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身体が重い(もしくは心が重いのか)

つまりは疲労の許容量がいっぱいになったということか。


普段よりもぐっすりと眠ってしまったせいで妙に身体が重い。せっかくの休日だというのに、この重さのせいで気分は底辺だ。
休日だからやりたいことがあって、やらないといけないこともあって、それら全部片づけないといけないのに全く持って身体が重くて動けない。

やらないといけないと思うから余計に動かせないのかもしれない。
だから考えないようにしたが、湧き上がるのは何故かどうしようもない焦りばかりだ。
いやいやいや、何に焦っているのか。焦っても仕方がないし、焦るくらいなら手足を動かさなければならないというのに、重くて何もかもが煩わしく感じてしまった。

カーテンを開けることすら億劫だった。
隙間からこちらをのぞく光と、手元のスマートフォンの時間で朝を知らせる。もうとっくに普段の仕事の時間はとうに過ぎていたが、今日は休日。ゆっくりと眠っていられた。
休日だ。晴れ晴れしい休日のはずなのに、身体は普段よりも重い。何故か。
これを書いている時も心が晴れない。とりあえず吐き出すようにして書き連ねれば、この重さとはおさらばできるかと思ってみたが、そうはいかないようだ。

カーテンを閉め切ったままでも良いが、窓の目の前には観葉植物を置いている。だからその子達の為に、カーテンを開け、その後にベッドの上に天井を見上げた。

「疲れた」
と、思った。
なるほど、これは疲労からくる重さだ。
身体が重い。というより、手足が重い。対して外で運動なりしてはおらず、椅子に座り、パソコンを目の前にして働く日々だから身体的疲労はほぼない。
つまりはこれは精神的疲労から来る重さということなのだろう。

ほうほう、こんなにも疲れているとはいったいどうしてだろうか。
普段の仕事が原因としか考えられない。
それならば仕事の何が原因か。
周囲の環境、仕事量。たぶん考え始めたらきりがない。
身の丈にあっていないことをしているのかもしれない。それを誤魔化して進めていっているような気がする。期待されている重圧も分かる。やらなければならないことが多すぎる。
課題も問題もあるというのに、解決方法がない。

近頃疲れやすくなったような気がする。もしくは、ようやく疲れというものが人並に分かるようになったのだろうか。
というのもだ、自分はなんというか身体に変化が出てようやく疲れている、というのが理解できた。
眠いのは常だが、妙に熱っぽかったり、身体が本当に動かなくなったりしてようやく「あ、疲れてる」という自覚が出来たくらいに少しばかり鈍かったと思う。

もちろん、この程度で疲れたなんて言えないと言われるかもしれない。が、それは置いておく。

疲労の許容値というのが近頃小さくなっているのだろうか。
今、ここに書いている時の仕事は以前勤めていた仕事よりもずいぶんと余裕があり、楽にはなっている。だが、休日に溢れてくる疲労はずいぶんと多くなったなと実感する。これが老化によるものなら、ずいぶんと早いな。
老化ではないなら、ようやく人並に働く上で得なければいけない労力に対する疲労を感じ取れるようになったのか。
それともただ単に自分が弱くなっただけなのか。

弱くなっていなければ良いが、弱くなっているのなら何故弱くなってしまったかと突き詰める必要が出てきそうだ。
だからそこからは目を背ける。情けなくなりそうだから。

まだ梅雨が明けていない。なるほどきっと、これは梅雨のせいだ。と思えば気持ちは多少楽にはなるだろう。
今はそうしておこう。そうして、今は目をそらしておこう。

とりあえず明日は外に出よう。晴れていようと、雨であろうと。
それでおいしいお酒と肴を買って一杯やって、また仕事を出来る範囲で順番に進めていこう。
自分がやれるのはそれだけだ。

そうだろう?

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