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AI時代を生きる子供たちは本当に大変なのか?-AI時代はドラえもんに会える時代!?


AI時代を生きる子供たちは本当に大変なのか?

最近、生成AIブームもあって、AIの注目度が高まっています。
「AIや生成AIによって多くの職が奪われる!」という不安を煽るような言説がいまやいたるところにあふれかえり、最近ではなんと生成AIの描く絵の技術力に絶望した美大生の自殺というようなニュースまで報じられるようになりました。
そうした状況もあり、
「AI時代を生きる子供たちは本当に大変だ」
というような大人の発言をよく耳にします。
発言をしている大人の方々が不安なのは理解できます。
しかし、この発言をきくたびに私が疑問に思うのは、

「子供たちも同じように不安で大変だとなぜわかるのか?」
「それを決めるのは周りの大人なのか?」

ということです。

コンピューター学ぶ子供たちを見ていて日々感じること

私は、子供向けプログラミングスクールをやっており、子供たちと日々接していますが、デジタルネイティブな子供たちはコンピューターを楽しむこと、コンピューターと仲良くする達人です。私もコンピューターが大好きなので、そんな子供たちと一緒に学んでいると、とても幸せな気持ちになります。

下の写真はマインクラフトというゲームソフトで生徒(当時小4)の一人が作った建築物です。生徒いわく、「自分の好きなものをつめこんだ世界」とのこと。コンピューター大好きな生徒だけあって、ケーキなどにまじって、Pythonやapple社のロゴなどがありますが、中でも目立つのは巨大な笑顔のドラえもんだと思います。
私の主観ではありますが、この生徒の作った世界からは、不安や大変さとは真逆の、「コンピューターに対する愛着や親しみ」が伝わってくるように感じます。

子供が制作した好きなものを詰め込んだ世界

ドラえもんはAIをわかりやすく形にしたもの

ドラえもんはコンピューターやAIやをわかりやすく形にしたものです。なので、私はAIを説明するときには、ドラえもんのたとえを好んで使います。
子供達に、AIやコンピューターに対して、人間を助けてくれる心強い味方だと感じ、その助けをえて自分で生きていく力を身につけてほしいというささやかな願いでもあります。
(※厳密にいえば、ドラえもんはなんでもできる汎用AIとよばれるもので、現在周流の囲碁や将棋AIのような特定の目的をもって開発された特化型AIとは違うものです。しかし、現在はアレクサや生成AIなどをみてもわかるように、特化型AIといっても、コミュニケーションがドラえもんに近付いているように感じています。)

「AIが仕事を奪う!」などのネガティブなイメージはどこからくるのか?

日本でロボット技術が発達したのは、鉄腕アトムやドラえもんなどの影響で、「ロボットは人間の友達」というポジティブなイメージが功を奏したともいわれています。
鉄腕アトムやドラえもんは高性能なAIでもあるので、ロボットと同じようなポジティブなイメージでAIもいけそうなものです。しかし、日本ではITリテラシの一般的な低さやAIにネガティブなイメージのある欧米の文化の影響もあってか、ドラえもんのことなんてすっかり忘れてしまったかのように、今やAIへの不安が蔓延していることを本当に悲しく思っています。

しかし、それはあくまでも大人の世界でのこと。
子供たちが、AIをどう思うか、AI時代をどう生きるか、どう感じるかは、子供たちにまかせてみることはできないものでしょうか。

そもそもAIは本当に人間の仕事を奪う恐ろしい存在なのか?

ところで、私は元AIエンジニアですが、AIが仕事を奪うというような考え方にはかなり懐疑的です。なぜなら、AIと人間は得意分野が明確に異なり、むしろ相補的な存在だと感じるからです。
エンジニアの友人がAIをよく知らない一般の人が感じるAIに対する漠然とした不安に対応するような説明をしてくれたので、それを引用してみたいと思います。

AIのメカニズムが分かってない人は、AIを恐れている人が多いかもしれない。

「車と走ることで競争しても勝てない。
 早く移動したければ車の運転を覚えるほうがいい。
 同じ様にAIが上手なところはAIを使えるようになれば良い。」

というとちょっと安心できるように思える。

また、例えばこうゆうことはAIには出来ないという例を教えてあげると、「あーそうか」となる。

やってみないと結果がわからないことはAIには答えがわからない。
生き物を育てるとか、〇〇さんは何と言うか?とか、生き物に関することはやってみないとわからないことが多い。
生き物に関することは、特に人間がいないと出来ないことが多い。

AIができること、AIでは出来ないことを知ることと、AIと協調してより良く生きていく世界をもっと見えるようにした方が良いのかもしれない。

エンジニアの友人のコメント

AI時代はドラえもんに会える時代!?

AI時代はまた「ドラえもんに会える(かもしれない)時代」でもあります。
いいかえれば、AIが発展する未来は人類が新たな心強い味方に出会える時代、人類に新たな友人が増える時代ともいえる・・・と私は考えています。

正直、私だってドラえもんに会いたいです!

そんなAI時代は、はたして悲観すべき未来なのでしょうか?

冒頭の美大生も、将来を悲観する必要なんて何一つないと私は言いたいです。
「ついにドラえもんのような心強い味方をえた!」・・・と思いなおして、どうか、一緒にいろいろな作品をつくってほしいです。そうして、いつか、自分と自分のドラえもんにしか作れない作品に出会えるかもしれないし、それを楽しみに待っている人もいるかもしれないことを、どうか忘れないでほしいのです。

AIのような科学技術が怖いものになるか、人間を助けるものになるかは、それを使う人間の心しだいなのです。
未知のものに出会った時、人は誰しも不安になるものですが、幸いにして、子供たちは、そうした不安からもっとも自由な存在だと私は日々感じています。
そんな子供たちの未来=AI時代が明るくないはずはなく、「もしかしたら、ドラえもんに出会えているのかもしれない!?」などと妄想しながら、見守ってみるのも悪くないのではないでしょうか。

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