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徒然なる自叙伝 4巻

(3580文字)

小学生のころ、田んぼでザリガニを大量に捕まえて、そのザリガニを歩道橋の上から、下の車に投げつけて、車に踏ませてた。

なんて残酷な事をしていたんだ、、ごめんなさい。

あとは、後に暴走族になるお兄ちゃんのチャリで2ケツして、団地中の家をピンポンダッシュしてた、ゴメンナサイ。

あとは、大工さんの木を拝借して、(ごめんなさい)山の中で木の上に三輪車でブランコ作ったりして登れるようにつくったりしてた。

振り返ると、謝る事だらけな氣がしてくるなぁ。

小学校のとある発表会。
確か市の文化センターみたいなところで、やったのですが、

真っ暗闇の中で
僕が第一声でセリフを言ってはじまるシーンがあった。

「闇の中で地球が生まれた」(僕)

海ができた(全員)
大地ができた(全員)

なぜか覚えてる。

思い出した流れで、話の流れ関係なく差し込んでいきます。

中学は成長期で、1年で身長が12cm伸びたり、部活で鍛えて身体がなかなかできてきた。

中学3年の夏休み。
毎日部活で、
僕は毎日同じメニューのご飯を食べていた。

ご飯大盛り、卵、納豆、おかか、ネギに醤油をぶっかけて、かき混ぜて食べる。

最近は食べてないけど、この組み合わせは絶妙なコンビネーションで美味いんだよね。

その時に、飯を食いながら
僕は飽きもせずに、毎日もののけ姫を見ていた。

多分、この時に20〜30回は観たんじゃないのかなと。

僕はハマったり没頭すると
なかなかの、エネルギーを発揮する。

なんで、もののけ姫に
ここまで異様に惹きつけられるのか、その時はわからなかった。

ただただ、わからないなりにその世界に引き込まれて、感じ取ろうとしていたんだと思う。

今となっては、僕のDNAの記憶や、魂の記憶として、関わりの深いものがあるからなんだと思っている。

そこは、だいぶ自分なりに考察して深めてきたからまた文章にできたらなと。

多分、もののけ姫の投げかけるテーマと、僕の魂のミッションが重なる部分がある事、

歴史的な背景のバックグラウンドと僕のルーツが交わってるからなんだと思う。

もののけ姫の公開された年が

1997年なんだけど、
1997年は僕が小6の時で

武蔵国分寺種赤米が発見されたり、狼が秩父の方で撮影されたり、他にも僕が影響を受けたり、氣になるものが、けっこう1997年絡みのものがあって、

何かあるんだろうなとは思ってる。

失恋でヤケクソになっていて
もう高校とかどうでも良くなっていた。

あと、中3の多感な思春期の時期に、家族5人で同じ部屋で寝てるのはキツくて、

めちゃくちゃわがまま言って
家を建て替えてほしいと訴えた。
もちろん、僕の意見だけでどうこうじゃないだろうけど、

高校1年くらいの時期に立て直すことになる。

エロ本に載ってる、エッチなダイヤルに自宅の電話からかけちゃいまして、電話代の請求が3万円以上になってしまったことがありまして、

おかんに冷静につめられて、
平謝りしました。ごめんなさい。

で、失恋して
勉強もスポーツもクソだと思ってしまい、

その時に、情熱大陸という番組で、青森出身の畑山さんという世界チャンピオンの映像を見た。
名勝負だった試合の相手の名前は、坂本さんだった。

そして、純粋にボクサーがかっこいいなと思ってしまい、
男は強さだと、猛烈な勘違いをして、

中学の卒業式の日に格好つけて、
ボクシングで世界チャンピオンになりますとかって、でかいこと言っちゃったんだよね。

振られたのが悔しかったんだと思う。

そんで、おかんが望んでいた地元1番の高校にボクシング部があったんだよね。

僕の学力だと、多分受かると思って、ボクシング部があればどこでもいいと思って受けたら受かった。

僕の事を好きになってくれた女の子もいた。直接聞いたわけじゃないんだけど、間接的に教えてもらって、3人くらいいた。

僕は恋愛対象ではなかったんだけど、好きになってくれてありがとうね。僕が振られた相手もきっとおんなじような氣持ちなんだろうなと。

高校に入ると、中学の雰囲気とはまた一転して、

今度は耐えられないくらいのクソ真面目な感じで、それはそれでキツかった。

そして、みんな各中学の学力トップクラスが集まっていて、めちゃくちゃ頭いいやつばっかで、

あ、俺無理と思った。
何か、そもそもの出来が違うといいますか、愛嬌と成績で乗り切ってきた僕としては、

完全学力勝負の弱肉強食感がマジで嫌だった。

中3の時に、痔ろうになっちゃって、手術して2週間か1ヶ月か忘れたけど入院してたんだよね。

それで、復帰後体力が落ちちゃって、ボクシング部入って早々になかなかにキツかった。

そして、ここでも先輩に目をつけられて、先生経由で、辞めろ的に言われた。

悔しくて悔しくて、歯を食いしばって耐えた。見返してやると。強さで見返してやる。

そうして、部活に打ち込んで
心を鬼にして、超絶ストイックになった。失恋の傷から現実逃避したかったんだと思う。

高校では、ノートを一切とらなかった。もう勉強しないと決めちゃった。俺には不要だと。

全く勉強しないから、全く勉強についていけなくなった。

学年でドベになった。
追試も各科目2、30枚くらいたまっちゃった。先生からも呆れられ、廊下に立ってろとか言われた。

余計に反骨精神が強くなる。
そして、その頃ハイスタとかブラフマンとかパンクロックが流行っていて、僕も好きになってハマっていた。

中学の頃から、友達とカラオケに行き出したりしてた。歌はそんな上手くなかった。だけど、歌うのは好きだった。音楽のセンスがないことは、コンプレックスだ。

目が悪かったから、メガネをしていた。ボクシングではコンタクト使えないし。だけど、メガネをかけている自分がいやだったから、

髪も切って短髪にして、メガネをしなくなった。

そしたら、黒板がボヤけて見えないから、ノートは書けないんすよ。

勉強より、裸眼の視力を重視した。

高校1年生の時に、初めて彼女ができた。突っ張ってる僕に向こうから近づいてきてくれた。僕は正直、前の振られた子の事を引きずっていて、

すごい好きだってわけじゃないけど、付き合う事にした。でも、僕のモードは完全にボクシングだった。

可愛い子で、数年後に同じ高校だった男子に聞いたら一部の男子の間ではかなり人氣だったみたい。

弓道部の子で、部活が終わった後に待ってくれていて、一緒に帰ろうとしてくれてた。

でも、僕が優しくしてあげられなくて、泣かせちゃったりしてた。

ファーストキスや、童貞を捨てたのもその子だったけど、
初めてだってのが恥ずかしくて、
もう経験あると強がって嘘をついた。

今にして思えば、色々酷かった俺。本当、ごめん。未熟だった。
どうか、今幸せを感じられる相手と過ごせていますように。

やっぱり、ボクシングに集中したくて、付き合って半年で別れを告げた。そこから、さらにボクシングに集中していく。

漫画はもっぱら、明日のジョー、はじめの一歩、ろくでなしブルース。

もう、なり切ってたぐらい感覚をインストールしていた。

僕は、現実の人間からより
漫画やアニメ何かの現実的にはありえないキャラとかから影響を受ける方が大きくて、

そのおかげで頑張れたと思うけど、ボクシングはほんと今思えばよくやったなと思う。

色んな意味でリスクの高いスポーツだし、

プロで世界チャンピオンになるって相当やっぱり凄い。観てるのとやるのでは全然違って、

高校は2分1Rなんだけど、
それでもめっちゃばてるんすよ。

フェザー級で、55-57kgの階級。今はアマチュアだとフェザー級ってないらしい。

当時は体脂肪5%で、
減量中は3食ウィダインゼリーとか、カロリーメイトだった。

軽量カップで水を飲んだ。
代謝が良すぎて、寝て起きたら体重が1キロ減ってた。

途中で、腰を激しく痛めてしまって、戦い方のスタイルも変わっていった。

初めは完全ファイター型だったが、腰を痛めてからはアウトボクサーよりのスタイルで、

最終その中間のボクサーファイタータイプになった。はじめの一歩でいうと伊達さんみたいな感じ?

一個上の先輩は12人くらいいたんだけど、僕の代は最初8人くらいいたけど、最後僕1人になった。

僕はキャプテンを務めて、
後輩は4人だった。

インターハイには14年連続?で出場してるみたいで、僕で途切れさせるわけにはいかないプレッシャーもあったし、東大行く人もいるような頭のいい高校で文武両道をかかげてたから、

地方に色んなところに合宿遠征にいったけど、舐められないようにいつもピリピリしてた。

もっと、同期や後輩に優しく接してあげられたら良かった。この時も、未熟で余裕がなくて一杯一杯だった。

顧問の先生には、浩史朗はベスト4には入れる実力があると言われていたけど、初戦でそのインハイでベスト2になるやつと当たって負けた。

小学生からボクシングやってたらしい。はじめての九州は、長崎のインハイ

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