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心の声を無視して他人の人生を歩いていた

うつ状態に陥った僕は、ずっと同じことを考え続けていた。

「どうして僕はここにいるんだろう」
「どうしてこんなに苦しい思いをしているんだろう」

そして、自分がこれまで歩いてきた人生を何度も何度も振り返った。
どこかで道を誤った。
一体それはどこで、どうして誤ったのか。

そして、あることに気がついた。
「僕は心の声を聴いてこなかった。」

妥協点を探ってきた

心の声。
こんなことがやりたいとか。
こんなことに興味があるとか。
その純粋な欲求。

それが聴こえていなかったわけでもないし、無視してきたわけでもない。
でも、いろいろなことを考えすぎて、妥協点を探ってきたような気がした。

それは、失敗するのが怖かったし、人の目が気になったし、自分に自信がなかったし、安定した収入を得なければいけないなどと考えた結果だった。

それまでは、いろんな条件をすべて満たすような最適解を探すような気でいたのだけれど、結果的に一番肝心な「自分の心の声」をないがしろにしてきたことに気がついたのだ。

人生の分岐点において、心の声を最優先にするべきだったのに、逆に心の声を押さえつけて、妥協してきたのだ。

妥協妥協の連続で、ちょっとづつ人生の流れが変わっていった。そして、いつの間にか、自分が過去に一度も望んなことがないような仕事をするようになっていた。

そしてその仕事の追われて、こころを病むほどにまでに苦しんでいるのだ。

自分の人生を歩いてる気がしなかった

僕はそれまで、ずっと、自分の人生なのに、自分の人生を歩いている気がしなかった。
まるで知らない誰かの人生を歩いているような気分だった。

中学時代からずっとそういう感覚があった。

高校受験を意識するようになってから、いい高校に行って、いい大学に行って、安定した収入を得られる仕事に就く。

自分の目の前にはそういうレールが敷かれているという感覚があった。

そこから外れてしまうことは許されないと思っていたし、また、外れてしまうことが怖くもあった。

結局、こころの声を無視して妥協してきたというのは、そのレールから外れない範囲内で生きていくことを考えていた、ということだ。

でも、その目に見えないレールこそが、まさに他人の人生だったのだ。僕はそのことに気がついていなかった。

自分の人生を歩くということ

自分の人生を歩くということは、「こころの声」に従って、それに忠実に生きるということなんだと、今の僕なら理解できる。

でも、うつ状態に至るまで、僕はそのことに気がつかなかった。

そのレールは幻で、実際にはそんなレールは存在しないし、社会はもっと広くて、もっと自由なんだということが今ならわかる。

だけど、そういう世界観をもっていなかった。

どうしてそうなったのか。
世間知らずの10代の若者が、そんなことを知る由もない。

結局それは、教育の影響だと思う。
学校教育、親の思想、社会背景。
いろいろなことが重なって、その頃の僕には、そのレールが見えてしまっていたのだ。

うつの原因は心の声を無視したこと

僕がうつ状態に陥ったのは、仕事が忙しかったことと、目の前の人が交通事故でいきなり逝ってしまったことによる精神的なショックが直接の引き金であることは間違いないけれど、それは一つのきっかけに過ぎない。

本当の原因は、自分の心の声を無視して生きてきたことなんだと気がついた。

いくら生活の安定のためとはいえ、自分が望まない仕事をするのは苦痛だ。その苦痛な仕事が忙しくなって、プライベートの時間がどんどん削られて行って、生活が仕事一色になってしまったら、いったい何のために苦痛を我慢しているのかわからなくなってしまう。

心の声を無視すると、そういう状態に陥ってしまう。

僕はそのことに気がついたのだ。

(つづく)

自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!