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長男を辞めることにした

会社を辞めた一か月半後に、母親が脳溢血で倒れてしまった。
僕は当時、33歳で独身だったし、しかも長男だったから、これはもう僕が実家に戻らないとだめだろうと思った。

父親は体調を崩していたし、あの年代(昭和一桁)の男性は、家事なんて全くできないから、僕が父親の食事を作る必要があったのだ。

僕自身はうつ状態だったけれど、一か月半の間、しっかりと休養を取ったし、会社も辞めていてフリーだったし、必要とされると不思議なことに身体が動いた。二人の姉はフルタイムで仕事をしている。
会社を辞めたタイミングでだったから、それは不幸中の幸いだと思った。

当時、母は家で公文式の学習塾を開いていた。
母の予後がどうなるか見当もつかなかったので、いきなり塾を閉めるわけにも行かなかったので、僕が臨時で講師役を務めた。
僕自身、子どものころにさんざんやらされたし、これまで何度も、採点の手伝いなどをしてきたので、臨時講師をやるのは苦でも何でもなかった。
僕は、母の代わりに実家に戻り、父親の食事を作り、家事全般をこなし、塾の講師をしたのだ。

そして、母と話し合って塾を閉めることにした。
そのための、事務手続きや、生徒たちへの連絡や、近所の公文式の塾への受け入れの依頼など、一通りのことをこなした。
僕が小学生のころに始めて、約20年間にわたって続けていた塾だった。

僕は長男だから、僕の家族は父と母と僕と、3人だと思っていた。
二人の姉はすでに嫁に行っているという感覚だった。
今から考えれば、それは古い考え方かもしれない。
でも、子どものころからずっと、長男である僕がいずれは両親の面倒を見なければいけないと思ってきたし、今、その時が来たんだ、という感覚だった。

姉との感覚のズレ

ある日、姉が実家にやってきて、「母親にお見舞金を出そうと思うんだけど、あなたも出しなさい。」という。
僕にとっては、母の入院は自分事だったので、お見舞金を出すという発想が全くなかった。なので、そういわれてもピンとこなかった。

ピンとこないという顔をしていると、姉が僕を責め始めた。

「あんた、お見舞金のことなんて全く考えていないでしょ?
そういうところが、全然ダメなんだよ。もっと大人になってもらわないと困るの。あんたには、まだわからないだろうけれど、それが、大人としての常識というものなの。」

僕は当時うつ状態だったからかもしれないけれど、この言葉でひどく傷ついた。感情が抑えられなかった。

姉からしてみれば、33歳にもなっていきなり会社を辞めてしまうようなダメな弟だという印象もあったのかもしれない。
もしかしたら、僕が母親に心労をかけるから、母が倒れたんだと思っていたのかもしれない。
そこへ来て、お見舞金のことすら考えていないなんて、本当にどうしようもない奴だと、そう思ったんだろう。

僕としては、自分の人生をかけて、両親を支えていこうと覚悟していた。
もう、結婚はできないかもしれない、仕事だって、どんな仕事ができるかわからない。
それでも、僕は長男だから、母親の介護も父親の面倒も、僕が見るつもりでいたのだ。
そこまで覚悟していたのに、見舞金のことでなんであそこまで言わなければいけないのか。

僕は、僕の言い分を話し始めたが、彼女は聞く耳持っていなかった。
「あなたは未熟だから、まだわからないだろうけど。」
そう言われてしまったら、僕にはもう何も言えなかった。
僕の言い分を全く聞いてもらえなかったことで、僕は大いに傷ついた。

それ以来、彼女が実家に来るたびに、感情が抑えられなくなった。
それまで、けんかなんてほとんどしたことがなかったのに。

母が僕に依存するようになった

母はしばらくして退院してきた。
しかし、後遺症は残った。
運動障害と感覚障害が残ってしまったので、初めのころは本当に手がかかった。

父親も、あまり体調がよくなかったし、少し認知症の傾向が出ていたので、母は僕に頼るようになり、それは依存しているというような状態になった。
それはわかっていたけれど、仕方がないと思っていた。
だって、僕は長男だったから。

その時には、僕はもう、一人暮らしのアパートを引き払って、実家に暮らしていた。そうなることを覚悟のうえで、帰ってきたのだから。

今度は家を出ていったほうがいいと言われた

ある日、姉が僕に話がある、とやってきた。
今度は「この家を出ていったほうがいい。」と言い出した。

僕は、「アパートも引き払って実家に戻ってきたばかりだというのに、今度は出て行けとはどういうことだ。」と思ったのだが、彼女の真意を聞いてみることにした。

彼女曰く、
これ以上、母が僕に依存するのは良くない。
このままだと、あなたはこの家を出ていけなくなる。
それは、母にとっても、父にとっても、僕にとっても良いことではない。
母の介護はみんなで分担してやればいい。
だから、あなたはこのままこの家にいないほうがいい。

その話を聴いて、正直僕はチャンスをもらったんだと思った。
これまで、長男であることに縛られて生きてきた。
それが頭にあったから、実家のある東京での就職にこだわった。
僕の人生において「長男である」ということが、大きく影響していたのだ。

これはいいチャンスだ。
「長男であること」を辞めようと思った。

もちろん、戸籍上の長男を辞めることはできないけれど、僕自身が「長男であること」にこだわるのを辞めようと思ったんだ。
それを手放してしまって自由になろうと。

そして僕は、姉の提案を受けれて、家を出ることにした。
そして、当時付き合っていた彼女(のちに妻になる)の住むアパートに転がり込むことになった。

(つづく)

自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!