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視覚のはなし(「映画館」編)

こんにちは。

二日です。

皆さんは、映画館で映画を観ますか。

私は大学生になってから、というか今思うと、カメラや写真が楽しくなってきた時期から、映画館で映画を観る頻度が上がってきて、今年もほぼ月2回ペースで映画館に行ってます。映画好きな人からしたら、もしかしたら大した回数ではないのかもしれませんが、個人的には「めちゃくちゃ映画館行ったなぁ」って思います。

観たのはほとんどアニメ映画で、元々好きな新海誠作品の「すずめの戸締まり」を去年に引き続き3回観に行ったり、今年のコナンの「黒鉄の魚影」もコナン映画で初めて2回観たり、同作品を複数回観るようになってしまいました。他には「シン・仮面ライダー」「マリオ」「君たちはどう生きるか」とか、まぁ要するに話題になってるのを観に行くミーハーです。

そんな私の嗜好はさて置き、なぜ私がこんなに「映画館で」映画を観るのにハマっているのかということに対する、自分なりの分析が、今回のメインテーマです。

ざっくりとした私の映画遍歴としては、小・中学生の時は基本的に年に1回のコナン映画と、年によっては家族か友達と他の映画を1作観に行くか行かないかぐらい。映画は嫌いじゃないし、映画館で観るのも嫌いじゃないけど、わざわざ1000円(小・中学生料金)という、子供的には大金を払ってまで観に行く程ではないなという印象を持っていました。

その価値観が決定的に揺らぎ始めたのが、2016年秋、同年8月26日公開の新海誠監督作品「君の名は。」を家族で観に行った時でした。

今更この「君の名は。」自体の説明はしません(もし知らない人がいたら調べてみてください。ていうか見て欲しいです)が、当時の私的には「新海誠って誰?」「RADWIMPSって誰?」ってくらいに「初めましてな製作陣が作っている映画」という印象だったのですが、確かこの年のコナンの映画を見に行った時に流れていた予告で興味を持ったから見に行った、と言う感じだったと思います。

今でこそ「君の名は。」のストーリーや絵や音楽など、色んな要素に対する感想を持っていますが、当時はとにかく「絵」と「音」が印象的で、こんなに「映画の世界に入りたい」というか「飲み込まれたい」と感じたのは初めてだった気がします。これは映画館でしか体験できないものだったなと思います。

この辺りで、映画館で映画観るのもイイかも、と思うようになっていきます。でもまだ1000円1500円はちょっとハードル高いし、そもそも自分が見たいと思った映画を「一緒に」観に行ってくれる人を探すのが大変で、かと言って、1人で行くという選択もハードルが高くて、高校生になってからも、それまでと変わらず年1回のコナンともう一作品観るか観ないか程度でした。

しかし、「1人で」映画館に行くようになるきっかけ、というか「誰かと一緒だとか1人だとかを気にしなくなる」きっかけになった出来事があって、それはまた新海誠監督作品の、2019年7月19日公開の「天気の子」を観に行ったときでした。観に行った時というか、これを観に行くまでの一連の出来事がきっかけになりました。

「君の名は。」が公開された次の年に、地上波で初めて「君の名は。」が放送されたのを観たのがきっかけで、元々好きな作品だったのが、よりのめり込むようになり、次回作をとてもとても待ち遠しく感じていました。

ただ、その次回作であった「天気の子」の公開は、私が高3のときの1学期の終業式の日で、受験生である高校3年生にとっては、夏休みに入りいよいよ受験勉強を本格的に始めようかという時期にあたります。その公開日が判明してから、めっちゃ観にいきたいけど勉強もしないといけない、という葛藤と戦いながら、「天気の子」の予告動画、ホームページ、コラボCM等々、ネット上にある「天気の子」要素があるあらゆるもの漁ると言うことを、学校の課題や期末考査勉強より優先して行うという生活をしていました。そんなに観たいなら観にいけば良いのですが、同じく受験生である友達は誘いづらく、でもやっぱり1人映画はまだ無理かもぉと思っていたので、しばらくモヤモヤした気分が続いていました。

ですが、あるときふと、このまま「観に行きたいけど1人は、、、」と悩む時間が続いてしまうと、夏休み中の受験勉強に間違いなく影響すると思って、これはもう1人ででも観に行こうという考えにシフトしました。そして1日でも早くこのしょーもない悩みから解放されるには、公開日当日、高校の終業式が終わってすぐ行くしかないと思って、なんやかんや初めて映画を公開日当日に、しかも1人で観に行きました。

そんなこんなで、ワクワクとドキドキという、入学式みたいな感情を持って、タイミングバッチリの雨の中、「天気の子」を観に行きました。今の世間の「天気の子」に対する評価は、賛否両論な感じだと思いますが、当時映画を観終えた私としては、とても満足で、とにかく良い体験をしたと心から思っていました。そして、上映後の映画館の中で少しの間席に座ったまま余韻を噛み締めて、この時に「あ、1人でこうして余韻に浸るのも良いな」と感じました。加えて、映画館を出た後の、目に映る景色、耳に入る雨音、外の空気の匂い、肌に触れる湿った空気、自分に流れ込む全ての情報が美しく、心地よく感じられました。きっと、1人で来て、誰も話す相手がいなかったからこそ、そういうことに気づくことができたのだろうと思います。それに、こんな風に色んな美しい情報が流れ込んでくると、別に自分が今1人でいるかどうかなんてどうでもよく感じるようになって、それ以降は、むしろ1人で行くほうが映画を楽しめて良いじゃんって思うようになりました。

この「映画を観た後に現実が美しく感じる体験」は、初め私は、映像や音楽が綺麗な新海作品だったから感じたのかなと思っていましたが、その後、大学生になって、映画観に行くお金と時間の余裕ができて、映画を観に行くことが増えてくると、どうやらどんな映画を観ても、この「美しい体験」ができるのだと気づきました。

映画館は、暗闇の中で、大画面・大音量で映像を流すことで、目と耳で受け取る情報をある程度まで限定させているのだと思います。人間の視野は、映画館の画面より外側も含んでいますが、暗闇の中ではその外側から受け取る情報は無く、大音量の効果音やBGM以外の雑音が耳に入ることはあまり無いという環境は、目や耳にとっては、受け取る情報が限定されていて、負担がかなり少なくなっているのではないかと思います。ある意味、映画を観ているときというのは、脳がリラックスした状態になり、それによって映画を観た後に、色んな情報に対する感度が良くなっているのだと思います。

あー、結局何の話がしたかったのかわからなくなってしまいましたが、つまり、映画という「作りもの」のおかげで、気持ち的にも、物理的にも「現実」の世界が輝いて見えるようになる、っていう話です。

なんか一段と意味不明な文章になってしまいましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

次は「闇」と「光」の話をしたいなと思っています。

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