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【あれこれ】贖罪トイレ


籠ったトイレが罪ならば、ウォシュレットの不意な暴発は罰でしょうか。もう裁かれない罪はどこで償えばいいのでしょうって、やっぱり表現の上ですかねえ。ドヌーヴさんにとってそんな排泄の場にしていただけたら。もちろん、あなたにも。(スタッフ・古川)





過去の連載でも何度か登場するが、俺はよくトイレにこもっていた。学校はもちろん、外の施設でも。確かに不登校によって生活リズムは崩れていたが、毎日毎日何時間も居座るほど健康を損ねていたわけではない。用もなくトイレに滞在していた時間は同世代の中でも群を抜いているだろう。ただ安息できるところが欲しかったのだ。それでも他人と共存して生きる以上、やっぱり迷惑なわけで。


そもそも不登校に触れる前から、校内のひとけのないトイレを探して用を足すタイプだった。小学生の頃も中学生の頃も、ひとりでいることを誰かに悟られないよう、かといって他人と行動することは苦手だったので、こそこそと隠れて行動していた。「休み時間にグラウンドで友達とサッカー」とは対極の位置にいた俺は、だから昔からその気質があった。

高校で早々に不登校になったが、進級の関係で3年間全く登校しないという状況ではなかった。とはいえ数週や数か月あけて入った教室に、当然俺の居場所はない。休み時間なんて、息苦しいというレベルでなく。気づいたら校舎の隅にあるトイレに逃げ込むようになっていた。どこかで昼食をとるふりをして弁当袋を持ち、部屋を出る。誰にも見つからないところでと考えると、特別教室棟の2階。先客がいたら、3階。窓側の個室。たいていの場合、俺はそこにいた。

何をしていたかというと、何をしていたわけでもない。さすがに弁当を食べる気にはならなかったし、スマホが没収されていない時はそれでどうしようもないものをぼおっと見ていたりした。それにも飽きると、目の前の緑の扉を見ながら将来の不安を膨らませる。本当にどうしようもない。午後の始業10分前になるとチャイムが鳴った。それを聞いてから立ち上がると、長時間同じ姿勢で座っていたせいか足が痺れている。またこの感覚。うっとおしい。拠点を出てからもできるだけ遠回りをして、開始ギリギリに教室に入れるよう校内を練り歩く。人が通らないコースを狙って。

特別棟であるため教科担任と鉢合わせたり、チャイムがなっても勇気が出せず日が暮れるまで個室に隠れていたり、地獄はしょっちゅうあった。エピソードには事欠かない。とにかく、そんな感じ。学校に行けた日は休息の時間ですら、そんな感じで過ぎていった。


トイレの個室に逃げ隠れしているうちに、いつしか自分の中に「トイレは安全な空間」と刷り込まれてしまっていた。学校以外での「トイレ籠り」が始まる。通学路であった数キロの道中、よく無料で開放されているトイレで休憩をしていた。ところで、当時の我が家はWi-Fiが通っていなかった。ひと月で4ギガ使うと俺のスマホはうんともすんとも言わなくなる。それはつまり、「容量の重い動画やアプリを滅多に扱えない」ということで、もっというと「フリーWi-Fi空間がオアシスになる」と繋がる。そういう意味でもコンビニのトイレは偉大だった。見たいものを心ゆくまで見尽くせる、夢のスポット。平日昼下がり、セブンイレブンの個室でちびまる子ちゃんの「アララの呪文」を聞いて気合を入れていたし、ローソンの個室で大塚製薬のCM「ポカリダンス」のメイキング動画を見て泣いていた。1畳もないような狭い部屋が、間違いなく俺を繋ぎとめていた。

とはいえ間違った場の使い方である。5分10分ならいいものの、長い時で2時間くらい占拠していた。結構な回数怒られていたし、警察を呼ばれたこともある。雪の積もった寒い日、朝9時からコンビニの店長だという人に外で説教された日には、情けなすぎて交差点に飛び込もうかと思った。まあ総じて俺が悪い。今もまだ反省している。


最後に、当時唯一の青春を記してこの文章を閉める。

外出先で最も利用したトイレは最寄り駅内部の多目的トイレだった。地方にしては大きめの駅でショッピングモールが併設されている当駅。その施設の奥の奥、駅利用者のほとんどが気づいていないであろうところにそれはあった。健常者でありながら多目的を使ったのは、単純に広かったからもあったが、壁をはさんで隣の理髪店からWi-Fiが漏れていたこととウォシュレット便座のコンセントが簡単に取り外せたことが大きかった。データも電気も使い放題なその空間に、一時期は半日居座り続けたこともある。駅を経由する通学路は冬場限定であるため、1年目はやり過ごせたのだが、2年目からは駅からの対応がなされていた。「コンセントを抜かないでください」という張り紙とともに、プラスチックのロープが巻かれる。それを俺は丁寧にほどいて外し、出る時には元通りに固定した。3年目のある日、ついにコンセントに外側から固定カバーがつけられた。これではもう外せない。清掃員から目をつけられていたことは分かっていたし、責任者からの注意は秒読みだった。高校生の俺は逃げるように、そこにはもう近寄らなくなった。

迷惑行為の域を超えている自覚はある。けれど、「高校時代の青春」と聞くと真っ先に思い出してしまうのがあの青いコンセントだった。今もなお、地元に帰省すると件の多目的トイレを訪れカバーの有無を確認する。あれだけが唯一、高校生の俺が確かにこの町にいたという痕跡を残している。撮影したが使われなくなった卒業アルバムの写真より、ずっと痛くて、ずっと優しいと感じた。



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