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運動嫌いは体育が原因の可能性

僕は若いころ、いろいろなスポーツをやってきた。サッカー、ラグビー、テニス、トライアスロン、ゴルフ、スキーなど。
結構、本格的にのめり込んだものもあるし、遊び程度のものもある。
しかし、これだけやっていると、さすがに周りの人からは、運動が好きな人、得意な人、という目で見られているだろうと思う。

でも、小学生時代の僕は違った。
肥満児だったり、脚は遅いし、不器用だし、どんくさい子どもだった。
その影響からか、僕はずっと、自分のことを運動が苦手な人間であるというセルフイメージを持っていた。

運動が苦手という人々

整体師になって、整体を受ける人たちに対して、「身体のために運動をしましょう」とアドバイスすることがしょっちゅうある。

運動が好きな人はいいのだけれど、運動が苦手だという人は、「その言葉だけは聴きたくなかったなあ」というような顔をする。

整体師として言わせてもらうと、身体は動くようにできているので、身体を動かすことは気持ちが良いことなんだ。
にもかかわらず、運動が苦手、運動したくない、という人たちに興味を持った。

どうして嫌い、苦手なんだろう?って。

もちろん、嫌いな理由は人それぞれなんだけれど、多いのは以下のようなことだった。

・疲れる。
・メンドクサイ。
・時間がない。
・恥ずかしい。
・人の目が気になる。
・いい思い出がない。
・苦手

これらの理由を聞いて、これはもしかしたら、学校時代の「体育」が原因なのではないか、と思うようになった。

疲れるほどやらなくていい

運動が疲れるのは「疲れるほどやるから」だ。
健康のための運動なら、別につかれるほどハードな運動なんて必要ない。

ところが、運動をしたほうが良い、と言われると、疲れるほどがっつりやらなければならないと勘違いしているようだ。

健康のための運動と、体力アップのためのトレーニングとは目的が違うのでやり方が変わってくる。

体育は、「身体を育てる」わけであるから、できないことをできるようにするとか、体力をつけるとか、どちらかと言うとトレーニングの意味合いが強い。

だから、「運動」と言うと、どうしても疲れるほどやらなければいけないと思ってしまうのだろう。

健康のためにやる運動は、「気持ちが良い」ところでやめるくらいでちょうどいい。
やり過ぎれば確かに疲れてしまうし、どこかを痛めてしまうかもしれない。

身体を動かして気持ちよさを感じてほしい。
気持ちよさを味わうために、身体を動かして欲しいのだ。

他人と比べなくていい

健康のために行う運動では、他人と比べる必要はない。

体育は、どうしても他人と比べられてしまう。
運動神経の良い友達と比べられて、ダサいとかどんくさいとか言われ、とてもみじめな思いをした人も多いだろう。
僕もその一人だから、気持ちがよくわかる。

だから、どうしても人に見られることを意識してしまう。

しかし、健康のために体を動かすのに、かっこよく運動する必要なんて無いし、他人と比べる必要もない。

学生時代のみじめな記憶がよみがえってくるかもしれないけれど、そんなものにいつまでも縛られていて、運動の良さを享受できないのはもったいない話だ。

過去は過去、他人は他人である。
そんなものは捨ててしまおう。

時間は作るもの

運動をするのに、例えば、スポーツクラブに入会するとか、テニスクラブに通うとか、そういうことをしようと思えば、それはなかなか時間を作るのが難しいかもしれない。

しかし、健康のための運動は、そこまでする必要はない。

近所を15分程度散歩して、軽く体操やストレッチをするだけでいい。
お風呂上りに15分ヨガをやるのもいい。
寝る前に15分筋トレをするのもいい。
通勤時間を利用してウォーキングをするのもいい。

15分くらいの時間なら、作り出そうと思えば作れるはず。
工夫次第ではいくらでも運動をすることはできる。
ぜひとも、工夫して時間を作って欲しいものだ。

まとめ

運動が嫌いだという人の中には、体育にいい思い出がない、という人が多い。
僕としては、身体を動かす楽しさを教えてあげて欲しい。
身体を動かすことの気持ちよさと、その重要性を教えてほしい。

自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!