『もう一度旅に出る前に』13 宮本常一さんならば 文・写真 仁科勝介(かつお)
民俗学者の宮本常一さんを、市町村一周の旅の後に知った。大学の卒業まで1年間拠点にしていた、今では築120年を越える古民家シェアハウスのオーナーに、旅を終えて戻ってきてから、「かつおは宮本常一みたいだね」と言われたのが最初だった。オーナーは大学の4つ上の先輩で、地域の学校教育に携わっていたから、宮本常一さんを知っていたのだと思う。それまでは、「伊能忠敬みたいだね」と言われることが多かった。
すぐに、宮本常一さんの著書『忘れられた日本人』を読んだ。日本各地の村々や島々を渡り歩き、聞き書きした民衆の声を丁寧に残していること。そして、そもそもこのような旅の仕方があるのか、何より、これだけ民衆の生活に向き合った、寄り添った人がかつていたのか、という生き方に対する衝撃が強かった。それからもいくつかの宮本さんに関する本を読んで、人柄に触れて、ああ、漠然とだがこの人のように生きたいと、とても腑に落ちたのだった。
宮本常一さんは、とにかく民衆の幸せを願った人だ。高度経済成長期、人々の暮らしが大きく変化したことは、平成生まれのぼくでもおおよその想像はつく。そういう時代があったと雑に言うことは簡単だ。ただ、ほんとうは何より、当時を生きてきた、それこそ忘れられてしまいそうな、ひとりひとりの人生があるのだ。宮本常一さんは、各地で出会うひとりひとりに向き合っていて、だからこそ、今でも声が残っている。大きなことも大切だけれど、向き合うべきはひとりひとりだよなあと、ぼくも曖昧なりに思うのだ。
だから、次の旅のことを考えていると、「宮本さんなら、どうするだろうか」とよく思う。宮本さんが令和を生きていたとしたら、今の日本を見て、どう感じるだろうか。何を知ろうとするだろうか、何を残そうとするだろうか。自ずと「宮本さんならば」と湧き上がる。そもそも、お前(自分)に何か残せるのか、何かを残したいと思うこと自体、傲慢じゃないのか、それよりも向き合うことじゃないのか、ということも思いながら。
そういう感じで、宮本さんのように生きたいと思いながら、まだまだ届いていない部分がたくさんあって、それでも、旧市町村を巡ることなら、宮本さんも応援してくれそうな気がして、だったら、本気でやるぞと思う。それに、分からないことばかりだが、この旅を一生懸命やっているうちに、何かに、何かに気付けそうな気がするんだよなあ。
宮本常一さんは、亡くなる2年ほど前のインタビューでこう仰っている。
「先は急いではならない。あとからでいいんだと。そして、人が見落としたものを、できるだけ見ていく。そうすると、やがてそれが、後に役に立つ時期が来る」
あと、宮本常一さんのふるさとである、周防大島で出会ったおじいさんが言っていた言葉も思い返した。
「人間の命なんてマッチ棒の先っぽにすらならん。人間が生きる世界なんて、ほんの刹那的なもんだ。旅をしろよ若者」
仁科勝介(かつお)
1996年生まれ、岡山県倉敷市出身。広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
HP|https://katsusukenishina.com
Twitter/Instagram @katsuo247
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