろん嬉しいしありがたいけれど、今となっては承認欲求もあまりありません。
こう書くと、「いやいや、承認欲求がないなんて嘘でしょう。単に向上心がなくなっただけでは?」と思われるかもしれませんが、それも少し違っていて。
恐らく、社会的欲求を飛び越えて、自己実現の欲求が高まったんだと思います。今は自分自身に集中していたいし、夢中でありたい。そのため、欲はしっかりあります。私はいつだって、己を越えていきたいです。
ただ、「私は私」が行き過ぎたせいで、自分勝手で傲慢な人間にはならないように気をつけたいとも思っています。自分軸と我が儘を履き違えない人間でありたい。
元々望んでいた、自己肯定感が高い人間になることはできなかったけれど、自分で自分を認めることができた今、本当の意味で自分と正面から向き合えている気がします。やっと。
形や想いは変われど、いつだって自分だけは、自分の1番の味方で在りたいものです。
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