地球人のリーダーを目指すワケ①
※3580文字縛りの推敲なし即興文です。
どうも、はてんこうしです。
現実離れしているような、目に見えない世界や精神世界方面の話の時は、はてんこうし名義でいきますね。
地に足ついて現実的方面は、
坂本浩史朗でいきます。
どっちも自分なんですけど、今まで生きてきた感じでどうもやりにくくて。
僕は魂が2人分あるらしい。
これはオーラというか透視というか色々見えてしまう系の方に言われたことで僕が勝手に言ってるわけではなく、言われたことなのですが、
本当かどうかはともかく、そうだとした場合に自分の中で納得感のある感覚があるってこと。
僕っていつも、その時々の場所や人で呼ばれ方がコロコロ変わるのです。今まで呼ばれたことがあるのが、
こう、こうしろう、こうし、こうくん、こうちゃん、坂本くん、こうしろうくん、こうしろうちゃん、さかもっちゃん、こーしくん、もっさん、もっちゃん、いっくん、ころちゃん、坂本さん、こうしろうさん、こうしさん、こうしろう兄さんとか、、
これくらいかなぁ?
ああ、あと高3の時にナメックってごく短期言われてたわ。地球人じゃねぇ〜
確か、ノリで緑色のブリーフ一丁で高校の近くの人が入って行かないような川に入って行った時きっかけだったなぁ。笑
もはや何と呼ばれてもよいのですが、これからの新章は新しいあだ名でいこーかなと思って。
この前とある集まりがあり、自己紹介のときに、なんかみんなあだ名で言い合う雰囲気&なんて呼ばれたい?と問われて、
ん〜何でもいいけど
なんか逆にいいのないかな?
て問うたら、
こっしーってでてきて、
新しいし、呼ばれたことないから、それ採用!ってことで、
これからはこっしーでいきますよ。笑
呼びたい方は、歳上も歳下も関係なく、氣軽にこっしーで大丈夫◎
僕は自分が相手を尊重できる呼び方で呼ぶとは思いますが、呼んでほしい呼び方があればそれで呼ぼうかなと思ってます。
まぁ、でも今までの関係性とかもあると思うから好きに呼んで下さいませ〜
これからの新しい出逢いではこっしーでいこうと思うよ。
坂本浩史朗と、はてんこうしが
どっちもが自分の中に渦巻いていて
そこに整合性を持たせることに
いつもエネルギーを使うんだな。
どちらかというと小さいころから
はてんこうしモードが多くて
でもその感覚だと現実でめっちゃくちゃ生きにくいのです。笑
その感覚を大事にした上で現実的に生きていく術を身につけて来たのが今までのストーリーでしょうね。13歳〜27歳くらいまでの15年間ははてんこうしモードを封印していたと思います。そうせねばならないような現実が常に目の前にあったからです。本当の自分を常に押し殺してきて、その癖がついてしまった。
その癖のままで、現実的にもある程度はできちゃう自分に寄せていった。それってつまんないんですよね。
それではいつまで経っても本当の自分を、人間を解放することはできないんだとここへきて悟った。
30歳の時に自分の中で覚醒して、生まれてきた意味を思い出した感覚を取り戻して、
もうすぐ38歳。
0〜12歳までと28〜38歳までの23年間ははてんこうしモード寄りかなと。
今はどっちもある程度は
人によって話が伝わる度合いで使い分けができるようにはなってきた。
∞
地球人のリーダーを目指すなんていうことを考えたこともない人からすれば、
はっ?意味わかんねぇ、何で?
ってなるんだとは思いますよ。
でもね、自分の中にそれが湧いてくる、感じる、思うってことは、
それ他の誰でもなく自分だから湧いてきてるわけで、じゃあ誰がやるかっていったら、
それをそう感じた人、発露した人、降りてきた人がやる役目なんだろうなと僕は思うわけです。
地球人のリーダーってすごく抽象的なんですけど、
なぜ目指すのかというと、
地球に恩返しをしたいという氣持ちが20代後半から湧いてきたからです。
なんで、地球に恩返しをしたいと思うようになったか。その経緯は、細かくいっていくと今までの流れや人生ストーリーの中で体験してきた様々な、氣持ちがそうさせていったといいますか、
30歳で意識が覚醒していく方向に向かわせたといいますか。
大学を1年留年して卒業し、23歳くらいのころ、夜の世界で少し働いていて心身を病み、1度目の人生の棚卸をして、今までの自分のマインドや生き方が腐りまくっていたと自覚して、確かこの頃に先祖供養をして一時期、般若心経を毎日音読してた。この頃は家族でも次々と不幸が続き、何でこんなにも嫌な状況が続いていくんだろうと悶々とした氣持ちを日々持ち続けていた。
今であれば、全部自分が蒔いた種を刈り取っていたということがわかる。今世に限らず、前世から脈々と続く精算ゲームやってんだなとか、自分じゃない見えないもの、霊的なものやエネルギー的な存在の影響も多分にあるんだなとか。
岐阜時代の生まれてから、中学生くらいまでは、親の顔色を氣にして従順だったなと、
中学の失恋をきっかけに
高校では県下トップクラスの進学校にも関わらず、勉強を切り捨てて学年ワーストの成績。小テストは各科目30枚くらい追試が溜まって、放課後は毎回職員室。
ボクシング部に入り部活一筋で、中学の卒業式の時に世界チャンピオンを目指しますとかみんなの前でデカい事口にしちゃったもんだからさ。かなりストイックにやった。尖ってて、ソリの合う友達も高3まではできなくて、孤独な高校時代だったなぁ。一人で休み時間にトイレとかにこもってたもん。自分を虐めまくってたね。失恋の傷が本当に痛かったんだと思う。ピュアすぎて。
そして、大学ではそんなピュアすぎて硬派な自分が嫌で、軟派でギャル男でナンパで女の子ばかりを追いかける日々を送るのです。これも、フラれたのは女性の氣持ちが分からないからだと、知るために沢山の女の子と接しないとと。男3人兄弟ですから、女の子のことが全然わからないわけですよ。
大学生までは特に、わがまま放題、好き放題やってきて、親に甘えまくってきたのですが、そんな親に親孝行をしたいと思うようになりました。
でも、現実的に
親孝行をできるような関係性に持っていけないのです。
これは、また深く噛み砕かないと伝えにくいのですが、
カルマなのか感情の渦に飲み込まれて、いつも争いの絶えない家族でした。
家族構成は、おとん、おかん、ばーちゃん(おかんの母)、僕、年子の弟、4つ下の弟の6人家族でした。
僕は世界平和とかそんな事考えるような人物ではなかった。平氣でタバコのポイ捨てやゴミを車の窓から捨てて、パチスロばかりやってた(これもまた別の失恋の現実逃避なんですけど)罰当たりな人間。
ただ、目の前の家族と仲良く和氣あいあいで楽しく暮らしたかっただけ。
だが、それが求めても努力しても手に入らない。直接的にはどうしようもない何かどうしようもない目に見えない力学が働く感覚が常にある。
何でなんだろうと。
ずっと悔しくて悲しくて。
22、3歳の頃に先祖供養をしてもらって楽になったことや不思議な体験もあって、
目に見えない世界のこと、
目に見える世界は、目に見えない世界のことが影響して現象化しているというのを自分の感覚で感じれるようになっていった。
親は離婚して家族はバラバラに。
その時僕は、坂本家はバラバラになることによって一つに向かっていくという、自分の中での納得感を得た。
一緒に常にいるだけが
家族じゃないし、愛じゃない。
一つになるために離れる必要があったんだと思うんだ。
それは、この宇宙とおんなじなんじゃないのかなと。
それで、僕は親孝行が直接できなくても、僕の行ったことが、巡り巡って家族に間接的に巡っていくんじゃないかと思うようになった。
だから、今自分の目の前で
世界に対して僕が家族に対してできなかったことをやろうと。
それが、巡り巡って、親に兄弟にばーちゃんにしたことになってつながっていけばいいと思うようになった。
だから、そうなるような善行を積もうと。徳を積むみたいな事だと思う。それだって、目に見えるもんじゃない。
この命がいずれ尽きるなら
未来の人たちの、また
多くの人たちのためになる事に使いたいと思うようになった。
それは、自分の家族や子孫にとってもだし、全人類にとってもだし、生きとし生きる全てのものにとってのものになればいいと。
それってなんだろう?と考えていくと、
この地球という、命を生み出す母なる星が、大きなみんなのお家が、美しく、健康で、僕らが味わった人生を、同じように命を生きられるような環境としてのおうちがちゃんと未来に残って続いている事だよなと思った。
だから、僕は親への恩返しが
地球への恩返しへと結びついていった。
ミクロかマクロかの違いで
想いの本質は同じなんだ。
そして、地球に恩返しをするっていうことはどういう事なのかを考え続けていく。
つづく
(寄り道多くて文字足らず)
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