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魂の対話

読書とは、書き手との魂の対話である。『日本の美学』(実業之日本社)のなかで、執行草舟氏はそのように語る。知識を得るための読書、自らがもつ疑問に答えを求めるための読書、いずれも読書に値しないものと喝破する。

意味などわからなくてもよい。ただ、偉大な書き手との魂の対話をするのみ。目的は知識や教養を得ることではないから、辞書なんか引かないし、間違った意味に理解しても問題はない。むしろ、時間や空間を越え、書き手が目の前に現れるように本を読めるのだという。

「マンガでわかる」「イラスト豊富」「ゼロから学ぶ」……とにかく平易に、手に取りやすい内容でないと本は売れないという思い込みが、本の作り手にあるのかもしれない。

 同じ日本人に生まれて、人類として生まれたのだから、古代人から現代人まで皆同じ生(せい)を生きているのだと思っていることでした。いまでも古代人や千五百年前の人とでも一緒に生きているつもりでいます。
 つまり、同じ日本人に生まれて分からない訳がないという決意です。

『日本の美学』執行草舟・著/実業之日本社 p95 「読書の心掛け」より

この決意で読書に臨みたいものである。「知識や教養を得るため」といった小さな目的など忘れ去れば、好奇心や直感の赴くままに本との出会いを楽しめるのではないか。

あくまで、これは読書を捉える一つの解に他ならない。しかし、この決意をもって読書に臨む読者が増えれば、業界の未来は変わるだろう。
聞いた話だが、西田幾多郎の『善の研究』が発刊された当時、書店にはとぐろをまくような、まさに“長蛇”の行列ができたという。欧米列強に肩をならべようと、日本人の哲学を死に物狂いで構築せんとした西田の魂に、触れたかった人々の覚悟がそこにあったのだろうか。

最新機種のスマートフォンではなく、1冊の本を求めて、開店前から行列ができる書店の光景を見てみたいものである。

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