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また一つ子供たちから奪ったかもしれない

幼い頃、今まさに嵐が来る、そんな空模様を見ていると、なんだかドキドキわくわくしたものだ。
一日一日が長い長い子供にとって、そんな毎日を全て吹き飛ばしてくれそうな、そんなわくわくだったかもしれない。

それもこれも、嵐の後も決して変わらぬ日常がそこにある前提の話。子供心にそのことは十分に理解してのことだ。それを分かった上でのちょっとした願い、神さまへのお願いだったように思う。
少しだけこの毎日を変えてください…と。

台風24号が日本列島を縦断し、温帯低気圧となりオホーツク海に抜けた。その日、見上げた空は不穏な様子で、どこか街の雰囲気も落ち着かない。幸いここ北の街は直撃は免れたものの、車の中から眺める風景は、いつか子供の頃に感じた感覚を思い出させた。あの頃、こんな空を見上げてはドキドキわくわくしていたものだ…と。
だが今は、昔のようにドキドキわくわくなど言ってはいられない。ここ最近の台風ときたら、多くの人達の日常を本当に吹き飛ばし、時に命をのみこみ、人生の在りようそのものを変えてしまう。

なんなのだ…
「嵐が過ぎ去るのをじっと待つ」などとよく言われたりするが、命や生活が吹き飛ぶ様ならそうも言っていられない。いつしか、大人も子供も台風の後、大きな爪痕を当たり前に覚悟をしなければいけないようになってしまった。
子供たちが空を眺め、無邪気にドキドキわくわくすることも、大人達がただただ諦めの眼差しを空に向け溜息をつく、そんなことが許されないほどの脅威となってしまった。
人々は、公共の交通機関を止め、仕事を早仕舞いし、学校は休校、何があっても不思議じゃないことを覚悟をする。そんな時代だ。

もちろん昔から自然の猛威はあったろう。
幾多の人々がその犠牲になって来たのだと思う。それにしてもだ。ここ最近の自然の猛威はやはり異常だ。これまで安心安全を得たと、たかをくくってきた人間を嘲笑うように。

これから先、人はもう以前のような思いで嵐の空を見上げることは出来ないのかもしれない。

子供たちよ。こんな今を迎えさせてしまい申し訳ない。君たちの鬱憤を晴らす嵐すら、大人達は奪ってしまったかもしれないのだ。

#エッセイ #コラム #台風 #嵐

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