【あれこれ】元不登校、学校で働いています
はじめまして、ちほです。
3月で28歳になりました。
不登校だったわたしの、今の生活について。
その前に、少しだけ不登校だったわたしについて。
小学校の頃から学校は時々ずる休み。
中学校は不登校、ほとんど行っていません。
ただ、勉強は好きな方で、塾に通っていました。田舎の中学校でしたが、模擬試験では学年で2位になったこともありました。
適応指導教室(現在の教育支援センター)に通ったり、校内で別室を確保してもらったりしてどうにか3年間を過ごしました。
ただ、卒業式だけは区切りとして行けばよかったなあと未だに後悔しています。
高校は、中学校のときのU先生のおすすめで不登校に理解のある私立高校に進学。高1、高2とどうにか通えていたのですが、高3のゴールデンウィーク明けから不登校に。夏休み明けから、校内の相談室に通って、どうにかギリギリ卒業。U先生の言うとおりにしておいてよかったと心から思います。
さて、その後のわたしについて。
私立大学に進学し、教育学と心理学を学びました。
小学校と特別支援学校、適応指導教室にもボランティアに行きました。
また、
・小学校教諭一種免許状
・特別支援学校教諭一種免許状
・日本心理学会認定心理士資格
を取得。
友だちや先生にも恵まれ、愉しい大学生活でした。
大学卒業後、小学校教諭になりました。
はじめて担任したのは2年生の子どもたちでした。
毎日、7時から20時過ぎまで学校。
1日1日が必死で、でも、楽しくて。
あっという間の1年でした。
2年目は、4年生の担任でした。
正直、きつかったです。コロナで3月が休校になったおかげでと言ったら変ですが、どうにか持ち堪えました。
3年目は、また2年生の担任。
1年目と同じ学年、加えて、単学級だったこともあり、やりたいことが好きにできて、本当に楽しい毎日でした。7時に学校に行って、教室で子どもたちを迎えるのがマイルール。退勤時刻は、だんだんと早くなり19時前には帰るように。
そして、今のわたしについて。
これまで、順風満帆な教員生活という感じで進んでいたのですが、4年目の終わり、業務過多でだんだんと疲れていきました。そんな中、はじめての異動。今までの学校の2倍以上の子どもたちがいる大規模校でした。前の学校から積み重なったストレスと、環境の変化で体調を崩して休職。
1年半お休みをもらいました。
病気になったときは、正直、ほっとしたのを今でも覚えています。(これで休める)(仕事から離れられる)と。でも、それと同時に、また引きこもるのかと落ち込みました。そんなときに、大きな支えになってくれたのが、パートナーの存在でした。
その後、復帰訓練を経て、復職。
ですが、体調が整わず、
先生6年目のこの春、退職しました。
この4月からは、何をするかというと、やっぱり学校で働きます。支援員といって、子どもたちや先生方をサポートする仕事です。
元不登校が学校で働く。
わたしの場合、不登校でしたが、出会った学校の先生に恵まれていました。そんな先生に憧れ、先生になることを決意。学校には行けなかったのに、先生として毎日学校に行くことができていたのは、自分でも不思議でした。
子どもたち、同期や先輩の先生方のおかげです。
体調が良くなれば、再度、採用試験を受け、教諭に戻るのが目標です。
これが、不登校だったわたしの、今の生活です。