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日記のように

誕生日を控えた片田舎の美大生。
大学では絵を学んでいる。

4月に大学へ入学し新しい人と出会い、紆余曲折あり離れたりまた近づいたり。人と関わり、さまざまな知識がついて見る世界が徐々に広がっている。同時に、胸の内に広がる言いようもない苦しさも大きくなっている。
人間関係、国内外の情勢、価値観、より個人的な問題でいえば、絵を学びに大学へ進んだのに信じられないほどに絵が描けなくなっていること。
苦しさを少しずつ咀嚼してちょっとでも自分の納得できる自分の救い方を探したい。

そんな私の日記代わりのnote。


美大なんてものは我の強い人間たちの集まりで、いざこざに巻き込まれたら終わりだと入学してみて気がついた。(しかし、これは片田舎の、私が通っている学校の話であって関東圏の有名な美大芸大はどうかは分からない。)我が強いがやはり皆絵の実力は確かにあり、落第生の称号を与えられないように必死に木炭を握りエスキース帳と木炭紙に描き起こす毎日。ふと隣を見れば紙に三次元を二次元に落とし込んだようなデッサン。そのまた隣もそう。皆すごい、と感心し自分のデッサンを見るとあり得ないくらいに下手で吐き気を催す。小学生のほうがまだ上手い。それくらい下手な絵。私は頭が良いわけでもなく、大した仕事ができるわけでもなく、顔が美しいわけでもない。ただ、たまたま絵がちょっと描けて、絵を描いて褒められてそれで承認欲求と自己顕示欲を満たすのをやめられなかったただのガキ。だから今自分の納得する「上手い絵」が描けなくなっていてとても苦しい。

絵を描くこと(描けること)が取り柄の私が、本当に描けなくなったら私はどうするのだろう。

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