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心を動かされる瞬間

観察することは楽しい。電車通勤に切り替えたため、電車の中吊り広告を見るようになった。この広告は誰に向けて、どんな目的でつくられたのだろうか、なぜこのデザインにしたのか、どうしてこのコピーにしたのか。そのすべてに理由があるはずで、それらを考えているとあっという間に時間が経つ。取材者の目を持つことで観察という娯楽に耽っていることが楽しいのだ。そして、製作者の意図や意志を少しでも感じてみようと頭を使う。

 たとえば、電車旅の広告があるとする。写真を見ると、若い女性が2人で映っている。となると、ターゲットは20代前半から後半あたりか。おいしいものを食べたり、その街の文化に触れるような、友達と行く女子旅を想定した広告だとわかる。
 情報は情報として、ここからである。その広告を観た若い女性が「あ、行ってみるのもいいかも」と思ってくれるかどうか。もちろん、年配の方が広告を見て、「行きたい」と思うこともあるだろうし、男性が広告を見て「今度彼女と一緒に行こうかな」と思うこともある。それを目にした人がどう感じるか、だ。
 作り手には伝えたい人がいて、伝えたいことがある。また、「いいな」と感じてほしいと思っている。そのためには、どうすればいいかをとにかく考えられた結果の表現が広告である。
 ぼくはその表現が魅力的なものであれば、とにかくすばらしければ、ターゲットに関係なく、伝わるのだと思う。なぜなら、これまでぼくがそういう魅力的な表現と出会った記憶があるからだ。最近でいえば、「サントリー天然水」のCMである。

一人の女性が雨のなかを走る映像とともに、元同僚らしき二人のOLの掛け合いが声のみで始まる。そこで、仲の良かった一人が「どうして止めなかったんだろ…」と自問したのち、話をする女性の映像とともに「『止まるな』って思ったのかも」と自分で答える。
 そして、雨のなか走っていた女性が立ち止まり、光が差し込む空と山に向かって「よろしくお願いします」と一言。新しい旅立ちを祝福してくれているかのような自然に対して挨拶するシーンになっている。最後の、

大自然よ、ぼくたちのピュアな部分になってくれ。

というコピーがぼくは好きだ。そのまま受け止めようとすると、自分の中の純粋な部分を大自然という未知のものに担わせようとするお願いのコピーに思える。けれど、初めて目にしたとき、理屈で考えることはなかった。冒頭の会話からの「『止まるな』って思ったのかも」という答えや、走る女性の姿、表情、言葉、そして自然の景色、そこにあるストーリーや空気を一本のコピーが通貫して表現していると感じた。このCMにはこのコピーだと感じたのである。
 それ以来、幾度となくこのCMをYou Tubeに観に来るし、テレビでやっていると思わず食い入るように画面に集中してしまう。何度目であっても、新しさを感じるし、言葉が響いてくる。わくわくするCMに久々に出会ったと感じた。
 ぼくは、いやおそらくぼく以外の人々も、じぶんの心を動かしてくれるような、わくわくする表現との出会いをいつも待っているのだと思う。そんなことを考えていないと思ったとしても、人はじぶんをエンターテインさせるものをいつも心待ちにしているのだ。そしてそれは自分自身でもある。わくわくをつくることは簡単じゃない。だからこそ、出会ったときに自分の心が動かされるのだと思う。

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