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怒りの抑圧と幼少期の記憶(2023年9月7日時点の『私』の傾向性)
怒ってはいけない
感情的になるのはひどく未熟で、幼稚なこと
感情を撒き散らすと、周りは不快になり、空気は悪くなり、時に人を傷つける
このことを、私は小さい頃からよく知っていた
なぜなら平気で感情を吐き散らす父が自宅にいたからだ
その父を見て、自分はああはなりたくないと強く思っていた
自分は、もっと成熟してて、冷静に自分の感情に対処できる
そんな能力を身につけようとしていた
現代は怒りの抑圧時代と言えるかもしれない
EQ、アンガーマネジメント、マインドフルネス
時にこうした怒りの抑止は、怒りの抑圧を生む
私もそういったことをある時期熱心に勉強して実践したりした
なぜなら私の中に眠る、父に似た凶暴性に対して、強い嫌悪と恐怖があったからだ
そんなことに先週気づき、「怒りに対する抑圧の解放が次のテーマかあ」なんて思ってた矢先、現実がシナリオのようにやってくる
今年に入ってから、人生は見事なほどに、自分に必要なイベントを私によこす
久々に怒り狂う出来事が起きた
しかし、いつもの通り私は、いろんな視点で物事を捉えようとする
私の視点だけでなく、相手の視点、俯瞰する視点
そして相手の正義も認めることで自分の怒りの沈静化を図る
怒ってはいけない、嫌ってはいけない
そうして私はひどくエネルギーを使い果たし、疲れ、眠りは浅くなり、頭痛がやってくる
私はこう、自問していた
「私は何で、こんなにイラつくんだろう?」
この自問そのものがもつある前提に、ふと気づく自分がいた
「この質問それ自体が、イラつく自分を否定してないか?」
いつものことながら、私は仲間のピアサポートの元、この抑圧の解放に向かった
下腹部あたりがグルグルグルグル
煮えたぎるほどの怒りと嫌悪
ここに書くには放送禁止用語すぎる言葉の数々笑
たとえ世界がおれに対して「おまえがおかしい」と言おうが、知らねえわ
おれは怒り狂ってるし、気持ち悪くて仕方ねーんだよ
という超自己中心的な感情が、流れ出る
ピアサポートの相手が「なんだか、2歳とか3歳ぐらいの、全部自分の思い通りがいい!!といったとっても原初な感情を感じる」と言った
私には幼少期の記憶が全くと言っていいほどない
私がその時代に味わい尽くしたかった超わがままな感情は、記憶と共に私の深いところに閉じ込められてしまったのかもしれない
何かそうしないといけない理由があったのだろう
それは親が原因かもしれないし、また違ったことが原因かもしれない
けど、そんなことは、どうでもいいのだ
今こうして、私の下腹部から、超わがままに怒り狂い、強い嫌悪感を堂々と示せる私がやっと顔を出し始めた
今私にできることは、そんな新しく顔を出し始めた私の感情に思いっきり浸ること
その感情を、「親」だの、「社会」だの、「正義」だのといった人間の理性が作り上げた幻想の枠の中に閉じ込めたりせずに、ただただ、浸り切ること
ムカつくものはムカつくし、気持ち悪いものは気持ち悪い
それだけなのだから、そこにごちゃごちゃと正しさとか考えずに、ただただそれに浸り切る
そうして私の怒りの抑圧は少し流れ始めた
そうすると、不思議と疲れも、浅い眠りも、頭痛も止んだ
おれは自分の人生を選ぶことができる
怒りと嫌悪を使って、自分の自然性に合った自分の人生を選ぶことができる
好きか嫌いか
私の3歳の息子がすごくシンプルに生きられる秘訣は、好きか嫌いかを何よりも大切にして生きているからだ
私はそんな息子が羨ましく見える
ただ今の私にはわかる
目の前の息子と同じような私が、ちゃんと私の下腹部に存在していることを
「ちゃんと在る」
しばらくこの下腹部でやっと顔を出した私と共にいようと思います
ムカつくものはムカつくし、キモいものはキモい
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