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駄々をこねたり、甘えたり 子どもの様子がいつもと違うと感じたら?

副島賢和(そえじま・まさかず)昭和大学大学院准教授、昭和大学附属病院内学級担当。学校心理士スーパーバイザー。公立小学校教諭として25年間勤務。2006年より8年間、昭和大学病院内さいかち学級担任。2014年より現職。ホスピタル・クラウンでもあり、2009年、ドラマ『赤鼻のセンセイ』のモチーフにもなった。

子どもたちは、いまとても頑張っている

いつも通っていたはずの学校が長期間休みになって、最初のうちは「やった! これでいっぱい遊べる」「勉強しなくていいぞ」と喜ぶ子どもたちは多かったかもしれません。病院でも、体調がそれほどつらくなく、入院したばかりの子どもたちはそんなふうに言う子もいます。

でも、いまはどうでしょうか。春休みが終わっても、ゴールデンウィークが終わっても、学校が始まらない。始まるかと思ったらまた休校。登校日に友達に会えると思っていたのに急になくなってしまった……。

そしてようやく、地域によって学校が始まるところも増えてきました。しかし、久しぶりの学校は分散登校。手を洗って、消毒をして、暑くても気になってもマスクを外すと叱られる。お友達とくっついて遊びたいけど、2メートル離れなければいけません。気をつけなければならないこと、してはいけないことがたくさんあります。

病院での生活も同じです。子どもたちにはたくさんの制限があります。一見元気そうでも、動かずにじっとしていなければならない子もいます。お見舞いにくる人たちとの面会時間も決まっていますし、免疫力の低下している子どもたちは、家族にも直接会えないことがあります。

いま、子どもたちはみんな、子どもたちなりにとても頑張っていると思います。

友達と今までのように思い切り遊べないことはさみしい。「新型コロナウイルスにかかったらどうなるんだろう」と考えると怖いし、とても不安です。お家の人は仕事で出かけなければならないので、日中は一人でお留守番をしている子もいるかもしれません。

友達と遊んでいれば、その遊びに夢中になって、不安も怖さもどこかに飛んでいってしまうのが子どもらしさでもあるのですが、いまはそれも難しい。一人でずっと過ごしていたり、あまり夢中で遊べることがなかったりすると、不安なことやしんどいことがたくさん浮かんでくるものです。


「あなたの変化に気がついているよ」と伝えて

子どもたちが安心して勉強できる環境を整えるには、まず、安全な環境を整えることです。子どもたちがいまどんな気持ちでいるか、少し気をつけて見てあげてほしいと思います。

子どもはストレートに自分の気持ちを伝えてくれるわけではありません。「さみしいからだっこして」と言える子どもには、「さみしいねえ」とギュッとだっこしてあげればよいのですが、そうして自分の感情を捉え、大人に伝えることができる子どもはほとんどいないと思います。なんだかモヤモヤして、自分で感じている気持ちがなんなのかも捉えるのは難しいのです。

ここで、大人が「不安や心配があったらちゃんと言いなさい」などと、子どもたちの不安を無理に引き出す必要はありません。子どもたちは、ストレートに表現することはできなくても、何か違う表現をしてサインやシグナルを出しています。

そのとき、そのサインやシグナルを見逃さず、キャッチしてあげてほしいと思います。
そして、その子の様子を見ながら、あなたが感じたことを言葉にして、声をかけてあげてほしいのです。

「なんとなく、元気ないねえ」
「ちょっと疲れちゃった?」
「なんだかさみしいのかな?」

思春期に入りかけている小学校高学年や中学生くらいになってくると、そういう声をかけづらいかもしれません。もし声をかけても、「へーき」や「べつに」と素っ気なく言われてしまうかもしれません。

これは、親子の間だけでなく、私と入院している子どもたちのやりとりでも同じことが言えるのですが、このような場合でも、「あなたの変化やあなたの感情に気がついている大人がここにいる」ということを言葉や態度、行動などで伝えてあげる必要があります。

その子のこころの中に、そのメッセージをそっと置いておいてくるだけで、子どもたちは頑張りを続けられるようになるのです。「あなたの変化に気がついているよ」ということは、年齢に関係なく伝えてあげてほしいと思います。


人はしんどいとき、幼い振る舞いでエネルギーを貯める

物理的にも精神的にもいつもとは違う環境になり、ちょっとしたことで駄々をこねたり、甘えん坊になったりするようになった子もたくさんいると思います。

人は、しんどいときには、実際の年齢よりも幼い言動をすることがあります。そうすることでエネルギーを貯めようとするのです。幼児期に、妹や弟が生まれて「赤ちゃんがえり」と言われることもあるかと思いますが、それと同じです。これは、心理学の用語で「退行」と呼ばれます。

いつもより誰かに甘えたくなったり、いつもより駄々をこねてみたりします。私たち大人も、いつもなら我慢できることができなくなってしまうこともあります。

例えば、中学生でも急にお母さんの膝にゴロンとしてみたくなることもあります。テレビを見ながら隣にくっついて座ってくることもあるかもしれません。そんな時には、「もう中学生なんだからくっつかないで!」などと言わず、そっと一緒にいてあげてください。

子どもたちはなかなか素直に表現してくれません。本当は「触ってほしい」「なでてほしい」と思っているときにも、違う言葉が出てきます。

「ちょっと肩が痛いなあ」
「なんか背中が痛いんだけど」
「お熱があるかもしれないなあ」

そうやって、家族に訴えかけたとき、「こうやって肩を伸ばすといいよ」といって運動の仕方を教えたり、体温計をパンと渡して「熱を測りなさい」と言ったりすることは、その子にとって求めている反応ではないことが多いのです。

「どうしたかな」といって、肩をさすってあげたり、おでこに手を当ててあげたり。子どもたちはそれだけで、ホッとするのです。いまで以上にそういうことに気を使ってあげる必要があります。大人だって、ちょっと誰かに甘えたいとき、ありますよね。


さまざまな方法で子どもに「触れる」

このように、実際に子どもに「触れて」あげることはとても大事なことなのですが、実際に接触することが難しいときもあります。いまも、家族では接触ができても、学校の先生や近所の人たちと触れ合うことはなかなか難しい状況です。

病院では、免疫力が低下しているなどの理由で家族も直接会うことができない子どもには、ほんの少しの時間でも、対面してかかわることを大事にしています。その子の状況によってできることは違ってきますが、何ができるかなと考えてやってみます。

部屋に入れないときには、ガラス越しに姿を見せてジェスチャーでかかわることもできます。カーテン越しに話しかけることもできます。タブレットや携帯を使って画面越しに話すことも良いのですが、やっぱり人にとって、お互いの存在を近くに感じることが大切だと思っています。

「触れる」ということは、その人が持っている暖かさや、漂っている雰囲気、二人の間の空気感などを感じることも含まれます。物理的な距離があったとしても、肌で触れるだけでなく、眼差しで触れる、優しい雰囲気で触れる、一緒においしいものを食べてニコッと笑う、道で会ったら笑顔で手を振るなど、さまざまな方法で子どもたちに触れてあげてほしい。

視覚、聴覚、味覚、嗅覚もフルに使って、五感で触れてあげてください。

誰かに「触れる」こと、誰かに「触れられる」ことは、人が生きていくために、成長・発達・回復していくために、とても大事なことだと私は考えています。

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