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眠れない夜と一筋の涙(2023年4月22日時点の「私」の傾向性)

私は常に、頭に何かしらの力が入っている。これは理性的で善悪感の強い頭の住人たちの仕業である。何かを防衛している。何かを拒んでいる。何かを恐れている。

私にとって「生きる」が、頭に力を入れることになっている。何かを考え、正解を見つけようとし、正解を探し続ける。私はこれ以外の生き方を知らない。

この弊害は、常に力んでいるが故に、自分の本質に触れられないということである。生命の流れにのれないことである。エネルギーワーク後、リラックスをした時にひどく頭の力が抜けて脱力する。この時初めて、私は自分の自然状態を知る。しかしすぐに力が戻る。これは強く根深い私のパターンである。

先日、私の胸の住人たちの正体が一つ暴かれた。生命のない固形物であった私の胸の住人の1人は、大学時代に起きたある家族問題による心的ストレスによって呆然と横たわる私自身であった。

当時の私にとってそれは、嫌悪、不快、憎悪、殺意の対象であった。そして当時、その対象が心的に私の中に入ってくる感覚に襲われる出来事があった。

この話をカミングアウトした時、知り合いの臨床心理士の方が少し青ざめた顔で言った。「よくこうして、普通に立派に生きてこれたね」と。

私は、必死だった。生き抜くために。全ての負を必死に抑圧した。知る全ての手立てを使った。理性。言い訳。解釈。瞑想。全てを使って、意識から飛ばし、私を守った。結果それは深く深く深く、抑圧された。

先日のある夜、どうしようもない精神的負荷に襲われる出来事が起きた。そこで浮かび上がった胸の違和感に向き合った。抑圧せずに向き合った。「なに?おまえは何が言いたい?」そう向き合い続けた。

鼓動は早くなり、息は荒くなり、眠れなくなった。そうだった。私はあの時も、大学時代のあの時も、一睡もできない日がしばらく続いたんだった。朝起きたら、涙を流している自分に出会ったのだった。しかしその時、本当の意味で頼れる人が私にはいなかった。1人で乗り越えるしかない。そう考え、あらゆる苦しみを意識から飛ばした。もし私が瞑想などを使ってそうできていなかったら、私は今頃どうなっていただろうか。

この前の夜、忘れたはずのあの嫌悪感が戻ってきてしまった。私は解決したはずだった。全てを許したはずだった。ただそれは違った。私は抑圧しただけだった。

その時の胸の感覚をそのままに、文字にした。そうして生まれたのが、「醜肉球体 奇形」であった。私の中に入り込んだまさにそれだった。

私は、私をこの状況に追い込んだ者に、気持ちをぶつけるしかなかった。全てがそこから引き起こされているように感じたからだ。大切な人を大切にするため、自分を大切にしないことを選んでいた。しかし、それはもう無理だった。全てを伝えた。そしてそれは、肉親であった。

その翌日、私はある人に全てを打ち明けた。音のない声が続いた。ただひたすらに、自己の身体感情に向き合いながら。私の思考はグルグルと渦を巻いていた。思考に頼らないように、ただ身体に浸った。

私の口から出た言葉は、単純な愛だった。愛したいけど愛せない。けど愛したい。その単純な思いを表現するシンプルな言葉が、思考ではなく、私の口元からそっと流れ出た。と同時に、私の頬には涙がつたい、顎からひたりと地に落ちた。

私は、心から人を信頼しない。愛さない。私は捨てられてもいい予防線を張るのである。

私は捨てられる。頑張らないと捨てられる。

その恐怖から、私の「生きる」は頭で力むことである。

けど私は、愛したいし、愛されたいのである。信じたいし、信じられたいのである。頑張らないままの自分で。その何かを探し続けてしまっている。これは私の愚かさであり、弱さであり、不足であり、未熟さであるかもしれない。

けど私は心から愛せないのである。信じられないのである。これが私の、アクセルとブレーキ同時踏みのカオスである。

私は、精神の中で失われた母を世界に投影する癖がある。私は、精神の中で私のことを認めてくれない父を世界に投影する癖がある。だから私は頑張ってしまうのである。捨てられないために。私はこの歳になっても、親の影響から自由になれないでいる。これは、情けなくても認めなくてはならない。でないと何も始まらないからである。

私は、親を幸せにしたかったのだろう。しかしそれはもうやめたいと思うのだ。じゃないと私は、私の中にいる「醜肉球体 奇形」を殺せないのだ。

解放はまだまだ遠い。

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