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「不登校の子どもが1歩を踏み出すときは?」『不登校新聞』代表が語る心が回復する4つの過程

 子どもが学校を行きしぶったり、不登校になったとき、一番不安なのは「この先、どうなるのか」だと思います。受験や就労という言葉が遠く感じられ、ひきこもりやニートという言葉が一気に近づく。親としては冷静ではいられません。ですが安心してください。不登校の人がたどる道のりがあり、心が回復していく手立てがあります。弊紙代表・石井しこうが、自身の不登校経験から得たこと、20年間の不登校取材で得たことをベースに「心が回復する過程」を解説しました(本記事は2024年1月11日に「親コミュ」内で行なわれた講演の抄録です)。

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 こんにちは。全国不登校新聞社・代表理事の石井です。本日の講演で私がお伝えしたいことは、人には不登校が必要なときがある、ということです。これは、400人を超える方々に不登校について取材をしたなかで得られた結論です。 

 さまざまな理由で学校生活が合わなくなって、なぜ自分が、なぜ自分の子どもが、という疑問は当然生じます。しかし、ムリに学校に留まることはとても大きな苦痛になることもあります。したがって、不登校が必要なときがある、そして、不登校は悪いことではない、ということをお伝えしたいと思います。

 そのように考える理由はたくさんありますが、ひとつには、私自身の体験があります。私は小学生のころ、中学受験のため、塾に通っていました。塾ではスパルタ式の教育を受けました。「偏差値50以下は将来がない」と言われ、何時間も続く勉強合宿などもあり、強いストレスのなかで生活していました。

自分にも向いた 差別意識

 結果として受験にはすべて落ちてしまいましたが、本当につらかったのは、受験に落ちたことではありません。「勉強がうまくいかなければ人生がない」と思い込まされたことでした。勉強ができない人間はダメな人間だという差別意識が、受験を通して自分に生まれてしまったのです。

 差別は、他人に向けられることもありますが、自分自身にも刃を向けるんですね。受験に失敗した私は強い自己否定感を抱くようになりました。進学した公立中学校ではいじめに遭遇し、学校環境にもなじめず、すべてがうまくいかなくなりました。

 当時、号泣しながら「学校へ行きたくない」と言ったとき、母はただごとじゃないと思ったのでしょう、「わかった」と言ってしばらく休むことを提案してくれました。このとき、休むという選択をしたことが私にとって救いになったと思います。当時、「死にたい」と何度も感じるほど追い詰められていましたが、休むことによって状況は変わり始めました。

 その後フリースクールに通い始め、現在の全国不登校新聞社に出会い、新しい道が開けたと感じています。休むことは、私にとって必要だったのです。

 その後、私は多くの不登校経験者に取材をしてきました。彼らの進路は多岐にわたります。サラリーマンや主婦といった一般的な職業から、国会議員、八百屋の店長、キックボクサー、科学者など、思いつくかぎりの職業に就いている人がいます。現在では不登校を経験したあと、85%の人が高校へ進学しています。進学がすべてではまったくありませんが、不登校になったからといって、将来への希望が失われたわけではないのです。

 また、文部科学省の不登校に対する方針が近年大きく変わってきました。2016年に成立された「教育機会確保法」を元に、2017年には学習指導要領の改訂が行なわれ、不登校というだけで問題行動と判断してはならない、学校復帰のみを求めるのではなく社会的自立を目指す、などの方針が加えられました。それ以前には「学校復帰」を重視していた文科省ですが、2019年には学校復帰を重視するとした過去の通知を廃止しています。 私だけでなく、多くの不登校経験者が現在は社会の一員として生きています。国の方針も変わってきました。したがって、不登校でもどうか安心してほしいのです。

「行きたくない」限界のサイン

 次に不登校の対応について触れたいと思います。

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