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怒られるのがのがとても嫌い-いい子の正体

僕は、今もそうだけれども、子どものころから怒られるのが極端に嫌いだった。最も、怒られるのが好きだという人はいないだろうけれども、あんまりダメージを受けないという人はいるだろう。

親にも先生にも、怒られるのが怖かったので、怒られるようなことはなるべくしないようにしていたし、するとしても絶対に見つからないように細心の注意を払っていた。

そんなわけで、おそらく学校の先生や親からすれば、手のかからない、いわゆる「いい子」だったと思う。

これは、怒られるとか、喧嘩とか、争いごとが全般に苦手で、それをできるだけ避けているということなんだ。
そういう場面に遭遇すると、とてもストレスを感じるし、そういう状態に至ったことを後悔するし、そういう状態に至った自分を恥じるし、責める。

結局、自分を責めるからストレスを強く感じるんだよね。
だから、いい子になろうとする。
大人の目が気になる、他人の評価が気になる。

いい子は都合のいい子

いわゆる「いい子」というのは、大人側から見れば「都合のいい子」なんだ。
自己主張しない、かんしゃくを起こさない、大人の言うことをよく聞いて、大人が期待するようにふるまおうとする。

だから、大人側からすれば、手のかからない素晴らしい子だという評価になる。

でも、本人からすれば、常に大人の顔色を見ている。
評価を気にしている。
自分の欲求を押し殺している。
ストレスを感じるている。

こういう子どもは、大人が言うことをよく聞いて、自分の欲求を押し殺しているので、自分の頭で考えることができない。自分の頭で考えて、大人に評価されないようなことをしでかしてしまうよりも、考えないで、正解を教えてもらって、それを忠実に守ることを考えてしまうのだ。

そういうことが行動の規範になっているから、常におびえているし、自分の行動に自信を持てないでいるのだ。

いい子のイメージを壊すことができない

ずっとそういう行動を取っていると、セルフイメージが「いい子」になってしまう。そうなると、思春期になって自我が芽生えてきたときに、そのイメージを壊すことが怖くて、自由に行動できなくなってしまう。

つまり、自分で作り上げたセルフイメージに自分を縛ってしまうのだ。

周りの大人たちに「いい子」だと思われているから、それを壊すようなことをすれば、怒られたり、失望されたり、がっかりさせたりするのではないかと、それを恐れるわけだ。

こうなると、強いストレスを抱えることになるし、自由に生きていくことができなくなってしまう。

優等生タイプの真面目な人に、ストレスによるメンタル疾患が多いのはそういう理由なのだ。

セルフイメージなんて自由に変えていい

セルフイメージなんて、自分で勝手に作り上げたものなので、作り変えるのも自由なはず。
セルフイメージを変えることができるのは自分しかいないわけだし。

セルフイメージを変えたからといって、それでとやかく言う人はほとんどいない。
もし万が一いたとしても無視していい。
だって、その人は、あなたの人生の責任を背負ってくれるわけではない。
そんな人は、あなたの味方ではないので、付き合う必要もない。
適当に距離をとってしまおう。

僕も、自分のセルフイメージを変えたことがあったのだけれど、それに気がついた人は皆無だった。

だれも、他人がどんなセルフイメージを持っているのかなんて知らないし、注意深く観察している人なんていない。
だから、もしあなたがセルフイメージを変えてもそれに気が付く人なんていない。
みんな自分のことで忙しいのだから仕方がない。

ずっと「いい子」でいなくてもいい

いい子というのは「都合のいい子」ということ。

ずっと他人の都合に合わせて生きていく必要なんてないよね。
もっと、わがままでいいと思う。

「我がまま」というのは、あるがままという意味だよ。
あるがままで、自分の気持ちに正直に生きていこう。

子どものころに「いい子」で生きてきたとしても、大人になったらわがままになろう。
大人になれば、分別もつくようになる。
社会生活を適当に送りながら、わがままに生きるすべを身につけているはず。

自分で自分を縛るのをやめて、自由になろうよ!

(つづく)

自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!