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【塗油・マグダラのマリアとベタニアのマリア】新約聖書・キリスト教の研究-19/#157-158


イエスの体に香油を塗る場面、いわゆる「塗油行為(anointing)」は、福音書の中で非常に象徴的なエピソードだが、その解釈は多岐にわたり、混乱が生じることも少なくない。この場面は福音書の中で、特にマタイ(26:6-13)、マルコ(14:3-9)、ルカ(7:36-50)、ヨハネ(12:1-8)に描かれており、それぞれの記述に微妙な差異がある。
まず、塗油行為そのものについて考えてみよう。塗油は当時のユダヤ文化において、葬儀の準備、客人への尊敬の表明、そして王や預言者への神聖な選定儀式として行われた。この背景を考慮すると、イエスに対する香油の塗布は、単なる礼儀的な行為以上の意味を持つ。特にイエスの死を予示する象徴的な意味が強調されている。マタイとマルコの記述では、香油を注いだ女性がイエスの葬りのためにその準備をしていると解釈され、イエス自身がこの行為を称賛している。
一方、ルカでは、この場面が罪深い女性による悔い改めの表現として描かれ、より人間的な悔恨と赦しの物語として強調される。ここでは香油は悔い改めの涙と混ざり、イエスの足を洗い、その後、髪で拭うという非常に感情的な描写がなされている。この点で、塗油行為が霊的な清めや癒しの象徴としても機能している。
さらに混乱を助長するのがヨハネによる福音書での記述だ。ここでは塗油の行為がベタニアでの出来事として、ラザロの姉であるマリアがイエスの足に高価な香油を塗り、髪で拭う姿が描かれる。この描写はルカのものと似ているが、物語の文脈や登場人物が異なるため、同じ事件なのか、別の機会なのか、という点で議論が分かれる。
こうした福音書の記述の違いは、塗油行為が持つ意味の多層性を反映しているともいえる。古代世界では、香油は神聖な行為や葬送、癒しの象徴であったため、福音書の著者たちはそれぞれの神学的メッセージを強調するために、この行為を異なる形で取り入れた可能性がある。特に、イエスの使命と死の予兆を象徴する要素が、それぞれの物語で強調されている。
こうした違いが生まれた理由の一つとして、各福音書が書かれた時代背景や、イエスの教えを伝えたい対象の違いがあると考えられる。例えば、マタイやマルコでは、塗油はイエスの王としての性質を示し、葬儀の準備を予示している。一方、ルカは赦しのメッセージを強調し、ヨハネは個々の信仰者との個人的な関係を描くことに重点を置いている。
塗油のエピソードは、それぞれの福音書が持つ独自の神学的意図と交錯し、同じ行為が異なる意味を帯びるように描かれている。つまり、塗油行為はイエスの死と復活、赦し、そして彼の王としての役割を象徴する多義的な行為であり、それぞれの福音書はその側面を異なる角度から強調していると言える。これが記述の混乱や解釈の違いにつながっているのだろう。

四福音書の塗油行為に関する記述の違い

マタイによる福音書 26章
6
さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、
7 ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。
8 すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、「なんのためにこんなむだ使をするのか。
9 それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。
10 イエスはそれを聞いて彼らに言われた、「なぜ、女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。
11 貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
12 この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。
13 よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。

マタイによる福音書 26章6-13

マルコによる福音書 14章
3 イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
4 すると、ある人々が憤って互に言った、「なんのために香油をこんなにむだにするのか。
5 この香油を三百デナリ以上にでも売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。そして女をきびしくとがめた。
6 するとイエスは言われた、「するままにさせておきなさい。なぜ女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。
7 貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときにはいつでも、よい事をしてやれる。しかし、わたしはあなたがたといつも一緒にいるわけではない。
8 この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。
9 よく聞きなさい。全世界のどこででも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。

マルコによる福音書 14章3-9

ルカによる福音書 7章
36
あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。
37 するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、
38 泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。

ルカによる福音書 7章36-38

ヨハネによる福音書 12章
1 過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。
2 イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。
3 その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
4 弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、
5 「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。
6 彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった。
7 イエスは言われた、「この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。
8 貧しい人たちはいつもあなたがたと共にいるが、わたしはいつも共にいるわけではない」。

ヨハネによる福音書 12章1-8

塗油が行われた「場所・部位・日時・人物」の比較

マタイ・マルコ
場所:ベタニア・らい病人シモンの家
部位:頭
日時:最後の晩餐2日前
人物:ある女

ルカ
場所:カファルナウム・パリサイ人の家(シモン)
部位:足(涙で足を濡らし髪で拭ってから香油を塗った)
日時:伝道のはじめ頃
人物:罪の女

ヨハネ
場所:ベタニア・ラザロの家
部位:足に塗り髪で拭う
日時:過越の祭の6日前
人物:ベタニアのマリア


大混乱の原因と正しい解釈

塗油の目的は3種類

  • マタイ・マルコ/埋葬のため:頭~全身:マグダラのマリア

  • ルカ/聖婚の儀礼(聖なる交わりの準備の為):足と男根:マグダラのマリア

  • ヨハネ/キリストになるための塗油:頭:ベタニアのマリア

そもそも、福音書の執筆者たちが塗油の行為自体のその意味を十分に理解していなかった。12人の弟子たちは、その目的や意義を把握しておらず、さらに「聖婚儀礼の塗油」や「埋葬の塗油」といった儀式的行為の深層的な意味について理解していなかった。これにより、福音書の記述は混乱し、誤解や誤った表現が多く含まれる結果となった。
さらに、福音書の記述は、過去の複数の記録を参考にしてまとめられたものであるが、その過程で複数の情報が混在し、相互に矛盾したり、曖昧な表現になっている。したがって、最初にこれらの行為を記述した人物たちが、その目的や意味を理解していなかったため、後にこれを解釈した人々が正確な理解に至ることは甚だ困難である。結果として、福音書の記述は一層複雑で曖昧なものになり、誤解を招く内容となってしまった。

エジプトの神秘劇に見る「塗油」

塗油の歴史
古代中東では、花嫁に選ばれた女神が配偶者に香油を注ぎ、恩寵と王位を授ける儀式があった。女神を祀った最後の神殿が閉鎖された紀元500年頃まで、女神崇拝は公式には禁じられなかった。シュメール、バビロン、カナンなど近東地域の宗教では、王の頭に香油を注ぐ儀式は、女神の代理を務める王族出身の女祭司によって執り行われていた。
女祭司との結婚を通し、配偶者は王族の身分を授かり、「聖油を注がれた者=メシア」として知られるようになる。王家の血を引く女祭司と、選ばれた王との神聖なる結合は、共同体全体の再生、活力、調和の源と期待して行われていた。後にこの風習は、近東全域で新年(太陰暦の新年、秋頃)の祝賀行事として催されるようになり、豊穣の儀式にも反映された。この儀式はギリシャ語でヒエロ・ガモス(聖婚)と呼ばれた。
頭に塗油する儀式には性的な意味も秘められていて、「聖油を塗布される」男根をこの頭部が象徴している。花嫁は、女神の代行の王族の女祭司によって聖別され、人々は町を上げて喜び祝い、豪華な結婚の宴が何日も続く。
古代エジプトでも、王となる候補者は、即位式で頭に油を注がれ、ファラオ(王)となり神の子と称されるようになった。またエジプトでは、復活する王はオシリス(王冠をかぶり、体をミイラとして包帯で巻かれて王座に座る男性の姿で描かれている)。妹イシスとネフティスの2人の女神が死者の頭側と足側に立ち、死者は彼女らによって冥界の王オシリス神として復活するヨハネ福音書20:12には…イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた…類似した復活内容が見られる)。

イエスの実像を探る

ヨハネ福音書20章
1
さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。
2 そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。
3 そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。
4 ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、
5 そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へははいらなかった。
6 シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、
7 イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。
8 すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。
9 しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。
10 それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行った。
11 しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、
12 白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。
13 すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。
14 そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。
15 イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。
16 イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。

エジプトの神秘劇とは、古代エジプトにおいて行われていた宗教的な儀式の一環で、特に神々の死と再生、自然のサイクルや王の権威を象徴的に表現するものだ。この劇は、ただの演劇ではなく、神聖な儀式として宗教的な意味合いが非常に強かった。特に有名なのは、オシリス神に関する神秘劇である。
オシリスは古代エジプトで「死と再生」の象徴とされ、冥界の王でもあった。彼の物語は、弟セトによって殺され、バラバラにされた後、妻イシスの魔力や努力によって復活するというものである。この復活劇は、毎年行われる祭礼の中心的なテーマであり、古代エジプトの人々にとって、豊穣と自然の循環を象徴するものでもあった。
神秘劇では、オシリスの死と再生が儀式的に再現され、その過程を通じて自然界の秩序と安定が祈願される。劇の中で、オシリス役の人物が一度死を迎え、イシスの魔力や祈りによって復活する場面がある。
オシリスが死から立ち上がる場面では、マグダラのマリアが言った「誰かが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」という言葉が用いられる。この言葉はエジプトの神秘劇の中で、イシスが発するものとして描かれており、オシリスが立ち上がる場面にぴったりと一致している。
また、オシリスが死んだ場面では、彼の頭側にはイシス、足側にはネフティスが立ち、二人の女神がオシリスを冥界の王として復活させるシーンも描かれる。これにより、オシリスは再び力を得て、死後の世界の統治者として君臨する。オシリスの復活は、エジプトの王権や国家の再生とも結びつけられ、国家的な儀式として大きな意義を持っていた。

12 白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。

この類似点は極めて重要である。福音書における「磔刑」と「復活」のエピソード、そしてそれに関連するマグダラのマリアの役割は、実際にはエジプトの神秘劇を霊的に模倣していると考えられる。この物語構造には、エジプトの秘教的な要素が深く内包されていることが示唆されている。

主演イエス・脚本マイトレーヤ

これは、イエスが若い頃にエジプトで修行していたこと、そしてその時に学んだ最高の秘伝、特に埋葬に関する秘伝が福音書に反映されているということだ。福音書の物語は、実際にはその秘伝を目に見える形で再演しているのだが、イエス自身はそれを意識して再演していたわけではない。イエスも弟子たちも、自分たちが磔にされ、復活するというストーリーが予め決められていることは全く知らなかった。
これらのことを知っていたのは、イエスに「合体していた」マイトレーヤ(メルキゼデク)であり、彼らが背後で物語を演じていた。つまり、これらの出来事は霊的なものであったことがわかる。イエス自身は、政治的な革命を起こし、自分がユダヤの王になるつもりだったが、その背後にもっと大きなストーリーがあったことには全く気付いていなかった。弟子たちも同じように、その真相を知らなかった。
過越の祭の6日前にベタニアのラザロの家で行われた出来事では、ベタニアのマリアがイエスを王にする儀式を行った。これによりイエスは「選ばれた者」、すなわちキリストとなった。そして、エルサレムに入場し、革命を起こして王になるつもりだったのだ。この儀式の背後には深い意味があり、その後マグダラのマリアが再び同じような儀式を行った。
この時、マイトレーヤを通じで「この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。」と言わせられたが、イエス自身は何を言っているのか理解しておらず、なぜそのような準備が必要なのかもわかっていなかった。つまり、イエスも弟子たちも自分たちの役割や運命を完全には理解していないまま、霊的なストーリーが進行していたことになる。
これらのことから、聖書に書かれていることやその文脈は、ユダヤ教の教義に基づいているものではなく、むしろエジプトの宗教に由来しているものといえよう。

アリマタヤのヨセフの重要性

キリスト教の起源においてミトラ教の影響が決定的である。イザヤやダニエルといった、一般にはユダヤ教の預言者とされる人物も、実際にはミトラ教の預言者であり、彼らはマイトレーヤ(メルキゼデク)と深く結びついていた。特にエリアに関しては、ユダヤ教における代表的な預言者であるが、彼以降の宗教的内容は実質的にミトラ教に基づいている。
イエスの生涯やその死に至る過程は、ミトラ教の宗教儀礼が実際の場面で再現されたものであり、イエス自身やその弟子たちはそれに気づいていなかった。特に、埋葬の儀礼はミトラ教の教えに基づき、マイトレーヤが主導し、アリマタヤのヨセフがその実行を手配した。
この過程において、マグダラのマリアも重要な役割を果たしたが、彼女もまた全体像を知らされず、指示に従って儀礼を遂行していたに過ぎない。
霊能者としてのマグダラのマリアは、イエスに宿っていたマイトレーヤ(メルキゼデク)を視認し、対話する能力を持っていたが、磔刑と復活に至るシナリオを理解していたわけではなかった。
この未来の出来事を知っていたのはアリマタヤのヨセフだけであり、彼がこの劇的な展開を実現する中心人物であった。しかし、彼の重要性にもかかわらず、聖書ではアリマタヤのヨセフはサンヘドリンの長老の一人としてしか描かれていない。

エッセネ派の大祭司であり、全てを知っていたのは彼だということを理解していない人が多い。実際に理解しようと思ったら、ある種の霊感や直感が必要だ。また、周辺の他の文献にも目を通す必要がある。その中の一つが何かといえば、実はアーサー王伝説だ。アーサー王伝説を読めば、彼が大祭司であったことが分かる。だから、聖書だけを読んでいても絶対に理解できない。
聖書というものは、実際にはほんの一部のことしか理解していない人々が書いているものである。だからこそ、それ以外にも真実を伝えようとする物語や文献が多く存在しており、それらは周囲に散らばっている。そうしたものをある程度理解しておかないと、聖書に書かれていることも本当の意味で理解することは難しいのだ。

アリマタヤのヨセフがアーサー王伝説に結びつくのは、中世の「グレイル・ロマンス(聖杯伝説作品群)」によるものだ。伝説によると、ヨセフはイエスの死後、聖杯を持ってイギリスに渡ったと言われている。聖杯は、最後の晩餐でイエスが使った杯であり、後に彼の血を受けたとされる神聖な器だ。この聖杯をヨーロッパ中で探すことが、アーサー王伝説における円卓の騎士たちの主要な使命となった。
アリマタヤのヨセフは、聖杯を持ってイギリスの地、特にグラストンベリーに到着し、そこで最初のキリスト教徒の集団を形成したと伝えられている。グラストンベリーは現在でも「アーサー王の墓所」や「聖杯の泉」などの伝説の舞台として知られており、アリマタヤのヨセフの影響が感じられる場所の一つだ。
アーサー王伝説との関わり
アーサー王伝説の中心にあるのは、王の治世を支える「円卓の騎士」とその冒険だが、特に重要なクエストが「聖杯探求」だ。伝説によれば、聖杯はイギリスのどこかに隠され、騎士たちがそれを発見することで王国の繁栄が保証されるとされていた。アリマタヤのヨセフが持ち込んだ聖杯は、この「聖杯伝説」の始まりであり、アーサー王とその騎士たちがそれを追い求める姿は、騎士道精神と宗教的な探求の象徴となった。
聖杯探求の中で最も有名なのは、アーサー王の甥であるガラハッド卿の物語だ。ガラハッドは「純潔な騎士」として知られ、聖杯を発見した唯一の騎士とされている。彼が聖杯を見つけたことで、アリマタヤのヨセフがもたらした聖なる遺物の謎が解かれ、騎士たちのクエストは終わりを迎える。
グラストンベリーの伝説
さらに、グラストンベリーの伝説では、アリマタヤのヨセフが聖杯を埋めた場所として「聖杯の泉」が登場する。この泉の水は奇跡の力を持つとされ、巡礼者が訪れる場所となっている。また、ヨセフがグラストンベリーに到着した際に杖を地面に突き立て、その杖が奇跡的に芽を出し、「聖なるトゲの木」が生まれたという話もある。この木は長い間、イギリスの神聖な象徴の一つとされてきた。
キリスト教とケルト神話の融合
アリマタヤのヨセフにまつわる伝説は、キリスト教の伝承とケルト神話が結びついたものでもある。イギリスのケルト文化には、特別な聖なる遺物や、神秘的な土地との関わりが深く根付いていた。この文化的背景にキリスト教の聖杯伝説が融合し、アーサー王伝説が生まれたのだ。
興味深い点として、アリマタヤのヨセフと聖杯伝説は、騎士道文学において騎士の理想像を形成する一助となっている。彼らの「純潔」「信仰心」「勇気」は、アリマタヤのヨセフが象徴するキリスト教の信仰に強く影響を受けたもので、これが中世の騎士たちにとって重要な美徳とされた。
また、アリマタヤのヨセフがイギリスに到着したとされる時期や経緯については、歴史的な証拠はほとんどないが、その伝説は非常に強く生き続け、特にグラストンベリーは今日も多くの観光客や歴史愛好家を引きつけている場所だ。
このように、アリマタヤのヨセフの物語は、アーサー王伝説の神秘性とキリスト教の信仰を融合させた興味深い要素であり、騎士道や聖杯探求のテーマに深く関わっていると言えるだろう。

ユダヤ教の「油を注ぐ」意味

パレスチナでは、姿の見えない男性神が家長的存在として登場してくると、古来より地母神に仕える王族の女祭司だけに許されていた役割、王に香油を注ぐ役割を、男性の預言者が果たすようになった。エジプトの伝統(油注がれる王・神の子)も取り入れられ、紀元前11世紀(土師記の終わり頃)、イスラエルの人々は異教を信奉する周辺民族のように統一王を持ちたいと願うようになり、預言者サムエルがまずサウル(紀元前1020年頃)、次にダビデ(紀元前1000年頃〜960年頃)を聖別してイスラエルの王とした。その際、王家の娘との結婚によって王位に就くという古来の伝統も守られ、ダビデがサウル王の娘ミカルと結婚した。以後何世紀もの間、王に香油を注ぐ特権はエルサレム神殿の祭司に与えられた。

イエスを取り巻く人々の婚姻関係

マグダラとヨハネのミステリー」という書籍は、イエスとマグダラのマリアが実際には夫婦であり、性的な関係があったという異説に基づいている。これが興味深いのは、聖書外典やグノーシス主義の伝承でしばしば言及される点にある。特に、マリアがイエスの側近であり、霊的なパートナーとして描かれることが多い。これはオシリスとイシスの関係性とも共鳴する要素を持つ。エジプト神話において、イシスはオシリスの妻であり、彼の復活を助ける存在として象徴的に描かれている。この夫婦の再生・復活のモチーフがキリスト教の「復活」神話にある程度影響を与えた可能性があるという視点も存在する。
さて、塗油の儀式がエジプトのオシリス儀礼に関連しているという点についてだが、オシリスは死と復活を司る神であり、その復活を促すために神聖な儀式が行われた。オシリスの身体がバラバラにされた後、イシスがその身体を再構成し、復活させるためにオイルを塗った。この塗油の儀式は、象徴的に「生命の復活」や「神聖なる再生」を意味し、キリスト教の塗油の儀式や復活の概念との類似性が指摘されている。特に、イエスの磔刑と復活の物語は、古代の再生神話の一部を反映している可能性がある。
次に「贖いの罪」について触れよう。イエスが磔刑に処せられたのは、キリスト教において「人類の罪を贖うため」であるとされている。ここで重要なのは、イエスが自らの死を通して、罪の赦しをもたらす「贖罪の子羊」として機能するという概念だ。この「贖罪」という考え方は、他の古代宗教の供犠の儀式にも共通して見られる要素であり、神に対する犠牲を捧げることでコミュニティ全体が浄化されるという古代の信仰に根ざしている。エジプトのオシリス信仰においても、オシリスの死と復活が人々に「永遠の命」をもたらすという信念があった。
このように見ていくと、イエスとマグダラのマリアの関係、塗油の儀式、そして磔刑の贖罪の意味には、キリスト教とエジプトのオシリス信仰の間に興味深い類似点がある。

聖婚の塗油はマグダラからキリストへの求婚

イエスはベタニアのマリアを形式的な妻としていた。ただし、この夫婦関係には性的な要素はなかった。つまり、イエスは自らがキリストであることを自覚しており、キリストたる者が性交渉を持つべきではないと信じていたため、肉体的な関係を避けていた。
当時の社会では、特にユダヤ教徒であるイエスが独身であることは問題視された。ユダヤ教の習慣では、結婚していないことは好ましくないとされていたため、表向きだけでも結婚している必要があった。したがって、イエスとベタニアのマリアは形式的な夫婦となったのだ。
さらに、イエスにはメルキゼデク(マイトレーヤ)が合体しており、マグダラのマリアは霊能力者であり、預言者であった。彼女は霊的な世界との繋がりが強く、ある特定の瞬間に本物のキリストであるイエスを認識していた。エッセネ派はメルキゼデクをトップと仰ぐ集団であり、彼らの教義にはメルキゼデクの存在が重要な位置を占めていた。
マグダラのマリアは、かつての夫である洗礼者ヨハネを失い、その悲しみに暮れていた。その後、イエスと霊的な結びつきを持つことになった。彼女がイエスに対して涙で足を洗い、髪の毛で拭き、香油を塗ったという行為は、ルカの福音書に描かれている。この行動は単なる儀式ではなく、聖婚儀礼であり、マグダラのマリアが霊的な結婚を求めていた証である。
その結果、イエスとマグダラのマリアは霊的な夫婦関係となった。この関係は、マグダラのマリアが死んで天上界に迎えられた時点で、周囲からも正式に認められるものとなった。イエスとマグダラのマリアの関係は複雑であり、多くの誤解を生むことがあるが、実際にはイエスの妻とされるのはベタニアのマリアであった。

マグダラとイエスの婚姻関係

マグダラの名の由来

マグダラのマリアは、兄妹や母親や娘や妻というような、男性との関係によって福音書に書かれていない唯一の女性である。福音書の説明から浮かび上がるのは、マグダラのマリアが独立した女性ということである。
彼女の名前は何を意味しているのだろうか。「マグダラの」は「マグダラ出身」を意味し、これはガリラヤの漁業の町、エル・メジェルとみなすのが普通である。しかしイエスの時代、この町がマグダラと呼ばれていた証拠はない。(実際、ヨセフスはエル・メジェルをタリキアと呼んでいる。)
マグダラという言葉自体も、「鳩の土地」や「塔の土地」「神殿の塔」というようなさまざまな解釈が可能である。旧約聖書には次のような注目すべき預言があるので(ミカ書4:8)、このマリアの名前も、土地だけではなく「肩書き」を表わすのかもしれない。
羊の群れを見張る塔よ、娘シオンの砦よ、かつてあった主権が、娘エルサレムの王権が、お前のもとに再び返って来る。
マーガレット・スターバードが1993年の『雪花石膏の壺をもつ女性』のなかで、マグダラ宗派についての調査結果を述べている。それによれば「羊の群れを見張る塔」と訳される言葉は「マグダル=エデル」で、ヘブライ語の「マグダラ」という形容辞は、文字どおりの「塔」だけではなく、「高い、偉大な、立派な」を意味している。
マグダラと塔の関係、もっと重要なシオンの復権との関係は、彼女の生涯中に知られていたのだろうか。また、非常に興味深いのは、「マグダル=エデル」が、見張り塔や下位の人びとの守護者という意味をもつ「羊の群れ[を見張る]塔」を意味することであり、これは「善き羊飼い」の意味かもしれない。

マグダラとヨハネのミステリー

イエスの独身問題

私たちの(西欧)文化ではセックスと結びついた罪の意識が深く染み込んでいるので、イエスに性行為の相手がいたというのは――たとえそれが愛情にあふれた一夫一婦婚制に基づくものであっても――多くの人にとっては嫌悪感を催す冒涜と映るらしい。それにもかかわらず、イエスはおそらくマグダラのマリアとまさに深い関係にあったと考えるだけの十分な根拠がある。
新約聖書がイエスの結婚について何も触れていないのはじつに奇妙である。当時のこの土地の年代記記者たちは、ほかの人と異なる点を用いて人を記述したので、30歳を越える男性が結婚していないのは、まさに異様な特徴だったはずである。忘れてならないのは、私たちが得るイエスの描像は福音書記者たちによるものであり、しかも彼らの視点は、本質的にユダヤ人のものであったことである。
ユダヤ人にとって独身でいるのは、主に選ばれた人びとが次世代の父親になることを望まないとするあるまじき行為であり、シナゴーグの長老たちに叱責されるべき行為であった
これらの議論に対して、かりにイエスが結婚していたのならば、どうして福音書に彼の妻や家族のことが書かれていないのか、という当然の疑問が湧き起こる。結婚していたのならば、妻は誰なのか。どうしてイエスの信奉者たちは、妻に関する記述を削除しようとしたのか。
グノーシス派の福音書には、イエスの相手の正体も含めてまさにこのような状況が鮮明に記録されている。マグダラのマリアはイエスの「*性交渉の相手」であり、男性の弟子たちは、師に対する彼女の影響力に慣っていたのである。

マグダラとヨハネのミステリー

※実際に性交渉はなかった。フィリポの福音書には、「伴侶・同伴者=配偶者」とある。

ベタニアのマリアとマグダラのマリア

マグダラのマリア、ベタニアのマリア(ラザロの兄姉)、ルカ福音書でイエスに塗油した「名前のわからない罪人」の正体については、常に激しい議論が闘われてきた。かつてカトリック教会はこれら3人を同一人物と決め込んでいたが、この状況は1969年になって覆された。東方正教会では、昔からマグダラのマリアとベタニアのマリアを別人として扱っていた
福音書が、まるで犯罪者のごとく何かを隠すためにはぐらかそうとしているのは明らかなので、この混乱自体が重要になってくる。このようなごまかしの事実は、ラザロとマリアとマルタの家族が住んでいたベタニアの記述では常にみられるものであり、しかもここで起こった出来事は、すべての問題点をさらに示唆的なものとしている。
イエスの足に塗油するというきわめて曖昧な説明が書かれているのもルカ福音書(7:36-50)である。ほかの福音書記者のなかでもルカだけが、この出来事をイエスの伝道のはじめのころ、カファルナウム[カペルナウム]で起きたとするが、食事の席に割り込んで高価な香油でイエスの頭と足に塗油し、それを自分の髪の毛でぬぐった女性の名前は記されていないのである。
ところが、ヨハネ福音書にはこれが明記されている(12:1-8)。この塗油は、ラザロとマリアとマルタの住むベタニアの家で起きており、塗油したのはマリアである。
マルコ福音書(14:3-19)もマタイ福音書(26:6-13)もこの女性の名前を書いていないが、この出来事が最後の晩餐の2日前(ヨハネ福音書では6日前)に「ベタニア」で起きたことは一致している。それなのにこのふたつの福音書では、この塗油が癩病人シモンの家で起きたとされている。
ベタニアは、この場所からイエスが最後の晩餐と逮捕と磔刑というエルサレムへの死出の旅に出かけたという点でも重要である。弟子たちは全きたるべき悲劇について何も知らなかったらしいが、ベタニアの家族はそうではなく、彼らはイエスが首都への入場に使うロバを準備するなどの手配に協力していたのである。
マルコ福音書でイエスが「この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」(14:8)と述べているように、イエス自身が塗油の「行為」だけではなく、塗油した「人物」ときたるべき埋葬を関係づけている点が重要である。マグダラのマリアは埋葬後のイエスの遺体に塗油するために墓に出かけているので、この一文はベタニアの女性とマグダラのマリアを暗に結びつけている。いずれにしても、イエスの運命を特徴づける塗油をしたのが「女性」であるのは、このうえもない重要性を帯びている。

マグダラとヨハネのミステリー

女性の塗油は異教の証

どちらも、塗油の儀式を行うのは女性であるという点が、異教であることの証明である。ユダヤ教ではないことの証拠だ。もしこれがユダヤ教であれば、男性の預言者がこの儀式を行っているはずだからだ。つまり、これは確実にイエスが異教の宗派に属していたこと、そしてユダヤ教徒ではないことの宗教的な証明である。

聖書の物語と聖婚(錬金術)の関係

女性の塗油行為と異教の神聖婚姻:ヒエロ・ガモス

この儀式と当時の一般的な異教の儀式とは共通点があったのだろうか。実際、驚くほどよく似た古代の儀式が「神聖な王」の塗油である。伝統的に、これは王=祭司が女王=女祭司と結合する「ヒエロ・ガモス」、つまり神聖婚姻の形態をとる。王は女祭司との性的な結合を通じて認知され、彼女なしでは王に何の権威もなかったのである。
神聖な婚姻によって男女は実質的に神となるのだ。女神そのものになるのは高位の女祭司であり、彼女が神を体現する男性に、錬金術と同じく究極的な再生の祝福を施す。「ヒエロ・ガモス」は、女祭司との性行為を通じて神聖さを体験し、グノーシスを得るために男性が訪れる「神殿売春[聖娼]」の究極的な表現である。女祭司の肉体は、文字どおりにも比喩的にも神へといたる入り口だったのである。

マグダラとヨハネのミステリー

イエス聖書の物語と異教の儀式には、決定的な違いがある。特に、異教の儀式には性交渉が伴うことが確実だが、イエスやマイトレーヤ(メルキゼデク)が行った儀式には、性交渉は一切含まれていない。ただ形式的に行うだけであり、性交渉のない結婚という形を取るが、それでも結婚という形式を守っている。また、塗油の儀式においても同様で、性交渉は含まれていない。これらの儀式を行う人々、特にハイアラーキーのメンバーたちは、性交渉を罪だと捉えているため、性交渉を拒否している。彼らは事実上の頂点に立つ存在であるため、性交渉に対する厳格な態度を持つ。しかし、それでも異教の神々が行ってきた伝統を、そのまま価値あるものとして受け入れ、それを儀式として提供している。
ただし、覚者の段階が5段階以下の者たちに対しては、性交渉を認めている。これは、ギリシャ神々やシュメールの神々など、多くの神々をなだめるための行為でもある。これらの神々は、長い間神聖な儀式として性交渉を伴う儀式を行ってきたため、その伝統を否定すれば神々の怒りを買うことになる。それを避けるために、同じような儀式を行いながらも、性交渉を伴わない形に変えたのだ。
この点が、異教の神々との間で決定的な違いを生み出している。異教の神々の儀式が性錬金術であるのに対して、彼らが行うのは性交渉のない錬金術だ。これはプラトニックな存在、聖杯を必要とするものだ。例えば、アーサー王伝説に登場する騎士道の物語を見ても、多くの場合、その愛はプラトニックなものである。騎士たちは誰かの王妃や貴族の妻に対してプラトニックな愛を抱くが、実際の肉体的な関係は伴わない。

マグダラとヨハネのミステリー」の著者は、イエスがエジプトで修行をしていたと誤解し、その際に異教を持ち込んだと考えている。その結果、イエスの教えが異教的なものだと思い込んでしまった。また、マグダラのマリアがイエスの妻であり、彼らが性交渉をしていたと誤解している。しかし、これは大きな誤解であり、事実とは異なるということだ。

イエスに「塗油」をすることは、挿入という性行為の象徴とみなすことができる。女神を表す女祭司の絡んだ古代儀式では、神聖な王や救い主である男性が、神の象徴として選ばれ、肉体的に「受け入れる」用意があるという連想がつきまとう。オシリス、タムズ、ディオニュソス、アッティスなどの秘儀宗派には、人間が代役を演じる儀式があり、その儀式では、象徴的または実際に、死ぬ前に女神に塗油されることで土地が再び肥沃になるとされている。
伝統的には「3日後」に神は女祭司または女神の魔術的な介入により復活し、国土は翌年まで安寧のための息をつくことができる。この神秘劇では、女神が「私の主が取り去られました。どこを探したらよいのか、私にはわかりません」と言うが、これは墓の園でマグダラのマリアが言ったとされる言葉とほとんど同じである(ヨハネ福音書20:13)

マグダラとヨハネのミステリー

イエスの「荒野の誘惑」とは何だったのか(マグダラのマリア)

キリストによる罪の贖い

秘儀伝授者マリア

イエスの塗油は異教の儀式であり、それを執り行ったベタニアのマリアは女祭司であった。この新たな筋書きによれば、イエスの内部集団における彼女の役割が、性的な秘儀伝授者であったという可能性が高くなる。
グノーシス派の福音書におけるマグダラのマリアの人物像は、イルミナータかつイルミナトリクス――マリア・ルシファー、一、光をもたらす者――つまり神聖なる性によって覚醒をもたらす者である。
神聖婚姻の伝承では、儀式となる王の死の瞬間を決めるのは花嫁――高位の女祭司――であり、彼女は王の埋葬に付き添って、その魔術の力によって王を地下世界から連れ出し、新しい人生へといざなう。もちろん、この「復活」は、春期の新たな生活や、オシリスの場合には土地の肥沃さを回復するナイル川の定期的な氾濫のように、純粋に象徴的なものである。

マグダラとヨハネのミステリー

「人類の罪を贖ったキリスト」とエッセネ派の関係

聖書の物語において、異教の儀式を性交渉なしで採用し、新しい儀式体系を作り上げていると先ほど述べた。しかし、その背景にはエッセネ派の儀式が非常に濃く反映されている。
キリスト教はキリストを贖い主、すなわち罪を贖う者、救世主として位置づけている。これは、ユダヤ教や異教の王としてのキリスト観とは異なるものだ。王としての「油注がれた者」ではなく、罪の贖い主、救世主としてのキリストという概念がキリスト教の中核を成している。
この点が、他の宗教との決定的な違いとなっている。では、贖い主としてのキリストという概念はどこから来るのか。それは実はエッセネ派から由来しているのだ。

クリストス (Christos)

「油を塗られた者」の意。christosはギリシア語で、ラテン語ではchristus、英語ではchrist。中東地方の生贄になった多くの神々の添え名である。アッティスアドーニスタンムーズウシル〔オシーリス〕などがその例である。「油を塗る」ということは、オリエントの聖婚の儀式に由来することであった。東方諸国では神の男根像lingam、すなわち神像の勃起した男根は聖なる油(ギリシア語ではchrism、ラテン語でchrisma)を塗られた。それは神の花嫁である女神の膣への挿入を容易にするためであった。神殿に仕える乙女の1人がその女神の役を務めたのであった。油を塗られる前に、その神の男根は、顔料かブドウ酒か血(とくに、花嫁の経血menstrual blood)で赤く塗られて、いかにも生身であるかのような色にされた。昔は聖なる結婚によって王権が保たれたために、実際の王であろうと、その正式の叙位式として塗油が行われるようになったのであった。油を塗ることによって、その王が神になることが約束されたのであった。
詩篇作者の「あなたは私の頭に油をそそぎ」という言葉は、神-王の男根に油を塗った古代の習慣からきたものである。そしてこの「頭」とは男根の婉曲表現としてよく用いられるものであった。王室の結婚式においては、ヒンズー教のスヴァヤマラsvayamaraの儀式の場合と同じように、王の頭には花冠が置かれた。花とは、聖書の言葉では、経血を象徴するものであった(『レビ記』15:24)。異教においては、神殿に仕える乙女は神の神像によってその処女を失ったが、同時に、神像の頭に花冠を置いた。しかし救世主、あがない主、神の子などといった者が生贄となるときにはこの聖なる婚儀が行われていたのが、やがて行われなくなり、そのために、男根に油を塗ることに代わって、頭に油が塗られるようになったのである。新約聖書のキリストのように、救世主は葬りのためにのみ油を塗られるようになった(『ヨハネによる福音書』12:7)。葬りとは大地との結婚であった。イエスがキリストになったのは、マリア(更生した売春婦、あるいは、神殿に仕える乙女)がイエスの葬りの用意のために、イエスのからだに香油を注いだときであった(『マタイによる福音書』26:12)。マリアは、また、イエスの復活をも告げた(『マルコによる福音書』15:47)。
エッセネ派の人々の間では、キリストなる者は聖職者であって、とくに、「罪をになう人」、「あがない主」と呼ばれた。すなわち、他人の罪をあがなう人であった。スラブ人の間では、キリストKrstnikは生贄になる英雄を意味すると同時に、また、「のろわれた人」をも意味した。それは、「罪をになう人」が生贄となる前に、儀礼としてその人にのろいをかける習慣が古代にあったからであった。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/christos.html

エッセネ派における「キリストへの呪い」

エッセネ派において、特定の儀式が行われていたが、これはパレスチナのエッセネ派ではなく、アレクサンドリアの本部でのみ行われていたものと考えられる。この儀式について、預言者マグダラのマリアや洗礼者ヨハネ、イエスは知らなかった可能性が高い。これを知っていたのは、アリマタヤのヨセフだけであった。彼がアレクサンドリアの本部の大祭司だったためである。

この儀式はたとえば「流し雛」に似た概念であり、シュメールやバビロニアでも類似の儀式が存在していた。シュメール・バビロニアの儀式では、新年に過去の罪を払うために2体の人形が作られ、それを斬首し火で燃やすという手順が取られていた。
エッセネ派では、キリストとなる者が自ら志願し、人々の罪を贖うという役割を果たしていた。この者に対して呪いがかけられ、罪が転嫁されていく。彼は英雄として、他者の罪を引き受けるという役割を果たし、その前日に埋葬の儀式が行われる。彼にとっての「イシス」とされる女性(マグダラのマリアに相当する存在)が埋葬の儀式を施し、その後性交渉が行われた。この性交渉が、儀式における最後の祝福として機能していたとされる。その後、彼は生贄として殺され、3日後に霊的に復活し、天国に昇るとされていた。

イエスが罵倒され、贖い主とされた理由

イエスが捕らえられ、罵られ、拷問を受け、十字架で死んでいった理由は、エッセネ派の儀式によるものだ。この儀式が理解できれば、その意味がはっきりする。エッセネ派の儀式とは、内部で行われていたものが次第に公の場に広がり、それが聖書に書かれている「磔⇒復活」という福音書の内容に繋がるということだ。イエスは罵られる必要があり、贖い主としての役割を担ったのだ。
重要なのは、キリスト教が異教の宗教観と決定的に異なる点である。キリスト教においてイエスは「贖い主」であり、罪を贖う者だとされている。しかし、この罪とは、キリスト教の教義における「原罪」ではない。エッセネ派の「罪の贖い」は、日本の「流し雛」のような概念に近い。子どもの無病息災を願い、厄を雛人形に移して川や海に流すように、エッセネ派の人々は自らの罪を英雄であるイエスに移し、彼がその罪を背負って死ぬという儀式だった。したがって、イエスが原罪を背負って死んだわけではない。
エッセネ派の儀式とキリスト教の間には、基本的な概念の違いが存在する。イエスが贖い主として罪を担うという考え方は、このエッセネ派の儀式から来ている。このように理解すれば、イエスがエッセネ派に属していたこと、また彼がエジプトで修行を積んできたことが明らかになる。そして、聖書の物語が単なるお話ではなく、古代の異教の宗派の儀式を別の形で再現したものだということがよくわかるだろう。

イニシエーションとしての磔刑と復活

エジプトのファラオは、王位を継承するとホルス――イシスとオシリスの魔術的な子孫――として受肉し、神聖な死の儀式が完了するとオシリスになると信じられていた。イエスが求めたのが政治的な権力であったというのは、神聖婚姻の相手であり女祭司でもあるマグダラの助けを借り、磔刑と「復活」という通過儀礼によって達成しようとしたことからも説明できるかもしれない。
イエスは、「死んで再び蘇ることで、自身も――昔から続くファラオのように――神であり、かつ王であるオシリスになることができる」と本気で信じていたのかもしれない。これによって不死の神となったイエスは、世俗的な無限の権力を手に入れることができると考えた可能性がある。

マグダラとヨハネのミステリー

イエスはあくまでも、ユダヤの王になると信じていたのであって、イエスはこんな復活劇をやって3日後に復活して蘇って霊的に蘇る……などということを全く考えていなかった。これを考えていたのはマイトレーヤ(メルキゼデク)である。

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