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【正統と異端/グノーシスとローマ・カトリック】新約聖書・キリスト教の研究-21/#162


キリスト教における「復活」の解釈は一様でない。ローマカトリック教会は、復活をイエスの肉体的な蘇りと捉え、信者も最終的に肉体の復活を果たすと信じている。一方、異端とされたグノーシス主義では、復活は霊的覚醒や解放を意味し、物質世界からの脱却を象徴すると考えられていた。この違いは、物質世界や救済の本質に対する見方の違いを反映しており、キリスト教の多様な教義理解を示している。

エマオの復活

1 週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った。
2 ところが、石が墓からころがしてあるので、
3 中にはいってみると、主イエスのからだが見当らなかった。
4 そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣を着たふたりの者が、彼らに現れた。
5 女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った、「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。
6 そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。
7 すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか」。
8 そこで女たちはその言葉を思い出し、
9 墓から帰って、これらいっさいのことを、十一弟子や、その他みんなの人に報告した。
10 この女たちというのは、マグダラのマリヤ、ヨハンナ、およびヤコブの母マリヤであった。彼女たちと一緒にいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。
11 ところが、使徒たちには、それが愚かな話のように思われて、それを信じなかった。
12 〔ペテロは立って墓へ走って行き、かがんで中を見ると、亜麻布だけがそこにあったので、事の次第を不思議に思いながら帰って行った。〕
13 この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、
14 このいっさいの出来事について互に語り合っていた。
15 語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。
16 しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。

ルカの福音書24章

一部の写本にしかない〔 〕括弧付きの節

ルカによる福音書24章12節が存在する写本については、多くの後代のギリシャ語写本やラテン語訳聖書に確認されている。これらの写本には、ペテロが墓へ走り、亜麻布だけを見つけて不思議に思う描写が含まれている。代表的なものとして以下が挙げられる。

  1. アレクサンドリア写本(Codex Alexandrinus)
    5世紀に作られたこのギリシャ語写本は、アレクサンドリア系の伝承に属し、ルカ24章12節を含んでいる。アレクサンドリア写本は、新約聖書全巻を含む貴重な写本であり、多くの後代のテキストに影響を与えた。

  2. エフレム写本(Codex Ephraemi Rescriptus)
    5世紀に書かれたパリの国立図書館に所蔵されているこの写本も、ルカ24章12節を含む。エフレム写本は、新約聖書の大部分が残存しているものの、部分的に消された後に別の文書が上書きされており、パリ・パリンプセストと呼ばれる再生写本の一例である。

  3. ベザ写本(Codex Bezae)
    西方系テキストを代表する5世紀のギリシャ・ラテン語対照写本であり、ルカ24章12節を含んでいる。ベザ写本は、西方の教会で使用されたテキストの特徴を反映しており、他の写本と異なる箇所がいくつか見られるが、この節は含まれている。

  4. ビザンティン系の多数派テキスト(Byzantine Text-Type)
    中世以降のギリシャ語写本の大多数がこのテキストに属しており、ルカ24章12節を含んでいる。ビザンティン系テキストは、9世紀以降の教会において広く流布したもので、多くの後代の写本や現代の翻訳聖書がこの系統を基にしている。

  5. ラテン語ウルガタ(Vulgate)
    4世紀末にヒエロニムス(ジェローム)によって編纂されたラテン語訳聖書「ウルガタ」には、ルカ24章12節が含まれている。ウルガタは西方教会において長く使用された公認のテキストであり、多くの中世の聖書翻訳や写本に影響を与えた。

これらの写本は、ルカ24章12節を明確に含んでいるため、この節が後に挿入された可能性がある一方で、広く伝承されてきたことを示している。特にアレクサンドリア写本やベザ写本は、新約聖書の成立と伝承において重要な役割を果たしたものであり、これらの写本にルカ24章12節が含まれていることは、節の正統性を主張する一つの証拠とされる場合もある。また、ビザンティン系テキストは後代の教会で標準となったため、現代の多くの翻訳聖書においてもこの節が含まれている。したがって、ルカ24章12節は、初期の一部のギリシャ語写本には欠けていたものの、アレクサンドリアや西方系の伝承を含む多くの後代の写本に確認されており、後の教会史の中で重要な部分として広く受け入れられてきたと考えられる。


ルカによる福音書24章12節における「ペテロが墓へ走り、中に亜麻布だけが残されていたことを確認する」という記述は、いくつかの古い聖書写本には含まれていない。この事実は、当該節が後の時代に挿入された可能性を示唆している。特に、代表的なギリシャ語の写本であるシナイ写本(Codex Sinaiticus)およびヴァチカン写本(Codex Vaticanus)には、ルカ24章12節が欠如している。この点は、新約聖書研究において重要な批判的テキスト問題を提起している。シナイ写本およびヴァチカン写本は、どちらも4世紀に書かれた非常に重要なギリシャ語写本であり、当時の新約聖書のテキストの伝承に大きな影響を与えている。これらの写本において当該節が欠けていることは、初期の伝承においてこの記述が普遍的ではなかったことを示唆している。これに対し、多くの後代の写本にはルカ24章12節が含まれており、特に西方系やビザンティン系の伝承においては一般的な要素となっている。
さらに、ネストレ・アーラントのギリシャ語新約聖書(Nestle-Aland Novum Testamentum Graece)などの批判版テキストにおいては、ルカ24章12節が後に挿入された節である可能性が指摘されており、この節の出典や信憑性に関する議論が展開されている。ネストレ・アーラントの注記によれば、この節の欠如は一部の重要な古代写本に共通して見られ、そのため当該節が初期のルカ福音書のオリジナルではなかった可能性が高いとされる。
したがって、ルカ24章12節に関するテキスト批判的な見解として、この節は後代の教会による挿入、あるいは伝承の発展による追加であると考えることが妥当である。特定の翻訳聖書、例えばシナイ写本やヴァチカン写本を基にした学術的な版においては、この節が欠如しているか、脚注として扱われていることが多い。新約聖書のテキスト批判におけるこのような問題は、聖書本文の成立過程やその後の伝承に関する理解を深めるための重要な要素である。


ヨハネ福音書では、ペテロともう一人の弟子(通常はヨハネと解釈される)が共に墓に走って行く場面が詳述されている。

それでペテロともう一人の弟子は出かけて行って、墓へ向かった。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子がペテロよりも早く走って、先に墓に着いた。彼は身をかがめて、亜麻布が置いてあるのを見たが、中には入らなかった。シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。

ヨハネによる福音書 20章3-6節

マルコ福音書では、ペテロが墓に直接行く場面は描かれていないが、天使が女性たちにペテロに伝えるよう指示する場面がある。

その若者は言った。『驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを探しているのでしょう。彼は復活なさって、ここにはおられません。ご覧なさい、納めていた場所です。さあ、行って弟子たちとペテロに伝えなさい。「彼はあなたがたより先にガリラヤへ行かれます。そこでお目にかかれます」と。』

マルコによる福音書 16章6-7節

この箇所では、ペテロが墓に行く描写はないものの、ペテロに特に知らせるように指示が与えられている。

エマオで復活したキリストは肉体か霊か?

17 イエスは彼らに言われた、「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか」。彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。
18 そのひとりのクレオパという者が、答えて言った、「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」。
19 「それは、どんなことか」と言われると、彼らは言った、「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、
20 祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。
21 わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。しかもその上に、この事が起ってから、きょうが三日目なのです。
22 ところが、わたしたちの仲間である数人の女が、わたしたちを驚かせました。というのは、彼らが朝早く墓に行きますと、
23 イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。
24 それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした」。
25 そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
26 キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
27 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
28 それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。
29 そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」。イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。
30 一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、
31 彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。
32 彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。
33 そして、すぐに立ってエルサレムに帰って見ると、十一弟子とその仲間が集まっていて、
34 「主は、ほんとうによみがえって、シモンに現れなさった」と言っていた。
35 そこでふたりの者は、途中であったことや、パンをおさきになる様子でイエスだとわかったことなどを話した。
36 こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。〔そして「やすかれ」と言われた。〕
37 彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。
38 そこでイエスが言われた、「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。
39 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。
40 〔こう言って、手と足とをお見せになった。〕
41 彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが「ここに何か食物があるか」と言われた。
42 彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、
43 イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた。

ルカの福音書24章

私はルカによる福音書の24章にあるエマオの復活の記事が大好きで、復活について語るときには、きまってこの箇所を引用することにしている。ところが、その後がいけない。36節から43節には、イエスの肉体がそのままの在り様で復活したと書いてあるのだ。しかも「手で触ってみなさい。亡霊には肉も骨もない」とあって、その上、復活したイエスが、焼いた魚をみんなの前でわざわざ食べてみせるのである。この箇所を読んだときに、私はどうにもならない違和感を覚えたことを覚えている。この違和感は未だになくならない。
エマオの描き方では、イエスが霊なのか肉体なのかが、今一つはっきりしない。はっきりしないからこそ妙味があろうと言うものだが、それではいけないらしい。イエスは人間であったが、キリストは人間ではなく、言わばキリストは霊となって人間イエスの中に仮の宿りを過ごしただけだと唱える人たちが出てきたからである。
これでは、十字架の死も、人間としてのイエスに関わりを持つだけのことで、救い主キリストとは無関係になってしまう。人間イエスが十字架にかけられる前に、キリストのほうは一足早く天国へ昇ってしまうからだ。いわゆる「グノーシス」と呼ばれる人たちがこの説を唱えた、というのが一応の定説となっている。
人間イエスと霊のキリストとが二つに分離したのでは、レンブラントの描いたエマオのキリストも浮かばれない。妙味を妙味と心得ない厄介な人たちが出たお陰で、復活のイエスは、食べたくもない魚を食べさせられる羽目になってしまった。こういう詮索好きの人たちがいるものだから、これに対抗して、キリスト教会のほうも、イエスに魚を食べさせなければならなくなったというのが真相であろう。

https://web.archive.org/web/20130119094957/http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/spirituality/15seitouitan.htm

エビオン派と仮現説

エビオン派は、初期キリスト教においてユダヤ教とのつながりが強いグループで、イエスを預言者やメシアとして尊重しつつも、神そのものとは見なさなかった。この点で、彼らはキリスト教正統派とは異なる立場を取っていた。特に、イエスの神性や処女降誕の教義を否定し、イエスをあくまで人間として捉えたことが特徴だ。彼らはモーセの律法を厳格に守り、パウロの教えを歪曲されたものとして強く批判していた。
エビオン派とグノーシス主義は、一見すると似た部分もあるが、根本的な思想は異なっていた。グノーシス主義は「隠された知識(グノーシス)」による救済を強調し、物質世界を悪と見なすことが多かった。一方、エビオン派は物質世界や肉体を必ずしも否定するわけではなく、むしろ律法を守るという具体的な行動に重きを置いていたため、グノーシス主義の神秘主義とは距離を置いていた
エビオン派に関連して、仮現説(ドセティズム)にも触れておくと、これはイエスの肉体が単なる幻影であり、実際には苦しみを経験しなかったという考え方だ。仮現説はグノーシス主義に近い思想で、イエスの神性を強調するために彼の人間性を否定する。しかし、エビオン派はこれとは対照的に、イエスの人間性を強調し、彼が実際に苦しみを経験し、肉体を持った存在であったと信じていた。つまり、エビオン派はイエスの神性を否定しつつも、彼の人間としての側面を重要視していたため、仮現説とは対立する立場にあった。
エビオン派は1世紀から4世紀にかけて活動していたが、キリスト教がローマ帝国の公式宗教として確立され、三位一体論が教義の中心となる中で、次第に異端とされて影響力を失っていった。しかし、その存在は初期キリスト教における多様な信仰のあり方を示しており、ユダヤ的なキリスト教観を持つグループの一つとして、歴史的に重要な位置を占めている。

教会の絶対的権威

絶対的な権威を帯びた使徒証言

復活が霊的な妙味を剥ぎ取られて、肉体そのものが再び戻ってきたのであれば、イエスはいつまでも地上に生きていそうなものであるが、そのイエスが昇天してしまう。ただ一回限りのイエスの肉体の復活であるから、そうなると、イエスが復活したことを人々に納得させる方法は、これを目撃したペトロを始めとする使徒たちだけである。イエス・キリストの復活は、キリスト教と教会にとって核心となる出来事だから、これを実際に目撃した人たちの証言だけが唯一の信仰の拠り所ということになると、使徒の証言が絶対的な権威を帯びてくることになる。
そこでキリストの代理人としてのペトロの存在が、クローズアップされることになる。教会は、イエス・キリストの地上での代理人としてのペトロに絶対の権威を与えることになり、その上で、使徒の証言のみが、教会の信仰の拠り所とされるに至った。かくて、四福音書が、使徒の証言としてその権威を確立することになる。

https://web.archive.org/web/20130119094957/http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/spirituality/15seitouitan.htm

個人の内的な信仰生活を否定する教会

これでは、自分は復活のイエスを体験したなどと、うっかりエマオの弟子のような証言をしたら、たちまち異端と見なされてしまう。本来霊的な体験であるはずのイエスの復活顕現が、個々の信者の霊的体験ではなく、ひたすら使徒の証言とキリストの代理人であるペトロとこれを戴く教会だけが、唯一、信仰の拠り所となってしまうからである。これでは、個人個人が、イエス・キリストとの霊的な交わりにあって、自分の内面的な確信に支えられた信仰生活を営むことができなくなってしまう。まして、自分で福音書や使徒たちの証言を読んで、これを自分で解釈するなどとんでもないことである。
かくして、主教たちの上に「教皇」が現れて、これが唯一ペトロの後継者であると宣言され、ローマこそ、キリストの教会の都にふさわしいことになった。

https://web.archive.org/web/20130119094957/http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/spirituality/15seitouitan.htm

エビオン派のキリスト養子論

教会とグノーシス、対立する二つの救済観

こうなると、方々に居て、多様な神学を持つ主教たちは大迷惑で、ローマ教皇の意に反する主教たちは異端とされて追放の憂き目にあうことになる。特に「霊的な」主教ほどねらわれやすい。厄介な人たちが厄介なことを言い出したお陰で、これに対抗しようとしたキリストの教会のほうも厄介な事になってしまった。お陰で一番困ったのはエマオの弟子たちである。一人の神、一人の主、一人の教皇、一つの教会、唯一の聖書解釈がこうしてめでたく誕生したが、これと引き替えに、大勢のエマオの弟子たちが、異端とされて追放されたり、後世には処刑される羽目になったからである。
グノーシス主義者たちは、個人の霊性を重んじたから、聖職者と平信徒との区別も、女性と男性との区別も、教会の専従者と世俗の職業人との区別も付けなかった。
グノーシスが、キリスト教会から憎まれたとすれば、キリスト教会のほうも、主教たちを自分たちの教義に従わせるために真理を迫害しているとして、グノーシスから非難されていた。
グノーシスは少人数でも質的な教会の形成を目指していたから、「洗礼はキリスト教徒をつくらない」と主張して、正統教会の施す洗礼に厳しい目を向けていた。
このような教会観からすれば、教会とは、なによりも「霊的に成熟した証し」を有するものでなければならなかった。ところが、これに対して、古カトリック教会(正統教会)のほうは、エイレナエウスの主張するように、洗礼・使徒信条告白・主教への「三つの従順」のみを教会の信者たちに要求していたのである。グノーシスが、会員に霊的な成熟と清さと知識を求めたのは、「真理の教会」とは、聖職者と信者との区別に基づく服従関係に存するのではなく、すべての信者の霊的な成熟にあると考えていたからである。正統派が、信者の集まりそれ自体を「教会」と定義したのに対して、グノーシスは、このような教会の在り様を無知な教会観として退けたことになる。かくして、ヒュポリトスが、ローマのキリスト教徒とその階層組織を非難すると、テルトリアヌスが、自分たちの教会のみが使徒の規範を遵守しているのであるから、「教会に疑問を抱くこと自体が異端である」と主張することになる。
グノーシスは、地上の可視的な組織体としての教会とは、その教義、その儀礼の一切を含めて、個々の信者が真理に近づくための過程にすぎないと見ていた。だが、正統派は、自分たちの教会をキリスト教信仰の唯一の正統性を有する存在と規定していたから、信者が一度教会に来たなら、彼にはもはやそれ以上に尋ね求めるべき事はなかったのである。救いとは教会に属することであり、「教会の外に救いは存在しない」というのが、その正当性の根拠とされたからである。
グノーシスの解釈によれば、ルカの言う「神の国はあなた方の内にある」という言葉は、真の意味での人間の解放が、歴史的出来事によるのではなく、人間の内面的変容によって初めて可能になることを意味したのである。
この観点からするならば、イエスは、人間に救いの道を伝える教師であり霊的な導き手と見なされることになる。
言うまでもなくグノーシスは、新約聖書のイエスが、歴史的に実在した人物であることを知っている。しかし、イエスは、彼らにとって、知恵の教師ではあっても預言者ではない。ましてメシアではない。グノーシスは、人間が、その主観的な直接体験によって、自らの運命を自らの力で形成することができると考えた。人は、究極のグノーシス(知)に到達することによって、クリスチャンになるのではない、彼はキリストそれ自体になるというのが、彼らの考え方であった。
ここには、人間の救いの根拠をイエスの十字架という歴史的な出来事に求めるのか、それとも、イエスの聖霊による人間の内面の変容に求めるのか、この二つの救済観をめぐる対立がある。
そのような分裂をもたらす政策遂行の元凶となる宗教的権威とは何なのか? その権力の源を見極めようとする努力を怠ってはならないと思うのである。

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