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自由に生きるために、すべての「当たり前」「常識」を疑う

「当たり前」とか「常識」って、人によって違うし、その当たり前に縛られて苦しい思いをしている人はとても多い。
その「当たり前」は本当に妥当なのか?
本当に当たり前なのか?
おかしいと思ったら、とことん疑ってかかることをお勧めする。

人々を苦しめる「当たり前」には、本当にいろいろなものがある。
思いつく例を挙げると。

両親に感謝しなければいけない
親孝行をしなければいけない。
親の期待に応えなければいけない。
みんなと仲良くしなければいけない。
空気を読まなければいけない。
友達は多くなければいけない。
学歴は高くなければいけない。
正社員でなければいけない。
大きな会社のほうが良い。
経済的に安定していなければ結婚できない。
経済的に安定していなければ子どもを産んではいけない。
経済的に安定していなければ生きていけない。
忙しい時は休日も働くのが当たり前。
社会人は長期休暇が取れない。
上司の言うことは絶対である。
お客様は神様である。
年上のほうが偉い。
男は○○である。
女は○○である。
日本人は○○である。
嫌なことをできるようになることが大人になるということである。
勉強は嫌でもやらなければいけないものである。
好きなことでは食っていけない。
サボってはいけない。
無駄な時間を過ごしてはいけない。
成長しなければいけない。
辛くても努力しなければいけない。
将来のために我慢しなければいけない。
自己犠牲は美しい。
ずっと家にこもっていてはいけない。

とまあ、上げれがきりがない。

ここにあげたことは、僕自身が疑ってかかって、すべて「そんなことはない」という結論に至ったものだ。

もちろん、理論的に考えて正しいものもある。
睡眠不足は健康に良くない。とかね。

だから、一つ一つ、ちゃんと考える必要があるんだ。
「当たり前」という感覚になると、思考停止状態になる。
思考停止状態では、本当のところはわからない。
きちんと考えて、検証していく必要があるんだ。

すべての当たり前、すべての常識からフリーになろう。
そうでなければ、自由に生きられない。
窮屈な人生になってしまうよ。


自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!