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「どんな感情も持っていい」とわかっていても 実践するのはなかなか難しい

副島賢和(そえじま・まさかず)昭和大学大学院准教授、昭和大学附属病院内学級担当。学校心理士スーパーバイザー。公立小学校教諭として25年間勤務。2006年より8年間、昭和大学病院内さいかち学級担任。2014年より現職。ホスピタル・クラウンでもあり、2009年、ドラマ『赤鼻のセンセイ』のモチーフにもなった。2011年、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』出演。

泣いている人を見ると腹が立つ時期もあった

前回、「どんな感情も持っていい」「感情の後ろにある『願い』を見つける」と書きました。しかし、頭でわかっていても、実践するのはなかなか難しいと思います。実は私も昔は、泣いている娘に「泣くな」と、きつく怒っていたのです。

私自身、小さいころはとても泣き虫でした。よく病気をして学校を休み、自分の意見もはっきり言えない子でした。妹が二人いて、自然に女の子と話したり遊んだりしていたからでしょうか、「女の子」とあだ名をつけられたこともあります。世の中には「男の子は泣いてはいけない」という風潮があり、家でも「泣くな」と、たくさん怒られました。

そして私は、「泣いちゃいけないんだ」「つらいときほど笑わなきゃいけない」と思うようになりました。そのうちにだんだん体力もついて、我慢することができるようになり、いつしか泣かなくなりました。

すると今度は、泣いている人を見ると腹が立つようになりました。大人になり、教員になっても、泣いている教員や子どもを見ると胸のあたりがざわざわとして落ち着かないのです。教員になったばかりのころは、卒業式で泣いている先生を見ても、「なんで泣くんだよ」と思っていました。子どもたちに泣かれることが、本当に苦手な時期もあったのです。


「私も泣いていいんだ」と気づいて変わった

入院中の子どもたちを見ていると、泣き虫を我慢していたあの頃の私のような状況がよく起こります。泣いているのを一生懸命我慢している子は、泣いている子に怒りを向けます。ベッドで小学校高学年の子が泣かないように我慢しているとき、隣のベッドで小さい子がワンワン泣いていても、「どうしたの?」とは言いません。「うるさい! 泣くな!」と怒ります。

いま思えば、私は自分が泣かないように一生懸命だったので、ほかの人が泣くことが嫌だったのだと思います。人が泣いているのを見ると、自分の胸のずっと奥のほうに隠しておいた泣き虫が、出てきてしまいそうだから。でも、そのときは、そんなことは全く考えもしませんでした。

私は教員になって11年目の32歳のとき、教員をする傍ら大学院に通い始めました。そこで、心理学を学び、ようやくハッと気づいたのです。「そうか、自分が我慢したり頑張ったりしていることを人にされるのが嫌だったんだ」とわかったのです。

それをきっかけに、「私も泣いていいんだ」と思えるようになり、泣けるようになりました。すると、人が泣いているのを見ることも平気になりました。

上の娘が5歳になったとき、私は、娘にこう言って謝りました。
「今まで、ごめん。泣くなって怒っちゃってごめん。お父さん、悪かったと思ってる」
娘はどうして急に謝るのだろうとキョトンとしていましたが、大人も間違えたときには、子どもに謝る必要があると思います。子どもがもしそのことにピンと来なくても、「一生懸命自分のことを考えてくれている」ということは伝わるはずです。


被害者意識や孤独感は人への攻撃につながりやすい

新型コロナによる緊急事態宣言が出たときにも、「自粛警察」なんて呼ばれる人たちが話題になりました。私は、あの人たちも、もしかしたらつらい気持ちを抱えているのかもしれないなあと思わずにはいられないのです。

「こんなに自分はきちんということを聞いて我慢しているのに、それをしないヤツがいるとはなんてことだ!」と思ってしまうのではないだろうかと。

教室でクラスが荒れてくるときや、いじめが起こるときもそうです。我慢している誰かが、周りに対して怒りを持って攻撃してしまうこともあります。虐待もそうかもしれません。「我慢させられている」という被害者意識や、「誰にもわかってもらえない」という孤独感は、人への攻撃につながりやすい。

自分の感情を素直に出せる相手のいない人は、その被害者意識や孤独感を紛らわせるために、どうしようもなくなると、アルコールやギャンブルに走ってしまうこともあります。

自粛と言われていた時期にも、県境を超えてでもパチンコに並んでしまう人がいました。自分の中にどこか空っぽの部分があって、生きていくのが本当にしんどい人がいるのかもしれないと、私は考えました。

すべての人がそうではありませんが、虐待を受けてきた人が我が子にも虐待をしてしまうようになったとき、それを止めるのはとても大変です。その人は、親から暴力を受けていたことやつらかったことを、自分の中で違うストーリーを作って置き換えています。

「自分がいけなかったからだ」
「自分をきちんとした人間に育てたいからだ」
「きっと愛情の裏返しなんだ」

つらければつらいほど、自分の中に納得できる理由を作らないと生きていけなくなります。そうすると、自分が親になって子どもに愛情を届けたいと思ったとき、愛情を届けるために手を出してしまうことが起きます。

そんなとき、「叩くのはいけないからやめましょう」ではなく、「あなたが親にされたことは、愛じゃないんだよ」と伝えなければならないときもあります。

それは本当に大変な作業です。専門家と一緒でなければ、簡単に受け入れられないと思います。その人のつらさや悲しさ、我慢していることや人知れず頑張っていることを認めて、抱きしめてあげる人が必要でしょう。


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