徒然なる自叙伝 7巻
(3580文字)
地元のパチンコ屋は、
仕事に対する意識が格段に低かった。
いかにしてサボり
楽してバイト代をもらうかを優先していた。
仕事に対する態度も客を舐め切っていた。
インカムといって、
無線でやり取りをするのだが、
派遣の時は、このインカムを同時に使用すると使えない仕様だったのでタイミングをかなりはかって使っていた。
地元のパチ屋のインカムは性能がよく、同時に使っても不具合は起きずに使える仕様だった。
インカムで常連さんにあだ名をつけたりして、面白おかしくやっていた。
おんなじ業種でもここまで天と地の差が仕事にした時に、向き合う姿勢として生じるのかとその時に学んだ。
だが、郷に入れば郷に従うじゃないが、そこでの空氣感を無視してはそこではやっていけない。
僕も、よりクソみたいな感覚になっていった。文字に書くには忍びないことも、平氣でやったりしていた。
だが、そこでも見てくれてる人は見てくれていて、僕の働きぶりは他の人と違ってキラキラ輝いていると言ってくれた人がいた。
めちゃくちゃ忙しい時に
鬼のようにランプ(お客さんからの呼び出し)対応をさばいていた。
パチンコ屋は、空氣はタバコとかで良くないし、音がうるさいから耳にも良くない、そして、腰を痛めるなど、リスクの高い仕事でもあるが、
色んな人間模様の学びの場だった。
バイトはさておき、
Kの失恋からしばらくして
19歳の時に地元のケータイ屋で働いてる一個下の女の子と付き合う事になった。
弟と同い年の、Eだ。
大学の通学中の電車で一緒になったりして、距離が近づいていった。
ああ、そういえば
Eのケータイ屋に行ったときは、
自分の誕生日の日に
ノーヘルで原付を逆走して
右折する友人の車に巻き込まれてひかれて、
8mくらい一回転半して
コンクリートに顔面を強打して意識不明で、病院に運び込まれる。
ひいてしまった、友人は殺してしまったと思って泣いていた。
僕も、本当運が良かった。
脳の検査もしたが、異常はなかった。
顔面は相当膨れ上がって
しばらく、犯罪者のような顔をしていて、その時のパスポートが残ってて、のちに中国に行く時顔が違いすぎでガチで30分くらい入国拒否された。笑
Kとは、1番長く付き合って
1年3ヶ月続いた。
短くない?と思うかもしれないが、僕は飽き性なのか3〜5年くらい付き合った感覚だった。
ちょうど付き合ってまもなく、
僕は大学1年の授業で、1ヶ月くらい留学する事になった。
オーストラリアのブリスベンに行く事になった。
いや、その当時仲良くなり始めてた友人たちが7、8人くらいいて、(Kも含めて)
みんなで一緒に行こうぜ〜
とか言ってたんだけど、
僕が全然学校に行かないもんだから、みんなはアメリカのオレゴンに行く事になり、
僕は消去法でオーストラリアのブリスベンにしか行けなくなったんだよね。他にも、何ヶ所か色んな国に行けたわけさ。
ああ、また初対面からのスタートだね。全然氣にしてないけど。
だって、しょーがないじゃん。
オーストラリアの思い出は1ヶ月弱だけど、(いや3週間だったかな?)覚えてる事を書き綴ろう。
まずは、Eと付き合いはじめたばかりだったのもあり、
セントレアに送りに来てくれたんだけど、泣かれた。
オーストラリアで、携帯を契約して、ローマ字でしか打てないんだけど、メールのやり取りしてたわぁ〜
ブリスベンは、
シドニー、メルボルンに次ぐ第3の都市で、日本で言うと名古屋みたいな感じ?
思い出せる事を箇条書き方式にすると、
・ホームステイ先のロズ(白髪のおばーちゃん1人)のマニュアルの運転が恐ろしく怖かった。
・ロズが太極拳をやっていて、朝川沿いでやるのについていったんだけど、魂が抜けそうだった
・向こうの大学に通うのだが、
初日、片道バスで40分で帰れる道を、ホームステイの部屋が一緒になったS(男)と、4時間くらい道が分からなくなり、迷って諦めて野宿でもするかと言う時に、道を訪ねて帰れたんだけど、その時にロズは揺り椅子にゆられながらテレビを見ていて、ハロ〜みたいな感じで何の心配もしてなかった。
・タバコを僕もSも吸うという設定で申し込みしてたのに、タバコを吸ってるとロズにめっちゃ怒られた。
・ノッキングバードという、家の窓に突進してくる鳥がいる
・シャワーは水が貴重だから節約してくれとのこと
・冬だったはずだけど、太陽の紫外線がつえぇ。
・我慢できなくてバス停の裏で2回う◯ちしました。
・朝は、ロズチョイスの癒しの民族音楽的なのが流れてて氣持ちよかった。飯はオーストラリアはうまくねぇ。ご飯も。なんか全体的に微妙だった。(ごめん)
ロズの野菜にかける、バルサミコ系?のドレッシングがうまかった。
・ベットが柔らかすぎて寝れない時がしばしば
・はじめの1週間興奮!次の1週間、慣れる。次の1週間、日本に帰りたい!
・ハングリージャックス(バーガー屋)の女の定員の態度悪すぎ
・オーストラリア人、働く氣あんまない
・17時で店しまるし、土日やってねぇ。日本人働きすぎ。
・ファイヤーワークス(花火)が日本の趣とは違ったが圧巻
・カンガルーと、ワニの肉は食った。うーん、まぁそこそこ?
・台湾人の金持ち?のジョシュアと友達になって、色々と教えてもらったり、台湾料理とか食べさせてもらった。家にサウナとかついてた。
・中国、韓国、東南アジアなど
お金持ちの子どもたちが留学しにきていた。
・エロ本にモザイクがない。合法。
・ストリップにはもちろん行ったけど、誘われたが意味がわからなくてスルー
・警官がピストル持って普通に街にいる。カジノとかあった。
・ヴィラボン(サーフブランド)の店員さんのガタイ良すぎ。ゴールドコーストににもいったけど、
波が強すぎて吹っ飛ばされる。
こんなとこ入れないと思ったところに、つっこんでいく勇ましいサーファーもいる。看板では危険、入らないで的な場所。
・アボリジニの人たちと合う。長的な人に、お前は特別だと言われて、顔にみんなと違うペイントをされた。あの人は氣持ちのいい人だった。がっちり抱き合って写真撮った。
・大学では基本的に先生方にあきれられていた。笑
スウェットでカチューシャとかして、ヤンキーみたいな感じだった。。
・xxxx フォーエックスっていうビールが主流。オーストラリアでは、人差し指を立てると、ビール一本ちょーだいの意味らしい。
・コアラはクセェ
・鳥の鳴き声が異国
・ロズ、本当にありがとう。最高に素敵なキャラでした。出逢えて光栄でした。あれから、20年、あの世かな?この世かな?
また、逢いましょう。
思い出せばまだあると思うんだけど、ざっとこんな感じ。
やっぱり、海外を経験できる事ってデカい。
僕は日本好き。
日本の感覚や常識を外側から客観に見られる事がでかいし、
海外生活の経験があったり、
海外からの情報も含めて
日本の現状を捉えてる人の感覚の情報の方が完全にバランスいいんだよね。
オーストラリアから帰ると、Eとの日々が戻ってきた。
彼女は、ヒップホップが好きでDJとかを高校の頃からやっていたり、タトゥーいれたり、ココ(シャネル)っていうダックス(犬)を飼いだしたりしていた。
家は近くて、向こうのお父さんやお母さんや弟さんとも一緒に飯食ってたりもしてた。
ただ、最後の方は
向こうがクラブに行き出して、
DJやってる生理的に無理とか言ってる男と浮氣というか、最終的に付き合う事になって、別れる事になった。
まぁ、僕のダメ男ぶりもあったでしょうがね。やっぱり傷つきましたよ。
そこで、また引きずりモードになっちゃうんですが、
何か毎度この引きずっちゃう感じが嫌だなぁとか思っていて、
その辺りから、硬派だと報われない事が多いなと思って、
もっと女の人を知る経験をしようと思って、無理して軟派でチャラい方向にいくのです。
当時の、友人たちがギャル男で
僕はガチガチじゃないし、あんまりしっくりこなかったけど、ギャル男たちの仲間入りして、
メンズエッグとかでいうところの
お兄系とかが流行ってて、そっち方面にいきます。
何より、Eのことを引きずっていた僕に対して、
ギャル男の友人Yが、
「浩史朗には、Eじゃなくてもっと別の人が合うと思う」と言ってくれた事が嬉しかったんだよね。
救われたよ。ありがとうね。
そんな感じで、日々を過ごしてたら、ある日同時期に4人の人から女の子を紹介されるのです!
同じタイミングで、別々の人から4人を紹介されるってなかなかないですよね。
全員と会ったし、その中の1人と付き合う事になりました。
僕はその時、20歳か21歳、
向こうは18歳の女子高生です。
僕の高校の友人の妹の友達でした。
そのAとは3ヶ月くらいだったかなぁ?AB型でした。
その前のEもAB型で、その頃辺りから僕の独学の血液型診断のデータが蓄積されていきました。
付き合った翌日に元カレとやっちゃってるみたいなね。
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