「パンをくわえて走っていたら曲がり角で運命の人にぶつかった」レベルの出会いを待っている
すべての猫はかわいい。
自分ちの猫はなおさらかわいい。
その子がいなくなったとしてもかわいさに変わりはない。
我が家の猫がいなくなってから4回目のお盆が終わった。
迷わず帰ってこれるよう迎え火を焚いて、できるだけずっといてほしいから送り火は焚かない。
快適に帰って来れるよう、精霊馬の代わりにトワイライトエクスプレスのおもちゃをお供えする。
(トワイライトエクスプレスに乗った時のことはこちら↓ うちの猫の写真を見てください)
お盆の間だけでなく、毎日猫のことを今も現在形で話すけど、撫でることはできない。
代わりに骨壷ケースを撫でている。
このケースのことは、まだ猫が元気だった時に知った。
その時は抽選販売だったし、あらかじめ買っておくのは嫌だったので「こんなのがあるのかー」と思った程度だった。
実際に必要になった時に思い出し、工房に写真を送って相談したところ、本人に似た色で作ってくれた。
蓋と本体の5/8には濃いめの茶色、残りの部分には白っぽい木が使われている。
ちょうど手を揃えて座っているようでかわいい。
かわいいけどフサフサはしていないし、歩き回りもしない。やっぱり淋しい。
あの猫がいない淋しさはあの猫でしか埋まらないから、一緒に暮らす猫を探す気にはなれない。
だけどまた猫と暮らしたい気持ちもある。
だから、「もう私が飼うしかない」という状況に追い込まれるのを密かに待っている。
そんな出会いが落ちてないだろうか。
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