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新型コロナや大変な状況について 子どもにどこまで伝えればいいの?

副島賢和(そえじま・まさかず)昭和大学大学院准教授、昭和大学附属病院内学級担当。学校心理士スーパーバイザー。公立小学校教諭として25年間勤務。2006年より8年間、昭和大学病院内さいかち学級担任。2014年より現職。ホスピタル・クラウンでもあり、2009年、ドラマ『赤鼻のセンセイ』のモチーフにもなった。2011年、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』出演。

子どもは大人の変化を敏感に感じとっている

子どもたちは、自分の周りの大人の様子をよく見ています。大人の様子を見ながら、自分の行動を変えています。大変な状況のときには、いろいろな感情を表に出す子どもたち以上に、感情を出せない子どもたちのことをよく見てあげてほしいと思います。

いつも「いい子」にしている子どもたちは、大人が忙しそうに見えると自分のことは我慢します。大人がイライラしていたり不安な顔をしていたりすると、自分の気持ちを我慢して、わざと明るく振る舞ったり、大人を笑わせようとしたりすることもあります。

大きな不安を抱えながら生きている子、そういう対応の仕方をこれまでの生活で身につけてしまった子、大人の顔色を見ないと生活できなかった子どもたちは、大変な状況に置かれると、そうした傾向が強くなっていくことがあります。

病院で出会った子どもたちの中には、自分自身が病気になったときだけでなく、親やきょうだい、祖父母などが具合が悪くなったときにもそのような傾向が見られる子が多いように思います。

大人たちから、「子どもだから、病気のことは詳しく知らせないほうがいい」「まだ小さいから、病気のことを話してもわからないだろう」という扱いをされることもあります。でも、子どもたちはどんな年齢でも、「みんなの様子がおかしい」ということを肌感覚で感じとっています。どんなに小さい赤ちゃんでも、いつも聞こえる声が聞こえないことや、いつも抱いてくれる人の感覚が違うなど、小さな違いを敏感に感じとっているのです。

そのまま「きっとわからないだろう」と何も知らせずに放っておくことは、その子の不安をどんどん増幅させてしまうことにつながります。


子どもがどこまで知りたいか、様子を見ながら伝える

病気の子どもたちや傷つきのある子どもたち、喪失のある子どもたちに言えることは、すべての子どもたちにとって言えることかもしれません。私が病院で出会った子どもたちに、病気についてどのように伝えているかをお話ししたいと思います。

その子自身の病気や、家族のバッドニュースを伝えるとき、多くの人は、「大人がその子に伝えておきたいこと」「その子が知っておいたほうがいいと大人が判断したこと」だけを伝えようとするのですが、中心に考えるのは大人の価値観や判断ではなく、その子自身です。その子がどこまでわかっているか、その子が何を聞きたいかをその都度、確認しながら進めていくことが必要です。

まず大事なことは、何をどこまでその子に伝えるかを大人だけで話し合って、「全部伝えなくていい」「知らせなくていい」「包み隠さずすべて伝えるべきだ」など、伝える伝えないどちらにしても、決めてしまわないことです。

私は、その子が何をどこまで知りたいかは、その子自身にたずねるようにしています。
「お父さんの病気のこと、どこまで知りたいかな」
「いまなぜ入院しているのか、少しお話ししようか?」

家族の病気や、その子自身の病気について、どこまで知りたいかをその子に聞きます。話している途中で「やっぱり怖い」という表情が出てきたら、「怖いかな」「やめようか」と確認します。

病院に入院することや、どうしても伝えなければならないことは、その子の発達の状態に応じて、使う言葉を考えながらわかりやすく伝えます。子どもが疑問を持ったら、きちんと答えます。
「なぜお母さんは入院して帰ってこないの?」
「なぜ亡くなった人には会えないの?」

そういうことは、その子に応じた話し方できちんと話をしていく必要があります。しかし、その子の許容量を超えることは言う必要はないと考えています。許容量を超えるかどうかは周りの大人が勝手に判断するのではなく、その子の様子をしっかり見ながら判断します。その子を主語にして、主人公にして、どうやって何を伝えればいいかを考えます。

そして、誰から聞きたいかを本人に確認することもとても重要です。
「お医者さんから説明してもらった方がいいかな?」
「お母さんから聞く? お父さんから聞く?」
「お母さんも一緒にお医者さんに聞いてみる?」

話を始める前には、「これ以上聞きたくないと思ったら、手をぎゅっと握ったらいいからね」など、サインを決めて準備をします。救急救命室に子どもを入れる時も同じです。会う前は「会いたい」と思っていたけど、ベッドにいるお母さんを見た瞬間に固まってしまう子もいます。そのときには、「ちょっと一回、外に出ようか」と声をかけます。

大人として「これが大事」「こうするべき」と考えることとがあったとしても、「いま、このこの子はどう感じているだろう」「この子にとってどうすべきだろう」と常に考えて、刻々と変わるその子の様子を常によく見ることが必要です。受け入れるのが難しい問題のときほど、それを忘れてはならないと思っています。


ニュースやワイドショーを流しっぱなしにしていないか

例えば、新型コロナウイルスの感染により刻々と変わる状況について、皆さんは子どもたちにどのように伝えましたか。学校からも子どもたちにこの状況をわかりやすく伝えるお便りなどが届いたかもしれません。ネットのサイトなどでも子ども向けにわかりやすい情報はまとめられています。

簡単な方法として、テレビのニュースやワイドショーなどを見ることが習慣になっている人もいるかもしれません。ニュースやワイドショーを流しているとき、子どもたちはどんな様子でいるか、気をつけて見てあげてほしいと思います。大人がニュースを見ているとき、子どもは自分から「テレビ消して」と言うことはほとんどありません。

ニュースの内容がよくわからない子どもたちが受け取っているのは、それを見ている大人の様子なのです。大人の不安や悲しみを子どもたちは受け取っています。

なかには、バラエティ番組や、お笑いの番組など同じものを子どもが何度も繰り返し見て、ニュースが見られないというご家庭もありました。もしかしたら、その子はニュースを見るのが嫌だったのかもしれません。ニュースを見ていると怖くなるので、何か楽しい番組を見たいと思っていたのかもしれません。

ワイドショーなどでは、著名人が亡くなったことなどをセンセーショナルに何度も繰り返し伝えていたこともありました。「私のお母さんがあんなふうに亡くなってしまうかもしれない」「おじいちゃん大丈夫かなあ」と心配になってしまうこともあったと思います。それを言葉にできずに、ニコニコと遊んでいるふりをしていたかもしれません。

実は私も、失敗してしまったと悔やんでいることがあります。東日本大震災のときのことです。

地震が起こったとき、私は二人の子どもと一緒に院内教室にいました。病院のエレベーターが止まってしまったので、17階の院内教室に子どもたちと一緒に3時間ほど待機することになりました。私は、何か少しでも情報を得ようと思い、テレビをつけました。時間とともに全国の状況が伝えられ、津波の様子も放送されました。それでもしばらくつけたままにしていました。

途中でようやく私はハッと気がついてテレビを消して、「こういう時は人生を考えよう」なんて言いながら人生ゲームをやったり、ジェンガをしたり、何度も余震が起こって揺れるたびに、ドアを押さえながら「サーフィンみたいだね」と言っておどけてみたりしました。そのときは子どもたちも楽しそうにしていました。

しかし、これまでみたことのない津波の様子をテレビは流していましたから、テレビを消した後もあの光景は忘れられなかったと思います。しばらくすると、消防署の人が「目視させてください!」と教室に飛び込んできました。品川で石油タンクが爆発して、窓から煙も見えました。

きっとあの子たちは怖くてたまらなかったと思います。教室ではどうにか耐えていた二人でしたが、エレベーターが復旧して自分の病室に戻った途端、布団をかぶって大泣きしてしまいました。

あのとき、テレビをつけて津波の映像を何度も見せてしまったのは、あの子たちにとってよくなかったのではないだろうか。「どうする? テレビ消す?」と、どうして聞かなかったんだろう。実は、その映像を見たかったのは私自身だったのです。

子どもは自分から、「テレビ消して」とは言いません。大人はネットでも情報を取れるはずです。子どもたちの気持ちに関係なく、テレビから一方的に流れてくる恐怖をあおるような番組は、逃げ場のない子どもに見せるべきではなかったのです。

いまは報道も少し落ち着いてきましたが、また第2波、第3波がきたとき、大きな災害が来たときには、加熱することもあるかと思います。そんなときには、どうぞ子どもの様子をよく見てあげてください。そして、大人がコントロールできるところは、子どもを主役にして考えて行動してほしい。私の自戒も込めて、そう願っています。


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