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学校に行かせようと四苦八苦した一年

不登校児ママけいてぃです。
現在小2の娘は小2の4月から学校に行くことをやめました。
正確に言うと、私たち親が行かせないことを決めました。

入学式には行きましたよ。桜の下でランドセルを背負って笑顔の写真を撮りました。学校に慣れるように3月中から何度も学校には行ってましたし、前日には入学式のリハーサルまでしてもらって万全でした。

でもね、入学式の1週間後に娘は「学校に行きたくない」と布団の中で泣きました。
支援級には在籍していましたが、入学後1週間は全て通常級で過ごし、限界を感じた娘は爆発したのです。
あの教室にはもう行きたくないと言いました。

そこから始まった原因探し。私は当時、娘が学校に行けない原因があってそれを解決すれば行けるようになるのだと思い込んでいました。
当時通っていた療育先の先生に学校に来てもらい、先生と三者で話し合う場を設け、自分にできることは何でもやりましたし、学校にお願いしてやってもらえそうなことは粘り強く提案し続けました。

音の過敏さ対策に耳栓とイヤーマフをダブルで装着させ、疲れやすさ対策として「娘専用ルーム(という段ボールで作った仕切り)」を教室内に作ってもらい、ニトリでリラックスできる一人用ソファを買って学校に寄付し、一日の見通しが立つように毎朝のスケジュールを先生からもらって娘を一緒に「リハーサル」なるものをしたり(最先端の自閉症教育をしているアメリカでは一日の始まりに自閉の子を集めてその日のリハーサルをするそうで。見通しがつかない不安を軽減するのに有効のようです)、周りの生徒のことがよくわからなくて不安というので娘の好きだった小学館図鑑NEOを模して「小学館図鑑NEO 〇〇小学校」という手作りの冊子を作って友だちの特徴を絵と文字で一覧にしてみたり…

先生たちにはお母さん頑張りすぎですよと言われました。
どうにかして学校に行かせなければと必死でした。

こんな努力の甲斐なく、娘の行き渋りはひどくなっていきました。
たとえ学校に行けたとしても、支援級の娘専用の段ボール部屋の中で何時間も引きこもって出てこない娘…

ここまで嫌がるのに、本当に学校に行かせていいのだろうかという気持ち。
一方で、学校に行かないなんてあり得ない。どうにか支援したら行けるのではないかという気持ち。

これらの葛藤の中、娘の聴覚過敏は小1の3学期頃からひどくなっていきました。
スーパーの入り口で鳴っていたセールの呼び込みと音楽を嫌がり、号泣したこともあります。
さらに、視覚過敏のような症状まで訴え始めました。
浴室の電気を眩しいと言いました。

自閉スペクトラム症の特性の悪化は環境が合ってないことが原因と本で読み、夫に学校を休ませた方がいいのではと訴えました。夫は私の負担が増えることを心配して最初は反対しましたが、二人で休ませることを決断しました。

小2の春から娘は不登校に。
ただ、支援級の担任が変わり、週に一度だけ給食だけでもいいから来たらと言われて、嫌がる娘を連れて学校に行きました…

学校にいる間、新しい先生と二人きりでは不安だという娘について私はずっと教室で過ごしました。

何なのだろう、この時間。
意味あるのかな?

夏休みの終盤、またあの日々が始まるのかと思っていたとき、娘が「学校イヤだなぁ」と憂鬱そうに言いました。

はっとしました。
たとえ短い時間でも辛いのだ。
もう娘も私も頑張るのをやめていいんじゃないか。

私は完全不登校させることを決意。

娘を学校から守ることはできました。
でもこれからどうやって生きてるいけばいいの?

悩みのループにはまった私は
気づくと涙がとまらない状態に。

夫に心療内科に行くように言われました。

そんなときに手に取った小田桐あさぎさんの本。
私には自由に生きる小田桐あさぎさんが
希望の光でした。






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