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アートの魅力は、結局魂の魅力 by スペキュラティブデザイン|長谷川 愛さん

4月24日、武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース クリエイティブリーダシップ特論 第3回の授業内にて、 長谷川愛さんのお話を聴講しました。

柔らかい雰囲気の愛さんからは想像できないくらいの創造力と発信力の強さに、いかに自分が堅いフレームの中で生きてきたかを反省させられました。今は日本でスペキュラティブデザインの第一人者としてフィーチャーされるようになり、耳を傾けてくれる人も増えたと思いますが、数年前は問い自体も受け入れられないこともあったのではと推察します。そんな中でも突き進んで来られた心の強さの性質は、好きなこと、好きなテーマで、自分で探求したいと思える問いに向き合っていることから来るのではと思います。

カッコイイの一言に尽きます。

何にカッコよさをおぼえたのか。それは素朴な疑問に対して、突き詰めていくという純粋な姿勢です。そのような姿勢は、大人になるに連れ、社会で揉まれることで、気づかぬうちに失われてしまっています。もしかしたら、子どものうちからも、正解がある問いに対して正しい答えを出すことに専念してきた生き方をしてきたことで、問いを自ら出すことが自然体ではなくなってきたのではと感じます。

素朴に疑問に思ったことを起点に、問いを立てて探求する本来の人間の自然体さを取り戻していきたい、そんな人であり続けたいと思います。

自身が探求したいという問いを立てた後の次にやることとして、それを規定している基準は何か、その基準を決めたのは誰か、どのような背景なのかを知ることが重要だとも教えてくださいました。明確な制度や基準がある場合はどのように問いを進化させて行けば良いかまだ比較的明確です。一方で明確な基準がない場合、それにもかかわらず社会通念上の目に見えない制約がある場合はどうでしょう。

以前とある講演会でスプツニ子さんのお話を伺ったときのことです。長谷川さんと同じように問いを自ら立てメディアを製作して世の中に問いかけている素敵な方です。彼女が、「お弁当なんて作ってあげなくても、お母さんはお母さん。雑巾を手製で作ってあげなくても、お母さんはお母さん。子どもがちゃんと育たないなんてことはない。愛のないお母さんではない。もっと心を自由にしてー。」とおっしゃっておられたのを思い出しました。愛のかたちは色々ありますし、あまりに漠然としたそして圧力のあるお母さん像が肩にのしかかっていることに対する課題提起です。雑巾を作ってくれるお母さんだけが愛のあるお母さんと誰かが規定したわけではありません。ただ、誰かが明確に規定したわけではないものこそが圧迫感が大きいと思いませんか。世論のような大きな壁で圧迫感が大きく、そのようなものが一番超えることが難しいのではないかとさえ思うのです。

そのような中で勇気を持って超えていくためには、やはりその問いを自らの探究心で立て好きなテーマとして取り組んでいく心の強さではないかと思うのです。さらには世間という見えない壁を超えていくために、自らが共感を呼んで大きく社会を変えていくことが今後求められる資質なのではないかと思います。

最後に、沖縄の古民家レストランに飾ってあった、言葉を最後に紹介します。

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