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「読む」ということ

新聞を購読するようになり、毎日新聞を読む習慣ができてきた。朝読めずとも、夜に読み、朝は朝で会社で別の新聞を読む。そんなふうに、新聞を読むことへの抵抗が以前よりも薄れてきた気がする。今までのぼくといえば、スポーツ新聞のテレビ欄、芸能欄、スポーツ欄を読んでいたくらいで、本当の意味で新聞を読んでこなかったわけだ。そんな自分からすると、かなり変わったとも思える。けれど、ただ読んでいるだけではいけない。それは受け取るだけの「読む」に過ぎない。ぼくが目指すのは、能動的な「読む」である。それは、掲載されている記事の内容に対して、自分の頭で考えて仮説を立てるといった読み方をしていくことを指す。なぜそんなことをするのかというと、ただ情報をそのまま得ているだけでは、知ることだけで終わってしまうからだ。知ることから理解することへ、そしてその情報を活用することへつなげるためには、能動的に読み、自分の頭で仮説を立てていく読み方をする必要がある。
 そして、それは新聞だけにとどまらず、あらゆる表現に対する受け取る姿勢として、確立していきたい。小さなことだが、まずは新聞から始めていこうと思っている。

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