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脳みそ、noteにそのまま出してみそ。

言葉を取り繕わないこと。

面と向かって話すような時には特に実践出来ないことだなぁと思う。その相手の立場、考えなど様々なことを頭に置きながら話そうというのは、実にバランスのコントロールが難しい。

相手を楽しませたり(時に盛大にスベる、それはまるでささやかな失恋のように。あ、スベった。)、敬意をはらったり。上手く伝わるよう、あれやこれやとサンプルを持ち出して説明したり、逆にこれは要らないなを早くに選定したり。相手の雰囲気に合わせて言葉尻りを変える、みたいなこともある。そうして一通りの段取りが終わる頃には疲れ果てて早く1人になりたい…ということもしばしば。

なぜ、こんなにも?と自分で思うくらいなのだが、私のいわゆる「アーティスト」「シンガー」「ボイストレーナー」ー ひと前に出て表現する、音声を出す、その摂理をひとに説明するという中で、他者に目では見えないものの経緯を伝えていく仕事上、相手に意図を上手く伝えること、これを意識せざるを得ないからだと心得ている。

といいつつ、「俺について来いよ」「ちょ待てよ」的な、いわゆる肉食オラオラ系に振り切ることはできず。そういう人たちを見てはアーティストっぽいなぁなどと羨ましく思う。我が道は己こそがパイオニア。ヨッ、在るが儘よ、選ばれし人生二週目以降の者たち!その素晴らしいスピリッツには大いに魅せられるのだ。

しかしながら私の口の中では、小さな泡を吹いているが如く、そのまま出してはいないものの浮かび続ける言葉がある。ひとと話す時にはそれらが心に垂れ流れ、プチプチと潰れていくのを見送るばかりだけれど、noteというこの空白空間には何の妨げもない。この線の流れで書きなさいよ、とすらも。動画も写真も自分好みにヒョイヒョイと、いい感じにレイアウトできる。(まだ使い慣れてはいないが)

私が長期間放置していたnoteを更新しようと思いはじめたのは、小説に触れて感化されたことがきっかけだったけれど、その本の良さを伝える説明にすらも溢れ出た気持ちのかけらが沢山あった。ここでは隠さずに、そんな私がふと感じた小さな思いの原石から続けて出た鎖のようなものも、そのまま繋いでおこうかと思っている。何事にもベストな答えでストライク!スペア!もいいけれど、そこに辿り着くまでのガーターまみれの練習の日々や寄り道、経緯みたいなものの儚い美しさもここに書き留めておきたいなぁ。


明日はもう3月後半の春の陽気になるそうだ。

そんな春をテーマにした美しい日本語のうちに「一場春夢(いちじょうのしゅんむ)」という言葉がある。(出たぞ、拗らせ中二病…。)人生の栄華が、きわめてはかなく消えてしまうことの例えで、ひとときだけの短い春の夜に見る夢の意(出典:三省堂 新明解四字熟語辞典より)らしい。泡沫の夢のように、儚くとも何ごとも余計なことなどないのかもしれないなと。遠回りしてでも続けて言葉にしていたい気持ちを一層に強めたのだった。

ところで名古屋発祥の「つけてみそかけてみそ」をご存知だろうか。

何にでも合う赤味噌ベースのつけだれ、かけだれで、日本食の味の核となる味噌を使いやすくした調味料だ。

こんな料理にも、あんな料理にも、合うかもしれないなぁ。試してみそ、まぁいけるやん?という風なくらい気軽な感じの「言葉の味スケッチ」をこの自由帳に書いていこうと思う。

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