見出し画像

【イエスの奇跡・マグダラのマリア】新約聖書・キリスト教の研究-17/#153-154


イエスの奇跡

イエスが12使徒を集めた出来事は、キリスト教の形成において重要な一歩だった。12使徒とは、ペテロ、アンデレ、ヤコブ(ゼベダイの子)、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ、ヤコブ(アルファイの子)、タダイ、シモン(熱心党)、そしてユダ(イスカリオテ)のことで、彼らはイエスの教えを広めるための主要な弟子たちだ。
イエスが12人の使徒を選んだことは、イスラエルの12部族を象徴しているとも考えられている。古代のイスラエル社会において12という数字は非常に象徴的で、神と人々の結びつきを示すものとされていた。彼らはただの弟子というより、神の国をこの世に広める使命を帯びた者たちだった。
使徒たちは後に、イエスの復活後、世界各地に散らばり、彼の教えを伝えた。その活動はキリスト教の拡大と直結しており、特にローマ帝国下での宗教改革や、後世の神学、歴史に大きな影響を与える。使徒たちの殉教や宣教の話が、後の聖人崇拝や教会の制度化に繋がった。
イエスと12使徒が起こした数々の奇跡は、単なる超自然的な出来事としてだけでなく、彼らの使命の象徴でもあり、その後のキリスト教の発展の根底にある神学的意義を持っている。キリスト教の歴史は、彼らが示した信仰と行動によって形作られたと言える。

イエスが12使徒を定めたのは、自らの使命の重さを感じた頃。山に一晩籠って神に祈った翌朝のこととされる。彼らは選任後に、病の癒し、悪霊払い、そしてイエスのメッセージである神の国の教説を広める権能を与えられる。
シモンとユダはユダヤ至上主義を基盤とする過激な熱心党の一員。この党派はローマからの解放を掲げ、民族主義的な解放者を期待していた。ほかの弟子たちも含め、自分の師こそローマの支配からユダヤ人を解放するメシアであって欲しいという期待はあったであろう。それゆえイエスの教えが理解できないのはしょっちゅうだったし、地位に執着し、気性が荒かったりしたのである。
イスカリオテのユダは弟子のなかでも頭の切れる人物とされ、会計を任されていた。だがユダはイエスを裏切り自殺を遂げてしまう。使徒が11人では不完全なため、新たにマティアが選ばれて、再び12使徒となっている。
初めて奇跡を起こしたのが、イエスが招待されたカナの婚礼。ふとマリアは参列者をもてなす大切なワインが足りなくなったことに気づき知らせる。この時イエスが水がめに水をいっぱいにさせると、その中身がワインになっていたというものである。
それ以降、湖を船で渡る途中で嵐を鎮めたり、ガリラヤの湖上を歩いたり、パンと魚を増やして人々に与えたり……。超人的な奇跡を現出させている。なお、イエスが起こした数々の奇跡のなかでも、病気や怪我の癒しや死者の蘇生といった人を癒す奇跡は群を抜いて多い。

地図とあらすじでわかる!聖書

象徴として描かれる2つの奇跡

マルコ福音書に、唐突に何気なく、ほとんど意味がない一文が登場します。ゲッセマネでのイエス逮捕時に……
「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。ときに、一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。」(14章50-52)
弟子達は逃げてしまっているので、直弟子ではないとすると……これはマルコ本人でしょう、間違いなく。自分の事をサイン代わりに一文追加したと考えるのは、自然の成り行きのように思えます。そうだとすると、マルコは少年時代、エルサレムに来たイエスを見た事がある、最後の晩餐の部屋にも出入りしていた可能性もあり……でしょうか。

マルコの福音書に記載されているイエスの逮捕の場面で、裸の若者が逃げ出す描写がある。この人物がマルコ自身という説がある。最後の晩餐はマルコの実家で行われており、マルコの家はエッセネ派の本部だった可能性もある。この逃げ出す若者のエピソードは、マルコがエッセネ派の儀式に参加していたことを示唆している。逮捕されそうになったマルコが裸で逃げ出した理由は、儀式が途中で中断されたからだろう。

イエスが伝道を行っていた期間は、実際のところ、洗礼者ヨハネの死から彼自身の処刑まで、ちょうど1年間に過ぎない。彼はまず自分の身を守らせる親衛隊を作り、またあちこちを移動して1か所に留まらないようにした。
彼の5人の親衛隊は、「雷の子」と呼ばれたヤコブとヨハネ、それに熱心党のシモンとシモン・ペトロ、それにユダである。『ルカ福音書』(第22章35~38節)によれば、彼らは常に、衣服を売って得た金で買った2本の剣を携えていた。
新約聖書によれば、イエスは自分の周囲にエリート集団を作り、特別の秘儀を与えていた。彼の周囲には、その布教の極めて初期から、ごく少数の側近集団がいたようである。彼は人々を3つの段階に分けていた。エリート集団、一般信徒(彼らには秘儀は伝えられない)、そして非信徒である。

封印のイエス


水とワイン/死者と生者

イエスが示した最初の奇跡は、カナの婚礼で水をワインに変えたことである。これはつまり、彼が宗団の外に信者を求めたことを表している。
クムランでは、「水」といえば一般人を、「ワイン」といえば一人前の宗団のメンバーを指す言葉なのだ。イエスは、目前に迫った「終わりの時」に備えるために、一般人に洗礼を施し、これによって彼らを「天の国」に入れようとしたのである。
クムラン宗団にとって、真の「生」は宗団の中のみにあるものであり、また、当時のユダヤ教の宗派にとっては他の宗派は宗教的に「死んでいる」と考えられるのもごく普通のことだった。ゆえに、彼らは自らの高位のメンバーを「生者」その他の人を「死者」と呼んでいた。

封印のイエス

2匹の魚と5つのパンの奇跡

この奇跡の話の前には、洗礼者ヨハネが斬首されたという大事件があった。
さて、クムラン宗団には指導者が2人いる。祭司のメシアと王のメシアである。祭司のメシアは洗礼者ヨハネだが、王のメシアは空位であった。イエス・キリストがその王のメシアとして準備されていた。ヨハネはイエスを見たとき、彼こそが王のメシアになるべき人物だと直感する。だが、そのためにはまず自分たちの宗団に入団しなければならない。誰に対しても洗礼を施して入団させるため、イエスも例外ではなかった。
入団後、イエスは頭角を現し、クムラン宗団の中で多くの弟子を集め、新たな派閥を作るほどの影響力を持つようになった。彼は宗団の後継者として、将来王のメシアとなり革命を起こして統治する人物として準備されていた。
しかし、洗礼者ヨハネが殺害され、宗団は大混乱に陥る。この事態を受けて、祭司のメシアの後継者としてイエスの弟である義人ヤコブが選ばれ、イエス自身は王のメシアの座につくこととなった。
宗団には約5000人の一般信者がいた。彼らに新しい体制を知らせるため、集会が開かれ、新執行部の紹介が行われた。メシアは「魚」で象徴されており、2匹の魚はヤコブとイエスを指す。そして、5つのパンはイエスを守る5人の親衛隊を意味する。人々は新たな執行部の紹介により満足し、団結した。この逸話は、象徴的に描かれた物語である。
パンを本当に増やして食べさせたわけではなく、「5000人」の人々が新しい指導体制を見て安心し、満足したことを指している。
さらに、「パンくずの残りを集めると12のカゴがいっぱいになった」という表現は、エッセネ派ではない外部の人間も説法を聞いて新たに入団してきたことを示している。
イエスが磔にされて死んだ後、義人ヤコブがクムラン宗団を引き継ぎ、原始エルサレム教会のトップとして指導した。12人の弟子よりもヤコブの方が上位にあり、彼が教会をまとめていたという流れである。

クムラン宗団の「復活の儀式」

『マルコ福音書』(第4章、第11章)によれば、イエスは一般の信徒には単純な教えを説き、少数の者にのみ秘儀を明かしている。
<そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される」>
儀礼的な死から甦って「第3階級」となった者こそ、この「少数者」にほかならない。そして、当時のユダヤ社会では、政治的なメシアであろうと何であろうと、「神の子」と呼ばれるのは当たり前であった。だが、ギリシア的な思考の持ち主がこれを聞けば、イエスとは文字どおり肉体的に「神の子」である、と誤解してしまうのも無理はない。
イエスは、逮捕が差し迫った状況の中で、「第3階級」の復活の儀礼を行った。このとき、彼が誰を参入させようとしていたのかは不明である。だが、彼の逮捕によって、参入儀礼は最後まで完遂することなく終わったと考えられる。
ひとりの若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった>『マルコ福音書』(第14章51~52節)
ここまで考察を進めてきたわれわれの目からすれば、その意味するところは明らかであろう。イエスはこの若者に対して、ここで何らかの参入儀礼を行っていたのである。ちょうど、フリーメーソンリーのそれと瓜ふたつの―。

封印のイエス

隠語:「教会」「灯」「星」=チャクラの事
第3位階の能力:ルシファーと直截交信する能力(
マリ・エメリー

フリーメイソンは、イエスが行っていた儀式を今に受け継ぐ集団であることがわかる。ただし、完全に純粋な形で保っているとは思わないが、かなりの部分を受け継いでいるのは確かだと思う。だからといって、ローマカトリックやプロテスタントの価値がないわけではなく、彼らも大きな遺産を受け継いでいる。
フリーメイソンがすべて正しいことを伝えているわけではないが、カトリックも少なくとも半分はメルキゼデクやマイトレーヤの教えを正しく伝えていて、それは非常に有益なことだ。
問題は、カトリックがイエスが行っていた儀礼を受け継いでいる秘密結社の人々を異端として弾圧したこと。これは本来、相互に補完し合うべきものだったはず。
イエスは一般の信徒を獲得するために山上の垂訓を行い、それをカトリックが受け継いだが、弟子たちに対しては特別な儀式を行い、彼らを引き上げていった。それは宗団の中で行われた修行であり、仏教的またはヒンドゥー的な要素が含まれていたかもしれない。
そうなると、フリーメイソンの教えは、弟子たちに秘密裏に伝えられたものを受け継いでいるようにしか思えない。つまり、フリーメイソンや秘密結社は、カトリックが周辺であり、彼らが内なる中核であると考えるのが自然だ。どちらかがどちらかを滅ぼせば良いという話ではなく、お互いに理解し合って共存すべき存在だ。
「ダヴィンチ・コード」を読むと、ローマカトリックが滅びるべきだという印象を受けるかもしれないが、カトリック側もまた、フリーメイソンを敵視して滅ぼそうとしている。これは非常におかしな態度であり、滑稽だと感じる。正しく理解すれば、実は両者ともに大したことをしているわけではなく、どちらもそれほど必要ではないのかもしれない、という考えに至る。

マグダラのマリア

マグダラのマリアは、しばしば娼婦として描かれてきたが、実際のところ、福音書にはそのような記述はない。彼女が娼婦であったとするイメージは、後世に作り上げられた誤解に過ぎない。この誤解が広まった背景には、歴史的な要因や宗教的な解釈が影響している。
一方、ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』では、マグダラのマリアがイエス・キリストの血統を受け継ぐ王家の女性として描かれている。この設定は、完全に架空ではなく、ある種の真実に基づいている部分もあると言える。この説の一部は、「マグダラとヨハネのミステリー」や「死海文書」の研究から派生したものだ。
マグダラのマリアに関する通説についてはまず、彼女はキリストの最も忠実な弟子の一人として、福音書に登場する。特に、彼女はイエスの復活を最初に目撃した人物として重要視されている。ルカ福音書やマルコ福音書では、彼女が悪霊を追い払われた人物として描かれており、それが彼女の娼婦という誤解に繋がったのではないかとも言われる。しかし、福音書には彼女が性的に堕落した女性であったという記述は一切ない。

マグダラのマリアに関する通説

イエスに従った人々のなかには、女性信者も多く存在した。
その女性信者たちの束ね役を担い、イエス復活の時に重要な役割を果たしたのがマグダラのマリアである。
ある時、イエスがマグダラの町に住むパリサイ派の人の家で食事をしていた時のこと。香油の壺を持ち、泣きながらイエスの足に香油を塗ると、自分の髪でそれをぬぐった女性がマリアだった。そこでイエスは、彼女の体から七つの悪霊を追い払ったとされる。
その悪霊については諸説がある。7つの悪霊とは、驕慢、強欲、淫乱、激怒、嫉妬、大食、怠惰ともいわれている。さらに後世には娼婦だったと考えられたが、福音書にはその記載はない。
この出来事以降、マリアは自分と同じ境遇の女たちとともに、持ち物を出し合って、イエスと弟子たちに奉仕した。
マグダラのマリアは、ユダを除く11人の使徒たちすら自分の身を案じて隠れていたにもかかわらず、ゴルゴタの丘でのイエスの磔刑にも立ち会っている。そして、葬られてからもずっと墓の前に座り、イエスを弔い続けたのである。
復活の証人のさきがけとなったのは、イエスの母マリアでも使徒のリーダーであるペトロでも、そのほかのいかなる中心的な弟子でもなかった。かつては罪深い女だったマグダラのマリアだったのだ。
彼女はここで重要な役割を担うことになる。散り散りになっていたイエスの弟子たちを再び団結させ、福音の歴史を築き上げていく最初の綾糸となる使命を与えられたのであった。

地図とあらすじでわかる!聖書
地図とあらすじでわかる!聖書

マグダラ信仰

フランスにおけるマグダラのもっとも有名な物語は、ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』(1250)である。ドミニコ派会士でジェノヴァの大司教であったデ・ウォラギネは、この本のなかで彼女を「イルミナータ」かつ「イルミナトリクス」――光を受ける「被伝授」者かつ光を与える「伝授」者――と書いている。これがきわめて興味深いのは、「禁じられた」グノーシス派の文書において彼女はいつもこの役柄を与えられているからである。彼女は啓示された者かつ啓示を与える者、伝授者かつ被伝授者で、ここには女性という理由によって精神的に劣るという考えはなく、むしろその正反対である。
その概要は以下のとおりである。マグダラのマリアは、磔刑のあとすぐに姉弟のマルタやラザロ、そのほかの数名――その名前は版によって異なる――と共に、現在のプロヴァンス海岸に海路辿り着いた。
版によって異なる登場人物としては、イエスの72人の弟子でプロヴァンス最初の伝説的な司教サン=マクシマン「聖マクシミヌス」、イエスの叔母といわれるマリア・ヤコビとマリア・サロメ、サラという名の黒人の下僕少女、通常グラストンベリーの物語と結びつけられるイエスの裕福な友人アリマタヤのヨセフがあげられる。
伝説によれば、彼らは現在のカマルグにあるサント=マリー=ド=ラ=メールの町に上陸した。一団はここで別れて福音の伝道に出かけた。マグダラはこの周辺をくまなく宣教して異教徒の改宗に尽くし、最後にサント=ボームの洞窟で隠修士になったとされている。彼女は亡くなる前に天使によってサン=マクシマン(そのとき彼はプロヴァンス最初の司教になっていた)のもとに運ばれ、彼に最期の終油を施してもらったらしい。彼女の遺体は、サン=マクシマンの名に因んだ町で火葬に付きされた。

マグダラとヨハネのミステリー

アリマタヤのヨセフがエッセネ派の大祭司であり、12人の弟子たちよりも高い位階を持っていたという話は、確かに興味深い説だ。彼がイエスを深く理解していた人物であるという点は、伝承や歴史的な視点からもよく議論される。この説に基づくと、彼がアーサー王伝説(グラストンベリー物語)や錬金術の伝承をもたらしたとされることは、初期キリスト教が錬金術的な要素を含んでいた可能性を示唆している。

ローマ・カトリック教会がそのような要素を拒絶したことは、歴史の中で何度も見られる異端認定と弾圧の一環だといえる。錬金術や秘教的な技術が初期キリスト教と結びついていたという説は、現代のカトリック教会ではほとんど認められていない。しかし、このような技術や知識を「異端」として排斥する動きは、宗教や教義の変遷においてしばしば見られる。

カトリック教会が錬金術を理解していなかったという見方もあるが、それが無知に基づくものか、意図的な排除であったのかは議論の余地があるだろう。どちらにせよ、初期のキリスト教が秘儀的な知識や技術を教えていた可能性があることを考えると、宗教と科学、哲学の関係が複雑であることがわかる。

実は、聖書の物語において最も重要な人物は、マグダラのマリアとアリマタヤのヨセフだ。この二人こそが中心的な存在なのに、どういうわけか脇役のように扱われてしまい、12使徒だけが強調される形になっている。これは何か意図的な操作があったのではないかとも思えるが、実際のところ、イエスを最も深く理解していたのはこの二人だった。12使徒は、実はイエスをほとんど理解していなかった。
例えば、イエスの死後、彼の遺体を引き取って埋葬したのはアリマタヤのヨセフだ。さらに、彼はフランスに渡り、最終的にはイギリスに聖杯を埋めたという伝説もある。これほど重要な役割を果たした人物がなぜ注目されないのか、不思議なことだ。

死海文書が発見され、エッセネ派についての理解が深まるにつれて、従来のキリスト教理解と異なる視点が浮かび上がってきた。特に、クムラン宗団についての知識が広がると、その教義や実践が従来のユダヤ教やキリスト教の教えと大きく異なっていたことが明らかになってきた。ここで重要なのは、エッセネ派がエジプト、特にアレクサンドリアの影響を受けていた可能性だ。アレクサンドリアは当時の学問と宗教の中心地であり、ヘレニズムやミステリズムの影響を強く受けていたため、エッセネ派もその影響を免れなかったと考えられる。

マグダラのマリアを理解するには、エッセネ派の教えを詳しく研究する必要がある。現代の多くの学者が、イエスや洗礼者ヨハネがエッセネ派の一員であった可能性を指摘していることからも、エッセネ派の信仰や礼拝の方法を理解しない限り、イエスの教えを完全に理解することは難しいだろう。

死海文書を通じて、エッセネ派がどのような信仰体系を持ち、どのような礼拝を行っていたのかを研究することが、イエスの教えやその時代背景を深く理解するための鍵となる。

死海文書にみるエッセネ派の教義

教団規定第8欄1―4a行(1Q VIII:1-4a)
 「1教団の会議には、12名の者と3人の祭司がいることになる。」

解説: これは、まだエルサレムにいた教団の創設者がその創設にあたり書きとめたマニフェスト(声明文)の巻頭言のようなもの。 ここで、この教団がいかなるものであるべきか言う。「教団の会議」とあるのは、教団の中核となるべき人々のことで、 それは「12人の者」と「3人の祭司」、合計15名からなる。 神殿があった当時、ユダヤ社会は神殿に奉仕する祭司集団と、そのほかの世俗集団からなっていた。 この世俗集団が「イスラエル」と呼ばれ、 12部族からなると考えられていた(ヤコブ、つまりイスラエルの12人の息子については、創世記35:22b-26参照)。 この世俗集団を代表する者として「12人の者」と言われる。 他方、祭司集団は「アロン」と言われる。

https://web.archive.org/web/20111224232630/http://mikio.wada.catholic.ne.jp/Vox_DDS07.html

教団規定第9欄5b―11行(1Q IX:5b-11)
 「アロンの子らのみが、法と財産に関してつかさどり、彼らの指図が発せられて、 教団の会員に関するすべての定めの決定がなされる。 11預言者が、アロンとイスラエルの油塗られた者たちが来るまで、 10b彼らは教団の会員が受けた教育の嚆矢こうしとなった最初の法規をもってしかるべき扱いを受ける。」
 解説: この共同体は「アロンの子ら」と言われる祭司たちと「イスラエル」と言われる信徒たちからなるが、 その運営にあたって指導的立場にあるのは祭司たちであることが言われる。 少なくともこの共同体の歴史の始めはそうであったが、いつまでもそうであったわけではない。
ここで興味深いのは、彼らが未来に来るであろうと期待していた人物をここに明らかにしていることである。 それは「預言者が、アロンとイスラエルの油塗られた者たちが来るまで」という句にある。 ここで「預言者」と言われるのは、申命記18:15-18で予告されているモーセのような預言者のことである。 このような預言者の到来をサマリア人も期待していた。 つぎに「アロンとイスラエルの油塗られた者たち」とは、 「アロンの油塗られた者」と「イスラエルの油塗られた者」という意味であり、 「油塗られた者」とはメシアのことである。 したがって、彼らは祭司であるメシア信徒であるメシアの到来を待望していたということになる。 当時のユダヤ人の中で、この2重のメシアが待望されていたことが、死海文書によってはじめて明らかになった。 従来から知られていたダビデの子孫から出る王としてのメシアは、その信徒であるメシアにあたる。 この未来に到来すると期待されていた預言者、アロンのメシア、 イスラエルのメシアは、第4洞窟出土の証言集に最も明らかに確認されるが、ほかの死海文書にもある。

https://web.archive.org/web/20111224232630/http://mikio.wada.catholic.ne.jp/Vox_DDS07.html

預言者:マグダラのマリア

メシア、すなわち「油注がれた者」とは、救世主のことを指す。メシアがどのようにして生まれるかというと、まず預言者がいて、その預言者が将来の王になる者の頭に油を注ぐことでメシアが誕生する。したがって、メシアには預言者の存在が絶対的に必要だ。預言者が油を注ぐことで、その者が最初のメシアとなり、やがて王としてのメシアになる。ここで重要なのは、誰がこの役割を果たしたのかという点である。それがマグダラのマリアだということだ。

エッセネ派はユダヤ教ではなく、ミトラ教であった。ミトラ教では、最高位に立つ大祭司が女性であることがよくあり、その女性が預言者として神の言葉を伝えた。この役割には、ビジョンを見る能力など、特別な力を持つ女性が適任とされた。マグダラのマリアもその一人であり、洗礼者ヨハネに油を注ぎ、彼を祭司のメシアにした。また、マグダラのマリアは、光を伝授する者、つまりメシアにする者として重要な役割を果たした。死海文書にもそのように記述されている。

マグダラのマリアの立場は非常に高く、イエスと同等とされるほどであった。しかし、彼女のこの位置づけはあまり理解されていない。原初のキリスト教が広がっていく中、彼女がフランスに伝道していた頃の彼女に対する崇拝は非常に強いものだったと考えられている。おそらく、マグダラのマリアは女神としても崇拝されていた可能性がある。

しかし、キリスト教が最も敵視し、弾圧したのは女神崇拝であったため、マグダラのマリアがそのままの姿で受け入れられることはなかった。彼女は非常に美しい女性であったとされ、その美しさから女神としての地位に上り詰めるのは避けられなかったのかもしれない。

死海文書を通じてマグダラのマリアの実像を理解すると、彼女がどれほど重要な存在であったのかがよく分かる。しかし、このような理解がなければ、彼女が一体どういう存在であったのか全く理解できないということだ。

キリスト教研究一覧


#青樹謙慈のキリスト教研究 #キリスト教 #旧約聖書 #新約聖書 #聖書研究 #キリスト教研究 #聖書 #宗教   #カトリック #プロテスタント #マグダラのマリア


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?