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遠く離れたあの場所で

母と私

 私たちはたぶんごくごく普通の母娘の姿でいられた時間は今までは少なかったと思う。
私は彼女のことを愛していたし、愛したかった。
けれど、それがあまりにも当時の私には辛かった。
人を愛するとはいかに難しいかを思い知らされた。それが例え親子の関係であってもだ。

 他の家と違うこと。私が望んでも手に入らないものは五万とあるが、母といつか多くの家庭で育まれるような温かくてやわらかい温もりを感じることは二度とできないかもしれないと覚悟を決めたこともあった。
でも私たちには世間様の言う「距離感」が単純に向いていなかったんだと今になって思う。


距離感の魔法

近すぎると大切なものは目に見えない。
私たちは「たくさん友達を作りなさい」と言われるけど、他者と育む「適切な距離感」は教えてもらうことはあまりない。
むしろ、こちらの方がもっと大切なスキルだと思うのに。
近いと多くのことを共有できる反面、重要な物事を見逃してしまうことがある。
近すぎる焦点でりんごを眺めてそれが「赤である」ということが分かっても、「丸い」という全体像までは分からないかもしれないのだ。
たぶん私たちの関係は約20年ほどはそんな感じだったんだと思う。

 私は比較的に他人との距離が遠いことが多い。あまり近いと気疲れするからだ。
私はそれが家族にも適用されるので、一般的な家族は距離が近いことが多いから、良いロールモデルにはならなかったらしい。
実家を飛び出した今の「この距離感」が私たち親子にとっての最適な感覚だったことがなんだかすごく面白く感じてしまう。

 どこまでも私たちは正反対だ。
私は直近の物事よりも世界や自然に想いを馳せる時間が多いのに対して、彼女は目の前の物事や人に夢中になりやすい。
それに良し悪しはなくただ単純な両者の違いなのだけど、それがお互いがすれ違いがちになる要因のひとつなのかもしれない。

家出少女とぬいぐるみ

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