我が家の哲学 「丸くなること」
よく歳をとると丸くなるという言葉を聞くが、それはどういうことなのか、我が家での議論を少しここに書いておく。
歳をとると丸くなるとはつまりは自分の「許容範囲」が広がることだと私は思う。様々な経験を積み、学習し、考え方や思考の幅が広がることで「ゆるせること」が増えていくのだ。
妻は逆に歳をとると「許容範囲」は狭くなると考えていた。若いときにはできた無茶や後先を考えない行動は大人になるにつれできなくなり、つまりは学習経験を積むことによって左脳的(論理的)なフレームができあがり、そのフレームによって自分の思考や行動の幅が狭まっていくという。
この2つの考え、一見相反するように思えるが、書いてみると主体が違うことに気づく。
私の「許容範囲」は対相手に対するもので、妻の「許容範囲」は自分に対するものである。
つまり、丸くなる(歳を取る)とは「相手の考えを尊重しながら、自分の行動を制御できるようになる」ことなんだと思う。
こうして書いてみるとこれが「大人」のような気がする。
たしかに角がとれて丸いから、仕事や人付き合いにおいてもマイルドで円滑にいくような感じがする。
ただし同時に「自分を失っている」ようにも感じる。
ほんとうに「自分」はそれを望んでいるのか、自分の幸福はそこにあるのか、自分の欲求という名の「角」はちゃんと残っているのか。
当然、この角が出すぎれば相手を傷つけてしまうことも、円滑に人間関係や社会生活が回らないことも大いにあると思う。決してこの「角」は比喩なんかではない。
大人の顔をした子供のような角を隠し持った人はこの世にたくさん存在し、そんな角張った人はやはり魅力的な人が多いように思う。
「丸くなるな、星になれ」
これは正月のマラソンのときに流れる、私の大好きな某CMのキャッチフレーズであるが、この言葉がどんどん丸くなっていく自分に突き刺さる、しかし、私自身はこう思う。
「丸くなっていくのは良い、けど自分の角を見失うな、いつでも出せるようにしておけ」
社会に出る上で、丸くなることはやはり円滑に物事をすすめるためには必要である。しかし、自分の欲求を抑えてばかりいては幸せにはなれない。
いつでも自分の欲求を見失わないようにしていることが必要なんだと思う。
私の机の上には岡本太郎の「太陽の塔」のフィギュアが置いてある。
これは私の角を出すためのトリガーである。
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