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雇用を生み出すことは、幸せな人を増やしているのだろうか

雇用を生み出すことは、
会社の存在意義の一つだと思う。

そこで働く人を増やし、
経済を回し、人々の収入源をつくることで、
そこに関わる人が暮らし、生きていくことができる。

いまの社会では収入があること=暮らすことに直結しているから、
大変ありがたいものだと思う。
実際、給与をもらいながら、ありがたく思っている。


一方で、
時給単位で働く、非正規雇用で働くことが、
いいことだとは思っていない。

続けることで、暮らしが豊かになるならまだしも、
収入が上がらないのに、税金や社会保険料は上がり、生活費も上がり、世界情勢的にもこの物価高が収まる見込みはない。
暮らしや生きるのに、何もかもお金で賄うようになったこの社会システムでは、ストックすることができない人たちは、働き続けることでしか生きながらえることができない。

この働き方、生き方、思考哲学から、早く抜け出した方がいいと思っている。


『21世紀の資本論』にあるように
「資本収益率(r)> 経済成長率(g)」という不等式が常に成り立つならば、資本を持たざる多くの民は、この資本主義システムに参加するほど、どこかに資本が集約されてしまう。そのマネーゲームに参加するメリットがないのに、参加し続けるのは、それが前提となった暮らしの上に生きているからだ。

資本主義がうまく駆動していて、みんなが成長率にあやかれた時代が過ぎつつある中、雇用を生み出すことはいいことだというのは、もはや時代遅れなのではないか。
むしろ、働き続けるしかできない人を増やすことは、人々の幸せには繋がっていないのではないか。



売り上げを上げること、
経済を回すこと、そのための仕事をこなすこと、
がもはや最適解ではないと感じている。

もっと本質的に、
何のために働くのか、
豊かさとは何なのか、
どこに喜びがあるのか。

結果的に、やっていることは同じでも、
根底で共有した哲学があるのかどうかで幸福度が大きく変わるように思う。



最近、単純に売り上げや客数を上げること、から始まる話に気持ちがつまずくことが多かった。1mmもモチベーションが上がらないのはなぜなのか。

根本にある働く哲学を欲しがっていたんだなぁと気づいた。

その仕事の先に、誰が幸せになっているのかが見えないとモチベーションが上がらないタイプみたいだ。

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