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草野海子 自撰集

15
今まで書いてきた詩の中で自己紹介となる作品たちです。
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#詩

(無題)

まっすぐ、広くて長い道、 朝顔の花に続く道。 月の光に濡れそぼち、 笠の下から眼を交わす。 ここは皆んなが捜す道、 皆んな独りの温い道。

ねこ

いい猫を連れてらっしゃいますね あ、突然すみません あなたの後ろにいる猫さんのことです 連れてない?いますよ 猫は素早いですからね、 いつもあなたが振り向く時にはさっと隠れてるんでしょうね それにしてもいい子だ、かしこくて 眼がきらきらしてますよ あなたのことを、じっと見上げてます この子はいつもあなたと一緒にいるんですね あなたが小さい頃から あなたが頑張っているときは、それをうつらうつら眺めて あなたがつらくて泣いている時は、しっぽを脚にくっつけて

遠くにみえる木、繰り返される妄言の泡泡

ああ からっぽ からっぽ だ なあ もう ひねりだせるものも なにものこっていな いなあ なにか なにかの いとがきれたみたいだ なあ からっぽ だ なあ くうき くうきがあお いなあ あおいくうき 年は もうおじいちゃんになって おじいちゃん で おだやかに 隠居している 目を細めて 新しい子のうまれるのを やすらかに まっている なあ くうき くうきがつめたくて鼻腔を焼いているよおねえちゃん おねえちゃん おねえちゃんは かみがちゃいろでふわふわで こしまでのびてる

炎の夢

一 ゆめがほしいの おかあさん さんたさんにゆめをお願いするの 完熟のりんご へたが抜けちゃう位にね おかあさんのタルト・タタンが 好きなの りんごは酸っぱい方が お菓子に向いている みたいな 幻想に恥かかせてあげたいの わたし星のうさぎだから 月を飛び越えてしまう そのまんまでいいって言って をお願いするの 都会の空は明るく滲んでいて まっすぐ泣くことすらできやしない 二 物語は続かない 本を閉じて、はい、おしまい おやすみね 夢はみない こころあたり あることばっか

夏のあいだに

梅雨が明けた 長い梅雨が 長かった梅雨が あけた 肚をふくらませる 肚をとざす 肚がふくらむ 肚がとじる 内から圧を外へ 押し向けるたびに 自分がまた少し 地球に近づいていた (輪郭が濃くなって滲んだ 隙間から過去が何度も転がった 地球が呼んでいる) 地球が待っている 血が緋色に染まり 心臓が燃えて 髪は逆立ち 皮膚がささくれる 小さな細胞が 湿った潮風を雷に変えて 膜を薄くする 地球に近づく 脂の塊が 酸化していく 呼ばれている方へ 血管が斑らに浮き出し 星へ謎めいた文字

生存未遂

万年筆の筆跡 すべらかに ブルーブラックと淡墨 生存未遂 レタスを齧る前歯 午前11時の無人駅 カーネーションの花束 春——— 目を伏せる猫 生存未遂 「若者への接種」 を聞き流すゆとり 灰汁を呑むことをおぼえた 昼下がりの推敲 まあ、それでもいいよねって 笑い合って生きていたいだけ 生存未遂 シャクナゲの淡さくらいで 丁度いいから はずだから 今日もカレンダーに バツをつける 銃撃戦、いざとなったら逃げました 準備してたのに 揺れるエレベーターで25階まで往復しまし

あなたは博物館

あなたは博物館 静謐な埃のにおい 母星から見る夜空より ずっと柔らかい沈黙 大きな振り子時計 の 無音の刻み が心音 あなたは博物館 絶滅した哺乳類の骨格 絶滅した爬虫類の骨格 地に沈んだ痕跡の岩 今にも動き出すかのように組み立てられ しかし 決して動くことは ない 黄白色のライトが ビームとして足下を くろぐろと初めている たくさんの靴底で磨かれた つやつやした木の床 古びた仕切り 真紅の縄ロープ とそのくすんだ金属部 あなたの博物館 博物館を 呼吸しながらゆっくり一周し

trans

列車の席で眠り         (血流のなかに) 列車の席で目覚め        (変化が混じり始めたあたりの) 列車の席で眠り         (記憶がない) 列車の席で目覚め        (途方もなく込み入った道を) あるともわからぬ反復を     (手を引かれて歩いていたことが) てのひらに包み        (煙でできた花火を見せてくれたことが) 徐々に広がるやわらかな熱を   (現実味を失ってなつかしい) ただ愛おしく          (君の長い巻き毛のことも)

毎日血を流す私が川べりでゴミを流す

毎日血を流す私が川べりでゴミを流す 半透明な手が心臓を指さしそのままとおりぬけるように 毎日毎日血を流す私が川べりを歩いてゴミを流す きらきらペトリコール、菓子の上に飾りつけるように 優しい白鳥、睡蓮をつつきそのまま呑みくだすように 雨の日の蟻の巣 箪笥の奥の藁束 細路地に隠れた日陰の若木 石鹸水は そのまま流し アセトンは 部屋の隅でずっと 剥がれた皮膚のかけらと いつも届く再生紙の広告 挨拶だけするお地蔵さん 深夜に沈む 白く薄い月 毎日血を流す私が川べりでゴミを流す 毎

幾何

そして二つの交点が二つの図形を結ぶ 十六面体が二等分を定義されて微笑する 思考余地を白く浸食していく暴力的な立体 それも打ち消して上書きしていく不定形の剛体 止揚は私たちを懸け橋にして 断続的に成立し波のように崩壊し 無作為に隠された欠如を浮き彫りにする 宇宙のどこか 名も無い二天体が 彼らの速さで進んでいったため 引き合って一瞬の間だけ 接して 何かを共有して無言のまま離れていった

喫茶店の挿絵

雨は矢印 凸レンズの焦点の私 黄色い電燈の光線たちが 瞳の中で再び出会い そして私が受け止める 日に焼けた本のインクが 淵のように深い 断面図、カリカチュア カップの中には フォームミルクがつぶれない くらいの僅かな けれど確かな地層 五秒前にもここにいた証 見えない四つの軸と暮らす 黄色いカップ、黄色い光、黄色い数字 で構成された両手、図として眼差す経験 統合された世界の中で あくまで光の焦点として 無数の宇宙が弾ける音に 耳を澄ます

【捜しています】太陽の欠片

先月お庭に太陽の破片がおちてきました。どうやら太陽にひびが入ったらしいです。専門家に見せたところ経年劣化と云っていて、まぁ仕方のないことなんでしょう。円の八分の一くらい、指先に収まるサイズだけどさすがは太陽、とんでもなく発光しており、とりあえず切れていた食卓のLEDと取り換えたところうちの猫も犬も鳥も人も大喜びしたのだけれど家でも日焼け止めしなくてはいけないし夜ごはんは真っ暗の中で食べなくてはいけないしで何事にも長所と短所はありました。気になるのは太陽の今後で、太陽の形を見る

かたつむりのじかん

ざわざわあめ ざわざわ織物ほつれ ざわざわ糸ははがれて ざわざわ森につぶやき ざわざわ 薄青い精たちの ふぁやふぁや立ち昇る あわい煙 たおやかに ふぁやふぁや 水晶の対流 シルキイ 匂いは・重く 低く流れていく ざわざわ...... 水滴 ぱたぱた触れている つむじに触れている 経糸を伝ってきている ぱたぱた 水滴 考えるのと同じ速さで 地面にすいこまれていく 見えるようになるよね そのうち 足も こんにちはしなければ さよならもできないからね ただ黙っていた ただ

すみれ草

俯きながらも鮮やかに 開いたあなたはすみれ草 嵐の中に黒い線 自由なあなたは若燕 見上げる額に隔てなく 花を散らせる夢見草 爛漫の中、薄い雲 世界すべてに手を伸ばす 赤児の髪を揺らす風 黒い雨雲来たるなら 後ろに残した樫の樹へ 煉瓦の道は消え残り 先に子猫が雨宿り たとい踏まれて目を伏せど 立ち上がり誇り高いまま 咲いたあなたはすみれ草!