変わりたくない気持ち、変わりたい気持ち

気がつけば、23時をまわっていた。そんなことはよくあるが、気がついた時間が遅ければ遅いほど、風呂に入るのが億劫になる。風呂は気持ちのいいはずなのに、なぜこんなにも億劫になるのか。
この時期、裸になるのはまだ寒い。頭や体を洗わなきゃないけない。洗ったら乾かさなきゃならない。それらすべてがお風呂に入るには避けては通れないもので、お風呂に入るということはそういうことなのだと思う。
 それでもこうして毎日お風呂に入っている大半の人たちは清潔だと思う。昔の人は毎日風呂に入っている人などほどんどいなかっただろう。つまり、毎日はいらなくてもだいじょうぶだったわけである。「そうだよね」と言って、入らないことはなかなか勇気がいることだ。なぜなら、ある程度自分で自分がどれだけ汚れていて、どれだけ臭っているかわかるからだ。ぼくの足の裏など毎晩ピークを迎えているため、それを放っておくことなどできやしない。こいつをなんとかするために風呂に行くようなのものである。風呂に入ってきれいにすれば、それはそれでとても気持ちいいことも知っている。
 少しでも気持ちいい自分でいたいというのも人間の願望なのかもしれない。このままでいたい気持ちと変わりたいという気持ちがせめぎ合って支え合って今の自分がつくられているのは紛れもない本当なのだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?